第2話 遅刻と出会いと2人乗り
掃除が終わって、嫌でも眠たくなっちゃう5時間目の授業。周りを見れば船を漕いでる子たちがたくさんいる中で、少なくとも漆さんとわたしの目だけは冴えわたってるはずだ。まあ、授業に集中してる優等生の漆さんと違って、わたしはもっぱら別のことが気になって仕方ないわけだけど――。
「じゃあこれ、分かるやついるかー?」
「――はいっ」
あ、漆さんがまた発表してる。やっぱかしこいんだなぁ。かっこいいなぁ。黒板の前に立ってすらすらと小難しい漢字をチョークで書く漆さんの背中を見ながら、わたしはそんなことを思う。それでいて、少し背伸びして右手を動かす度に軽く揺れる綺麗な黒髪と紺のカーディガンの裾がかわいいなぁなんて考えてどきどきしたりする。
そう、こんな感じでわたしは授業中の大半、漆さんをついつい見てしまう。『うるし』さんは出席番号1番で1番前の席。わたしは『よつあし』で出席番号は女子の中で1番後ろ。とーぜん席は後ろの方なので、いやでも目に入ってしまうのだ。
だからわたしは中学生になってから3週間、1度も授業を超絶真剣に受けたことがないかもしれない。だって漆さんのことが気になり始めたのは日課の机送りを始めた日とほぼ変わらない、入学式当日のことだったから――。
*
「ひぃ……ひぃ……ぜったい……ちこく……したくないいいいい……」
4月1日。現在、朝8時50分。学校への集合時刻は9時ちょうど。
真新しいセーラ服を着たわたしは入学式の朝、ぜえぜえ言いながらこれまた新しい自転車で田舎道を突っ走っていた。
入学式開始の1時間前から新入生は教室に集合しないとダメなことを当日まで忘れていて爆睡し、朝ご飯も食べずにかっとばしてきたというのが今の状況。もちろん式に主席するお母さんたちに車で送ってもらこともできたけど、わたしとしてはこれ以上両親に迷惑をかけるわけにはいかない。
……小学校の頃、わたしはあまり集団になじめてなかった。友達がいなかったとかいじめられてたとかそーいうわけじゃない。
わたしのクラスの女子は恋バナが話題の大半を占めていて、『〇〇くんがかっこいい』だのとか『○○ちゃんは○○くんが好き』だの告白しただの付きあっただの――、まだ12歳の女の子たちが毎日のように騒ぎ立てるそれに、わたしは全然付いていけなかったのだ。恋の予兆なんて心の奥を探っても全然浮かんでこなくて、愛想笑いと誤魔化しの言葉で作られた学校生活を過ごしていた。
わたしはクラスメイトのみんなが通うことになるであろう近場の中学校ではなく、家から結構離れた中学に進学することを決めた。そこに行ったからとて恋バナがなくなるなんてこと絶対ないとは分かっていたけど、それでもあの子たちと同じ中学に通うのはなんとなく嫌だったのだ。そんな理由もお母さんとお父さんには話せてない。代わりに適当な言い訳をでっち上げたせいで散々迷惑をかけたし心配もさせた。
だから遅刻するわけにはいかないんだ! へろへろになりながらもペダルを一層強く踏み込む。元々の運動神経のなさと背の小ささが相まって悲しいくらいのスピードしか出なかったが、それでも風のように道角を曲がり終える。更に踏み込んで速度を上げようとしたとき――、目の前を人が歩いていることに今更気付いた。
「おわああああああああああああああああああっ!!??」
「えっ!?」
わたしは思わず叫びながらハンドルを強引に切る。自転車はその場でえげつない摩擦音を立てて横滑りした。当然そんなドリフトに運動神経皆無の四ツ足小実が耐えられるわけもなく――、自転車上のわたしは勢いよく吹っ飛ばされる。
そうまとうってやつだろうか。辺りの景色がスローモーションでくるくる回って地面がどんどん近づいていく中、ぶつかりそうになったその人は驚きの表情と共にこちらを振り返っていた。だから。
セーラー服の上からカーディガン。膝下までのスカート。整った顔立ちに長めのボブカット、ヘアピンで前髪を分けている――。そんな『きれいな』女の子が、最後に見たものだった。
…………。
「……ちょ……大丈夫ですか!? あの――!」
自転車のタイヤがカラカラ回る音と、焦ってるけど聞き取りやすくて透き通った水みたいな声。そんな音が聞こえてきてわたしははっと目を開いた。
