第12話 前を向いて、乙女たち
いつまでそうしていただろうか。
ぴろぴろぴろと急に電子音が部屋に響いて、私たちは同時に我に返った。その音の根源は私のスカートのポケットの中、スマホからだ。
「で、電話……!」
「えっ! あ、うんっ!」
焦ったみたいな声を出して、密着していた四ツ足さんの身体がばばっと離れる。部屋の温度は変わってないのになんだか物凄く寒くなった気がした。でも全身に残った四ツ足さんの感触が今までやっていたことを思い出させて、ちょっと冷静になった私の顔は燃えるほど熱くなる。
そうしつつもたもたとポケットの中からスマホを出してる間に着信音は切れてしまったけど、代わりにスマホの画面が灯る。電話も、LINEの通知もお母さんからだった。
『千草、あんたどこ行っちゃったの? 昼から服買いに行くって言ったでしょ?』。
あっ、と私は思わず立ち上がる。そういえば美里ちゃんが家に来る前にお母さんとそんなことを約束したのを忘れていた。
ほんとは名残惜しい。このまま時間が止まって四ツ足さんとずっと一緒にいたい。だけど約束を破るわけにもいかないから、私はおいとますることにした。
「ごめん四ツ足さん。お母さんと買い物行くから私もう帰らなきゃ……」
「そ、そうなんだ……。ならしょうがない、ね……」
途端にしょんぼりとする四ツ足さん。その小さな身体をまた抱きしめたくなったけど、堪えた。四ツ足さんはそのまま玄関口まで私を見送ってくれる。
「それじゃ、おじゃましまし――」
「あのっ、うるしさん!」
ドアノブに手を掛けた私の後ろ手を四ツ足さんがぱしりと掴んだ。何事かと振り返ると、四ツ足さんは私のカーディガンの袖に指をそわそわと這わせながら、勇気を振り絞ったみたいに一息で言った。
「あさって……また……学校でね……!」
「! ……うん。またね、四ツ足さん!」
ゴールデンウィークが開けたら学校、来てくれるんだ。そんな『またね』の響きにどうしようもなく心躍らせながら、四ツ足さんの家から1歩出る。途端に光が目に差し込んできて、思わず空を見上げた。
雲一つなくて、眩しい。生まれて13年目、わたしは今までで1番青い空と、1番眩しくてあったかい太陽を感じた気がした――。
「晴れ晴れした顔してんねー、千草ちゃん」
「わっ!?」
と、そんな声。道路の向こうから自転車を押した美里ちゃんがのんびりと歩いてきていた。
「どっちががヘタれるか、邪魔が入るかでこれくらいには出てくるだろって思ってたけどバッチリだね。あ、はいこれ千草ちゃんの自転車。鍵閉めずにでスーパーに置いてたからここまで持ってきといたよー」
「美里ちゃん……」
「なにー?」
友人の顔を見る。美里ちゃんはにやにやと眼鏡の奥の目を細めて朗らかに笑ってたけど、私はいたたまれなくなって頭を下げる。
「……ほんと、何もかもごめんなさい。色々とありがとう」
「なーに、いいってことよ。そもそも私の責任でもあるからねー。小実ちゃんが学校来なくなったのって、多分だけど私と千草ちゃんの関係に誤解してたからとかでしょ?」
からから、と豪快に美里ちゃんは笑った。
「あとは、友達だしね。千草ちゃんとも、小実ちゃんとも。だからちょっとくらい協力したくなるもんよ」
「友達ったって……私は迷惑しかかけてないでしょ」
どうやらゴールデンウィーク中、美里ちゃんは四ツ足さんの家を探してたらしい。大まかな予想を付けて、なおかつ四ツ足さんが毎週日曜日の昼にスーパーに買い物に行くって話を以前聞いてたらしい美里ちゃんは私を連れ出したそうだ。
ほんと……、この子はなんでこんなにも、他人のために動けるんだろう。四ツ足さんといい、美里ちゃんといい、私の周りにはやさしさを惜しみなく使って生きてる女の子が多くて、自分がちっぽけに感じてしまう。
