Sid.16 評判の悪い男子大学生
「毎回しつこく誘ってくるんです」
カップを下げてカウンターに置きながら、そう言ってくる百瀬さんだ。
ちょっと不快に感じてそうでもあるし、満更でも無い、そんな感じには見えないか。
「本当ですよ」
「何が?」
「その気は無いんですからね」
言い訳してるし。なんか可愛らしい。
俺が勘違いしてないか心配になった? でもさあ、俺だってさあ、あの若者と同じ立ち位置な気もする。おっさんなんて眼中に無い点で。
「心配はしてないよ」
「べ、別に心配してるとか、そうじゃなくてですね」
「接してる雰囲気で分かるから」
「ぜんぜん分かってないです」
ぶつぶつなんか文句言ってる。聞き取れない程度に小声で。
他に気になる人でも居るのかもね。でも俺に言い訳しても意味無いし。
「マスター!」
びっくりした。急に大きな声出さないでよ。
「何?」
「今度、車出してもらえませんか」
「え?」
「花を育てるのに鉢とか土とか、いろいろ必要になるので」
本当にやる気なんだ。
店の前に花飾ってもなあ。百瀬さんが世話するって言っても、毎日は大変だろうに。すでに自分の店と同じ扱いかもしれん。いずれ乗っ取られたりして。オーナーは百瀬さんで俺がバイトとか。
あと、サインボードも用意して欲しいと。書くのも自分でやるから、手を煩わせることは無いって。そこまでしなくても。給料に見合わない働きになってるよ。
これはあれか、もっと給料出して欲しいって、無言のアピール、なわけないか。
「それはいいけど、今からどんな花を育てるの?」
「ベルフラワーとかマーガレット、種蒔きならゴデチャとか花菱草ですね」
「分からんけど、もう全部任せるよ」
「はい。綺麗に育てますからね」
ハーブや葉物野菜も育ててみるそうだ。大学には、そっち専門も居るから、アドバイスを受けることもできるそうだ。まああの大学だし。今は言い方変えてるけど、昔はずばりのネーミングだったからねえ。
なんかすっかり尻に敷かれた感じだ。若いのに、いや、若いからこその行動力か。
こっち見てる。今度は何?
「あの、あたしも料理作ってみたいです」
「学校でやってるんだっけ?」
「調理実習は何度もやってます」
俺の腕じゃ不満足ってことか? キッチンは百瀬さんがやって、俺がホール担当とかって。い、いやいや。調理実習程度で客に提供できる料理なんて、さすがに無理があると思うけど。
とは言え、俺もまた素人に毛が生えた程度。まだ学校で基礎からやってる分、俺よりましかもしれない。
まじで店が乗っ取られたりして。一切費用掛けずに自分の店を持てる。いいよなあ。
「俺要らない?」
「ち、違います! ふたりで盛り上げて行けたらって」
学生だから頭で理解していても、実地で理解してるわけじゃない。そこには大きな差があることくらい、分かっていると。
学校では所詮理屈先行で、経験が乏しいのだから、そこは一日の長って奴らしい。
「マスターが居なかったら経営できません」
できると思うけど、確かに覚束無い部分はある。でもそんなの半年もやってりゃ、充分形になるだろうし。覚えも早いのと学校で学んだこともあるだろうし。
追い抜かれるのも時間の問題か。
やっぱあれか、どこかで料理修行した方がいいかも。確実に店を乗っ取られるな、これ。邪魔、とか言われて若い男と一緒に、和気あいあい楽しく店をやる。さっき来た奴はあれだけど、他に本命が居るんだろうし。
「できると思うよ。半年もやってれば」
「それまで持たないです」
「それはあるのか」
「ふたりで一緒に、ですよ」
そう言うことにしておこう。
午後六時以降になると少しずつ客が増えてくる。
七時前後には夕飯時ってことで、食事も出るようになり少しだけ忙しい。
「オーダー。エビピラフセット、ペスカトーレセットです」
「はいよ」
「ブレンドふたつ、ナポリタンふたつです」
「あいよ」
一瞬のピークを迎えバタバタする店内だが、午後八時を過ぎる頃には落ち着いて、店内は一気に閑散としだす。