心配そうな女の子の顔が近くにある。尻餅を付いたわたしのところまで駆け寄ってきてくれたようだ。奇跡的にしこたまぶつけたお尻以外に痛いとこはなかったから、わたしは手をぶんぶん振って元気なことをアピールする。
「あ、はい! わたしは平気です! あなたの方こそ――」
「よかった。あ、こっちも大丈夫ですよ。それよりも、すみません。私がぼーっと歩いてたせいですね」
「そんな……違いますよ! これはわたしがぶっ飛ばしてたせいで……!」
確かになんともなさそうで安心する。だけど続けざまにぺこりと頭を下げた女の子の、自分に非があるみたいな言い回しにわたしは思わず立ち上がった。悪いのは全面的にこっちだし……。あれ、そーいえばわたしなんで爆走してたんだっけ。
「あれっ、おんなじ学校だったんですね」
衝撃で色々頭から抜け落ちてしまったわたしが考えこもうとしたとき、女の子が言った。よく見ると、わたしと女の子は同じセーラー服を着ていた。あと身体の細さはおんなじくらいなのに背は10センチくらい向こうのほうが高い。
「わ、ほんとだ――」
大人っぽいから年上かな。いや、わたしが今日から入学するから先輩? ん、入学? ちょっと待っ――。
「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!!!!」
わたしは事故る寸前よりバカでかい声で叫んだ。目の前の女の子がびくぅ! とその場で飛び上がる。
「ちょ……いきなりどうしたんですか……!?」
「遅刻です遅刻! わたし入学式に遅刻しそうなんでした!!! 集合時間まで多分もうあと5分くらいしか――!!」
「ま、待ってください。私も新入生ですけど、入学式にはまだ1時間くらいあったんじゃ……」
ばたばたと慌てふためくわたしの手を引っ張って止めて、女の子はポケットから腕時計を取り出した。そしてその文字盤を凝視して――。
「あーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!」
とさっきのわたしに負けず劣らずの声量で叫んだ。そのまま女の子は道路に膝から崩れ落ち、がっくりとうなだれる。
この子も同い年で新入生ということにちょっも驚いたけど、今はそれどころじゃない。
家の時計……1時間ズレてた、とかどうしようどうしようどうしようとか、そんな焦りで行き場の失ったつぶやきが彼女の口から漏れ出て、わたしの耳に届いているのだ。ぴかぴかのスカートが汚れてるけどそんなことにも気を留めず、学校に向けて走り出すわけでもなく、女の子はただその場から動かなかった。
いくら急いでも、人の足じゃここから学校まではあと15分はかかる。動揺が大半だろうけど、女の子はそれを理解して更に絶望しているに違いなかった。
1時間前から学校に向かってるんだ。見た目通りの優等生、中学校生活初日から遅刻なんてしたくないに決まってる。そんな女の子、自損事故したわたしを心配してくれた女の子が困ってる。わたしは拳を握りしめた。動転していた頭が冷静になっていく。
だから傍らに倒れたままの自転車を引っ張り上げて、跨る。まだ動く、いける! わたしは俯く女の子に手を差し伸べる!
「乗って! 後ろ!」
「え、でも……2人乗り……」
女の子は驚いたように涙の入り混じった目と声でこちらを向いた。やっぱり彼女にはそんな選択肢、思い浮かびもしなかったみたいだ。
「そうだけど! しちゃダメだけど! でも今はそんなこと言ってられないでしょ!? 自転車なら、2人乗りなら間に合うかもしれない! あなただって遅れたくないんじゃないの!?」
「…………!」
女の子は少し黙ったあと、鼻をすすり上げて立ち上がる。そしてわたしの後ろ、スカートを折るようにしながら自転車の荷台に素早く腰かけた。
「おねがいしても、いいですか」
「当たり前だよ! 頼んないかもだけど、わたしの腰しっかり持っててね? あとスカートが巻き込まれないように気ぃ付けて!」
「う、うん」
彼女は頷きながらわたしの腰を抱くように胸を寄せた。細い腕。背中にくっつく制服の胸元。服越しなのに人肌のぬくもりを感じる。それが春の日差しと相まって、わたしのやる気を何倍も底上げする――。
「よし、いくよっ!」
2人乗りをするのは初めて。だけどひとりのときより力強く、春風になるつもりでわたしはペダルを踏みしめた!
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