Sid.22 恋心は破れて玉砕する

 おっさん連中が退店する頃には、ランチで少しだけ店内の混雑具合が増す。


「マスター」

「オーダー?」

「あの、ランチですけど」


 忙しい合間を縫ってキッチン内で、洗い物ついでに話し掛けてくる瑞樹だ。

 なんでも、日曜日のランチは効率が悪い。だからファミレスチェーンと同じく、無しにした方がいいのでは、と言うことだった。

 それをするとね、客足が鈍るからねえ。観光地や繁華街なら日曜は無しで、利益率を高める営業戦略もあり。放っておいても客が集まるから。特に都内なら渋谷新宿原宿なんてのは、とにかく人が多いから、少々客単価を上げた方がいいくらい。

 この店は立地上、他所と同じにはできないから、日曜のランチは外せないわけで。


「ただ、日曜日は専用のランチを用意してもいいとは思う」


 平日千円のランチに対して、日曜日は少しだけ割り増しとかね。

 それでも下手すれば客が減る可能性はある。一度決めた価格設定は、容易に変更できないからなあ。客ってのは価格に対して敏感だから。

 少しでも値上がりすれば、即座に離れてしまうってのは、日本じゃ普通にあることだし。例え常連客でも離れかねない。シビアって言うか安価で提供することが、正義って風潮が根強くあるからね。価格を上げるとなれば、その分、内容や接客、店舗の造りにも相当な拘りを見せないと。そうやって新規客の獲得を目指す。

