番外編:ずーっと、わたしたちは!


「ん……」


 ゆっくりと瞳を開けると、ぼやけた視界は未だ薄い暗闇だった。畳の香り、慣れない布団と枕の感触。すっかり痛みが引いた足に貼られた湿布。わたしはここが家じゃないことを今1度実感する。


 あのあと、先生たちが脱衣所に来たからしょうがなくお風呂から出て、部屋で吉井さんや奥田さんと色々遊んだ。トランプとか奥田さんが持ってきてたツイスターゲームとか。布団に入ったあとも中学生らしく恋バナをしてたけど、結局そのまま全員寝てしまったみたいだ。


 わたしと千草ちゃんは奥田さんに関係を明かしたし、奥田さんも自分が広峰届春とはるさんっていう先輩に恋してることを打ち明けてくれた。まあ、わたしたちが付き合ってることは半分バレてたようなものだし、奥田さんの告白も覗き見してたしでお互いにあんまり驚きはしなかったけど。


 どうやら吉井さんにも誰か好きな人がいるみたいだけど、頑なに口を割らなかった。『このことは運動場まで持って行く』らしい。千草ちゃんはそれを聞いて『それを言うなら墓場でしょ、どんな秘密なのよ』と呆れてたっけ――。


 そう、千草ちゃん。わたしはごそりと布団にくるまったまま隣を見る。ふと、大好きなあの子の透き通った匂いが鼻をくすぐる。暗闇になれてきた目が彼女の輪郭を捉えていって、小さな寝息と共にわたしに五感に飛び込んできた。


「かわいいなぁ」


 思わず呟いてしまう。わたしの寝顔は見られたことがあるけど、千草ちゃんのそれを見るのは初めてだ。暗闇でもツヤのあるまつ毛と髪の毛、薄く開いたくちびる。ここまで無防備な千草ちゃん、なんだか新鮮だった。


 恋人と一緒の部屋で寝泊まり。どうなることだろうと思ってたけど、吉井さんの『恥の上塗り作戦』はてきめんだったみたいだ。あとでお礼言わないと。


 でもまあ当然というか、お風呂で裸見合ってキスなんてしたら寝泊まりくらいなんてことないよね。


 なんて思いつつ、わたしは千草ちゃんのくちびるを注視した。3回目のキスがまだだし、レクリエーション2日目でできるとも限らない。でも、勝手にしちゃまずいよね。されそうになったことあるけど。


 まあいっか、とりあえずこっそり手でも握ろうかな。と千草ちゃんの布団に手を突っ込もうとすると、彼女の身体がごそりと動いた。そして閉じていた瞳がぼんやりと開いて、わたしの顔を覗く。


「……あれ……こみさん……おはよ。はやいねぇ」


「お、おはよっ」


 あくびまじりで、力の抜けた声。ヘアピンでとめてない前髪が乱れてる。すごい、めっちゃかわいい。寝起きの千草ちゃんは数歳くらい幼く感じて。わたしの胸のきゅんきゅんは止まらない。だから言っちゃう。わたし言っちゃう。


「あの、千草ちゃん……キス、しませんかっ」


「い、いまぁ?」


 流石のふにゃふにゃ千草ちゃんも驚いたのか上半身を起こして目を丸くしたけど、吉井さんと奥田さんがまだ寝ているのを見て、『まあ、あそこでならいいけど……』と襖の向こうを指さした。


「やった、いこっ」


「もう、朝からキスなんて……。ロマンチックだけど……」


 旅館とかホテルによくついてる、窓際にある謎のスペース。吉井さん曰く『広縁』っていうらしい。そこまで暗がりの中、わたしと千草ちゃんは手を繋いでこっそり畳の上を歩いた。


 そして襖に手を掛けてがらりと引いたとき、ぱあっと目に眩しい何かが差し込んでくる。朝日だった。丁度登り始めた淡い光が、一面の窓から広縁とわたしたちを照らしていたのだ。