「だからいいっていいって。友情の証にまたジュースでも奢ってよ。それよりも千草ちゃん、早く帰んなくていいの?」
手をぱたぱた振って笑う美里ちゃんにそう指摘されて、またお母さんと服を買いに行くことを忘れたことを思い出す。もっと話したい気持ちはあったけど、私は大急ぎで美里ちゃんが持ってきてくれた自転車に跨った。
「明後日、奢るから。ジュース! じゃあね、美里ちゃん!」
「はいはーい。そうだ、千草ちゃん。もうひとつ――」
立漕ぎしながら振り返ると、眩しすぎる太陽の下で遠くの美里ちゃんはこっちに向けて拳を突き出して大声で叫んでいた。
「小美ちゃんのこと、もう悲しませちゃダメだよー!」
「わ……! わかってるー!」
ほんとに、わかってる。もうあんな過ちは犯さない。もう2度と四ツ足さんのあんな顔は見たくない。笑顔が見たい。あの笑顔に早く会いたい。明日にまた会いに来る勇気は恥ずかしくてまだ私にはないけど。
でも明後日、学校が始まる日へ向けて。私は力強く自転車を漕ぎだした。
*
「……ねぇ、お母さん」
「なに?」
晩御飯を作ってるキッチンのお母さんの背中に向けて、わたしはゆっくりと声を投げかけた。
あのあと。漆さんを見送って、買い物に行ってないことを思い出したわたしは大急ぎで家から飛び出した。すると家の前に何故か吉井さんが立っていて、「近くのスーパーに自分の自転車を置いてきちゃったから一緒についてきてほしい」とか何か訳のわからないことを言い出したのだった。
理由を聞いても答えてくれなかったし、わたしの自転車で2人乗りして行った方が速いと言っても「そこは千草ちゃんの特等席だから」とやたら頑なに断られた。
だけど2人並んでスーパーに向かう途中、吉井さんはわたしに謝ってきた。漆さんと知り合いだったこと言ってなくてごめんって。勘違いさせてごめんって。
確かにあれで学校に行けなくなっちゃったわけだけど。結局何も聞かずに勝手に勘違いしたのはわたしだから、悪いのは吉井さんじゃない。そう伝えても吉井さんは申し訳なさそうだったので「ジュース奢ってくれたら許す!」ってふざけて言ったら吉井さんは心底面白そうに笑った。
そんなこんなで吉井さんからスーパーでジュースを買ってもらい、買い物も済ませたあと。吉井さんは自分の自転車に乗りながらわたしに向かって別れ際こう言った。
「千草ちゃんは昔からしっかり者のようで抜けてるし、実は結構泣き虫だからさ。がんばんなよー?」
「……うん、知ってる。わたしもあんな思い、もう漆さんにしてもらいたくない」
走り去っていく吉井さんを見ながら、漆さんの涙を2回見て、入学式の日に1時間遅刻したことを知ってるわたしは小さく決意したのだった。
で。今は家に帰ったあと、お母さんも帰ってきて――というところ。
「心配かけてごめん。明後日から、学校行くよ。わたし」
「あら、そう」
お母さんは何気ない口調で言ったけど料理をいったん止めて、わたしの方へ振り返った。
「あといつになるかわかんないけど……ひとり、いやふたり……。女の子、家に連れてくるかも」
「なーに? 友達?」
「ううん……違う……」
わたしの返答に怪訝そうな顔を浮かべたお母さんの前でしばし思案する。
吉井さんは友達で。漆さんは……か……か、かのじょ……? でいいのかな? そんなことを思うと耳の先まで熱くなってくるけど、流石にそれをお母さんに今言っていいのか迷って。
「親友、親友の子たち!」
結局、しどろもどろになってそう叫ぶ。するとお母さんは「来るときになったら言ってね。お母さん気合入れておもてなしするから」とちょっと安心したみたいに笑った。
そんな顔、いつ以来だろう。少なくともわたしが小学生だったころには見れなかったお母さんの笑顔だった。
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