 可処分所得が先進国でもあり得ないほど低いし。結果、財布の紐が固い。

 収入の約半分が税金だからね。これじゃあ財布の紐は緩まないわけで。


「だからね、今まで通りのランチと、日曜専用のランチの二本立てくらいかな」


 常連客を繋ぎ留めながら、客単価アップのためのメニュー。

 新規客ならオーダーする可能性が無いわけじゃない。ただ、数は見込めないだろうね。

 価格の高いメニューと安いメニュー。どっちが多く出るかと言えば、低価格メニューに集中するのは目に見えてる。

 納得したのか、してないのか。少し考え込んでる様子だな。


「マスター」

「何?」

「早めに店の改装しましょう」


 そっちに行っちゃったのね。

 改装のための資金、そして改装中営業できないから、その間の維持費等々。

 金、幾らあっても足りないなあ。これから瑞樹と一緒に生活して行く、となればさらに金掛かるわけだし。

 打ち出の小槌でもあればなあ。


 ランチタイムが終わり店内が静かになる。やっと昼飯になるわけだが。

 カウンター席に並んで飯を食う。昼飯を作りたい、と言う瑞樹に任せてみることに。

 賄い飯で業務用調理器具に慣れてもらう、ってのは飲食店じゃ常道。

 材料の多くは下ごしらえが済んでる。すぐに調理に取り掛かれるから、出来上がりも早くなるわけだ。

 調理実習で慣れてるのか、結構様になる感じだった。


「あの、お店で出せますか?」

「そうだね。出すのは問題無いと思う」

「出すのは、って」

「俺の代わりなら、少し慣れが必要かな」


 同じ味、同じ量、同じ時間内で、となるとムラがあるわけで。やってりゃ身に着く話だが、そこは数を熟さないとね。

 味付けとか盛り付けは申し分ないから、数だけ。


「でしたら、これからも」

「賄いで慣れてもらって」

「はい」


 キッチンに入りたいんだね。夏は暑いよ。冬でも暑くなるけど。

 本気でやるなら、仕込みもやってもらうから、と言っておいた。ただし、大学卒業後の話だけど。

 食後の休憩中。お客さんも来ないし、カウンター席に座る瑞樹と、キッチン内で休憩する俺。

 なんか見つめてきたと思ったら。


「あの、隆之さん」

「えっと」

「誰も居ませんよ」


 まあいいか。


「何?」

「業者を使わずに改装って、できないんですか?」


 DIYって奴ね。俺、不器用だし無理があると思うけどなあ。


「改装って言っても、何もかも変えなくていいと思うんです」


 瑞樹の案では店頭の賑やかし、椅子やテーブルの新調、壁紙を貼って明るくする、なんてのが主らしい。

 大々的に作り変えるとコストが尋常じゃない、なんてのは幾ら学生でも分かると。


「他には、照明も一部変更してみても、と思います」


 テーブル席直上のペンダントライトを、新しくしてもいいのでは、ってのが瑞樹の提案。

 そして何より。


「売り上げ低いって言ってるのに、電球がLEDじゃないです」


 電気代だけで凄いことになってないかと。新しい器具に替えて少しでも節電すべき、だそうだ。そこまで考えてなかったな。あるがままに使ってたし。

 確かに白熱球とLED電球じゃ、消費電力量に大きな差がある。全部、は無理としても半分変更すれば、その分電気代は安くなるか。初期コストは高額だけどね。

 ただね、透明な白熱球は蝋燭のような灯りなんだよね。雰囲気はLED如きでは得られない。色味も少々変だし。妙に眩し過ぎたり、拡散率が低いからペンダントにはいいけど。

 まあいいか。電気代、安くなればね。


 ドアベルが鳴り客がひとり、と思ったら。


「いらっしゃいませ」

「いら……」


 瑞樹の苦手な御仁。ストーカー気質の男子学生が来ちゃったよ。暇なのか瑞樹が恋しいのか。まあ何としても落としたい相手だろうけど。残念。俺の手の中だ。

 俺に一瞥くれてからふたり用テーブル席に。お冷やを持っていく瑞樹だけど、ちょっと困り顔だな。

 しっかり声が聞こえる。他に客居ないしBGMの音量は下げてるし。


「あのさあ、合宿だけど、まじで行かないの?」

「行けなくなったから」

「バイト?」

「バイト、って言うか就職」


 まだでしょと言われてるけど、瑞樹的には、すでにこの店に就職したんだろう。俺の部屋で寝泊まりし、少しすれば春休み。その間、毎日のように店に出るだろうし。

 メニュー開発だの改装だの、やろうと思ってることも多いだろうからなあ。


「就職? まだ一年あるじゃん」

「えっとね、それなんだけど」


 と言って俺の顔を見る瑞樹が居て、釣られて俺を見るストーカー気質の男子。

 疑問を抱いたようだが、再び瑞樹を見て「意味分かんないんだけど」とか言ってるし。気付けよ。鈍い奴だなあ。あ、俺もだ。


「ここ」


 暫しの沈黙。ますます疑問を抱いた感じで。


「え?」

「ここ」

「え?」

Allas kökアラシェーク


 店名言われて、きょとんとしてるし。

 なかなか理解が及ばなかったんだろう。やっと気付いたか、狼狽えながらも言葉を発してる。


「ここって、喫茶店」

「うん」

「うん、じゃねえだろ」

「ここ」


 思いっきり頭抱えてるよ。瑞樹を見て「バカなのか?」と。失礼な奴だな。喫茶店に就職と受け取ったか。そうじゃなくて、俺の元へ来たってことだと気付け。

 まあ、そう思いたくないんだろう。相手はおっさん。どう考えてもあり得ないだろうから。

 でも事実だ。


「喫茶店って、わざわざ大学出て?」

「うん。あ、正確にはねマスター」


 押し黙ったようだ。受け入れ難い事実を聞かされて、混乱してるのもあるんだろう。今、奴の頭の中では情報の整理をしてる最中だ。

 お、頭掻きむしってるぞ。認められるわけないよなあ。一気に不機嫌そうになってるし。俺の方を見てすぐ瑞樹を見て。


「おっさん」

「違うよ」

「おっさんじゃねえか。あれがいいのかよ」

「あれじゃないよ。逢坂さん」


 一度冷静になって考え直せと言ってる。俺もそう思ったけどな、人の気持ちってのは、燃え盛っている間はどうにもならん。今は俺というおっさんに夢中なんだよ。いずれ冷めるかもしれないし、そのまま結婚して末永くもあるかもしれん。

 先のことは分からないが、現時点で君は眼中に無いってことだけは確かだ。


「考え直せ」

「ちゃんと考えての結論」


 おい、俺を睨んでもどうにもならんぞ。俺が一番驚いたんだからな。


「なんでよりによって」

「気持ちって、理屈じゃないから」

「それでも」

「だからね、ごめんね」


 撃沈。完膚無きまでに打ちのめされたようだ。ずっと思い続けてたんだろうな。哀れと思うが、俺に何かできるわけじゃない。

 睨んでる。憎しみと言うよりは、なんで、って気持ちだろうなあ。

 視線を瑞樹に戻すけど、思いっきり落ち込んでるようだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る