「わぁ……」


「すご……きれい……」


 肌寒い板張りの廊下。窓の先に広がる若葉と葵染山。その向こうに燦然と輝き始めた太陽。わたしも千草ちゃんも思わず感嘆して、手を繋いだまま朝日をじっと見上げていた。


「ねぇ千草ちゃん。また……さ。2回……、ここに来ようよ」


「2回? どうして?」


 わたしが不意にそう提案すると、千草ちゃんは首を傾げる。


「1回目は今年の冬にさ、吉井さんも奥田さんも誘ってスキーしに来たいなって。2回目は来年の今くらいの時期に……。2人だけで来よっ。それで……葵染山の頂上に次こそ登って――、この朝日もまた、2人で見れたらいいなって……」


「ふふっ。いいね、それ――」


 千草ちゃんはわたしが大好きな笑顔を浮かべて大きく頷いた。薄い橙の光の下で、一輪のきれいな花が咲く。


「でも、なんなら2回だけじゃなくてもっと来たいね。毎年とか、そうでなくとも何年かに1回とか。ずーっと、続けたいな」


「たしかにっ。だったら、わたしたちがおねーさんになっても、おばちゃんになっても、おばあちゃんになっても……。2人だけで、来よう。この朝日のために!」


「だね。約束――ってより、『誓い』かな」


「うん、『誓い』――」


 千草ちゃんがちょっとかがんで。わたしがちょっと背伸びして。肩を寄せ合い、瞳を閉じて、くちびるを近づけて――。そっと、3回目のキスをする。


 始まったばかりのわたしたちの恋は、登り始めたばかりの太陽に祝福されるみたい。だから、わたしはその太陽に更に誓うんだ。


 ずーっと、千草ちゃんと一緒にいる。辛いことも嫌なことも喧嘩するときもあるかもしれないけど――。健やかなる時も病めるときも、わたしは千草ちゃんを愛し続けるんだって。


 千草ちゃんから伝わってくるぬくもりは、言葉を介さずとも『私も同じだよ』と告げているようで。わたしは身体が浮き上がりそうなほど嬉しくなる。その心に触れるたび、わたしの心まであったかくなる。


 あなたに出会えてよかった。あなたを好きになれてよかった。ひねりも何もないけれど、素直に本当に、そう思った。


 *


「あーあー、バス乗った途端、同時に寝ちゃってさぁー。よっぽど疲れてたのかねー」


「まー、2日目はどっとちゃんも大活躍だったし? あの子が作ったカレーと卵焼き、大人気だったし。膝子さんもそのサポートしつつ副委員長のあれこれで忙しそうだったしさ」


 通路を挟んで向こう側の席に座る2人の少女を見て吉井美里はにやにやと笑い、奥田瑠衣は頭の後ろで手を組む。


「それよりさ、使徒子さん。あれ、いーの? 下手しい他の子たちにバレたりしないかなぁ?」


 お互いにもたれかかるようにして眠る少女たちの手は、恋人同士がするように指先を絡め合って固く固く握られていた。


「ま、いいんじゃないの。みんなすぐ寝るよ、疲れてるんだし。そもそも、本人たちが幸せそうならそれが1番でしょ」


「あはは、そりゃそーだ!」


 ふたりでがははと笑い合って、美里と瑠衣は彼女たちから視線を外す。


「じゃあさ、使徒子さん。昨日言ってた好きな人のこと、教えてよ! 意外とさ、大人とかだったりするんでしょ」


「どーだろーねぇ。でも瑠衣ちゃんが先輩とのラブラブについて詳しく語ってくれるなら、教えてあげてもいいかも」


「ほんと? じゃあねぇ――」


 少女たちを乗せて、バスは元の町に帰っていく。彼女たちの恋と愛の道行と同じく、迷うことなく穏やかに。

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小実ちゃんは今日もあの子の机を。 百合砲台 @hatimitukudasai

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