洗い物を手伝ってくれる百瀬さんが居て「花は植える時期もあるので、早い方がいいです」とか言ってるし。次の休みはメニュー開発だし。そうなると、その次の休日に買い出しってことになりそうだ。すっかり休みが無くなった。
カランカランとドアベルが鳴り、視線を向けると見覚えのある顔。
「いらっしゃいませ」
「まだ大丈夫ですか?」
百瀬さんがドアまで出迎え位に行き「大丈夫だけど、一時間も無いよ」と。
すぐに出せるもの、ってことでボンゴレビアンコと、小皿に盛ってあるサイドサラダを出す。
いつもの友達三人組。
百瀬さんに話し掛けてるな。
「来た?」
「え?」
「あれ」
「あ、うん。来た」
あれ、って言い方されてるってことは、百瀬さんの友達の印象もあまり宜しくない。
「相当好きなんだね」
「遠慮したいんだけど」
「だよねえ」
「あれもねえ、気が無いって気付ければ」
女子四人で男ひとりをディスる構図。女子って、こういうところが怖いんだよなあ。当事者の居ない場でボロクソに言われるから。百瀬さんも、その辺はやっぱり普通に女子なんだよな。一緒に盛り上がる。
でも無いのか。
あんまり人の悪口言わないタイプ? まあ、時々そんな子も居るだろう。
「二泊三日だっけ」
「そう」
「一発決める気だね」
「ちょっとそれは」
だよねえ、と同意する女子連中だ。さすがに目的が見え透いていて引くと。
「瑞樹の体ばっかり」
「そこまでじゃないと思うけど」
「目を見れば分かる」
「そう。いっつも胸見てるし」
そうか。俺も見たくなるけど、目を逸らすのに必死。考えないようにしないと、勘違いからの、あの男と同じことに至りかねない。さすがに大人としての面を見せておかないと。余裕あるんだよって。
虚勢張ってるだけなんだけどね。
退店まで気持ち悪いだの、もう少し女心を理解しろとか、言いたい放題だったが。
百瀬さんだけは多少でも、擁護する発言が出てた。
「そんなんだから、あれも気付けないんだよ」
「優しさは時に災難を招くよ」
「言う時は言わないと。ビシッと、興味無いからとか」
また来るねえ、と言って支払いを済ませ帰ったようだ。
なかなかに騒々しいな。女性が四人揃うと。普段はおっさんとサラリーマンしか居ないから、静けさ漂う空間なんだけどねえ。
今後、店が繁盛するってことは、あんな感じで騒々しくなるのか。
それもまた善し悪しだなあ。
「言い寄られてるの?」
「そうみたいです」
「断らないの?」
「断っても気付かない振りしてます」
ストーカー気質かもね。厄介な奴が世の中には居るし。
「自宅に押し掛けて来たりして」
「こ、怖いこと言わないでください」
「自宅特定されたり」
「ま、マスターの家に泊めてください」
それはもっとまずいでしょ。
おっさんの理性が崩壊するのが目に見えてる。もっと怖い思いするよ。
「冗談だけど」
「もし、本当にそうなったら、マスター責任取って一緒に」
「いや、あのさ。俺と一緒でも結末は同じ」
男の家じゃなく、そこは女子の家にした方がいい。
やっぱり、ストーカー染みてると怖いと思うよねえ。
店の片付けと掃除を済ませ、いつも通り信金に寄って入金を済ませ、自宅へ帰るんだけど、毎回一緒に付いてくるし。
「先に帰ってもいいんだよ」
「マスターが脅すから怖くなりました」
「え、でも、俺の家に来ても」
「まだましです。大人ですから節度はあると」
そんなものは、若い子を前に簡単に崩壊する。できるだけ意識しないようにしてるんだし。
「他に誰か頼れそうな男居ないの?」
「居ません」
「そう? 居るんじゃないの? ひとりくらい」
「鈍いです」
唐突に鈍いと言われてもなあ。
並んで歩いてるけど、マンションの前に来ると、やっぱり立ち話。
「もう遅いよ」
「怖くなってるんです」
「でも、俺の家も無理だよ」
俯いて地面蹴ってるし。挙句「鈍いにも程があります」とか言ってるし。いや、だからね、その可能性の一切を排除してるの。都合よく解釈したくないから。
俺、ただのおじさんだよ。
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