第11話 からだふたつ、おもいひとつ
「……漆さん、どう? ちょっと落ち着いた?」
部屋の電気をそっと付けながら聞くと、漆さんは俯いてこくんと頷く。
5分後。誰もいないわたしの家へ、更にいうとわたしの部屋。漆さんはクッションの上で身を縮こませるみたいに体育座りしていた。
「うん、ならよかったよ。じゃ、わたしお茶でも汲んでく――」
どうやら漆さんの涙も止まったみたいだし、わたしは最低限のおもてなしはしないととドアに手を掛けた、そのときだった。
「待って……四ツ足さん……」
漆さんに呼び止められる。普段の彼女らしくない怯えきった子どもみたいな震えた声。なんで漆さんがそんな声でわたしを呼ぶんだろう。わたしのこと泣くほど嫌ってるはずなのに。
「私……先にこれだけ伝えておかないと……」
漆さんの話したいこと。罵詈雑言か、絶交の啖呵。ビンタの1発くらいはかまされてもおかしくない。
やだよ。怖いよ。でも、自業自得だった。漆さんを傷つけておいて、ここまでずるずると引きずったのはわたしなんだから。
分かってる。わたしは好きな女の子に拒絶されるのを1秒でも遅らせたくて、なにか理由を盾にして逃げてたんだ。漆さんから先に切り出してくれるのを待ってたんだ。女性同士の恋をどう思うか聞かれたときとおんなじで。
だったらせめて。償いには全然足りてないけど、漆さんに拒絶される前に謝るくらいはしないと。ぐちゃぐちゃの心を無理やり崩れないようにまとめて、わたしは漆さんのそばのフローリングに座った。
「ごめん……わたしから先に言わせて……漆さん。漆さんが言おうとしてることより先にわたしが言わなきゃ。もう遅いかもだけどさ……」
声が震えて、呂律が回らない。右手も小刻みに震えていた。
でもなんでかそれを聞いた漆さんの整った顔つきは、あのときより悲壮に引きつっていた。なんでそんな表情するの? 悪いのは手を払ったわたしで、漆さんはただわたしのことを純粋に心配してくれていただけでしょ?
「そんな……そんなことしないで……。お願い。どんなこと言われてもいいから、四ツ足さん……私に……」
だけど漆さんはわたしにすがりつくみたいにして手を伸ばす。その手もわたしに触れる寸前でぴたりと止まって、そのまま力なく床に落ちた。
「あのときのこと、
「……え?」
一瞬、自分の耳を疑った。でも漆さんの口ぶりからして嘘を言ってるわけではなさそうで。
「ちょっと待って、なんで漆さんが謝るの……!? 怒るの間違い? 漆さんなにも悪いことしてないでしょ? わたしがあのとき叩いちゃったせいでこうなったんだから謝るのはこっちだよ」
「……!」
漆さんは信じられないとばかりにわたしを見た。でも、すぐさまその瞳に影を宿して視線を逸らす。
「怒るなんて……そんなわけ……。あのときは私がやりすぎたから、頬ずっと触ってたから。それが嫌で四ツ足さんはああしたんだよね……? だったら四ツ足さんの方こそ悪くないじゃない……」
「え……」
もしかして、わたし――。頭の中で何か電流みたいなものが走ったのと同時に、わたしは床に投げ出されたままの漆さんの手を包むように握りしめていた。
「……嫌なんかじゃないよ。漆さんに触れられて嫌になるわけないじゃん……!」
「そんな、嘘……」
「嘘じゃないよ、ほら」
身を漆さんに近づけて、漆さんの右手をわたしの心臓付近に強引に押し付ける。漆さんは驚いたのか潤んだ瞳を丸くして手を離そうとしたけど、意地でもそこは振りほどかせない。
「漆さん……。心臓がどくどくしてるの、わかる? わたし、漆さんのそばにいると、漆さんに触るとずっとこうなっちゃうの。だからほんとは嬉しかったんだよ。心配してくれて、頬撫でてくれて」
身体の温度が増していく。上着越しだったけど、わたしの心臓の音はあのときと変わらず痛いほどに高鳴っていた。それは漆さんにも届いたらしい。彼女の頬が少し赤らんでいるように見えた。
「だったら……」
「……うん、嬉しすぎたんだ。これ以上、漆さんに触れられてるとどうにかなっちゃいそうだったの。だから手を払っちゃった……。ごめん。ごめんなさい。漆さんを傷つけて、なんの説明もせずにそのときも逃げて。2週間も経って今頃謝るなんて……」
「そっか……そうだったんだ……」
言葉を考えてる余裕がなくて支離滅裂だったかもしれないけど、全部が本心。ようやく謝れた。わたしは頭を下げて、漆さんの返答を待つけど、戻ってきたのは予想以上に暖かい声色だった。漆さんの表情は、なんだか憑き物が落ちたみたいに光が戻り始めていた。
「うん……なんて謝ったらいいかわかんないけど……」
「……もう大丈夫だよ。四ツ足さんの気持ちは分かったし、それに私もおんなじだから」
そういうと漆さんは左手を不意に伸ばしてきてわたしの右手首を優しく掴んだ。そしてわたしが漆さんにやってるように、自分の胸元に押し付けたのだ。手を交差させて、お互いの胸に触れている形になる。
「ちょ……漆さん……!?」
予想外すぎて、一瞬にして顔が熱くなった。困惑して身じろぎするけど、漆さんは手を離さない。だから、わたしの手のひらにはありありと伝わってきた。カーディガン越しでも感じる漆さんのふくらみと。どくんどくんとかなり早いリズム、かなりの大きさで響く心臓の鼓動が。
まるっきりおんなじだった。この胸で動くわたしの心臓の音色と、漆さんのそれは。
「いっしょ……」
「うん、一緒なの……。私も、四ツ足さんといるとどきどきする。あっちこっちに触りたいってずっと思ってる」
え。また耳を疑いそうになるけど、でも漆さんの心臓が一層どきりと鳴って真実だと思い知らされる。
「だからあのとき、どうしてもその気持ちが抑えられなくて。心配する体で頬を触っちゃったの。四ツ足さんが嫌がるかも、とか一切考えてなかったの。自分中心で動いてた。だから私も2週間、謝れなかった……。本当に、ごめんなさい」
「そうだったんだね、漆さんも……」
ひとつひとつ紡ぎ出すみたいな言葉だったけど、それは漆さんが心のままを話してくれていることの現れに受け取れた。
大きく溜まっていたもやもやが抜けだしていく気分だった。うれしい。素直にそう思う。けれど震えは止まらない。わたしの中ではまだ引っかかってることがあった。でも今言うべきじゃない。その理性とは裏腹にわたしの口は、漆さんにぶつけるみたい声を発していた。
「……じゃあ漆さん、吉井さんにもこうなるの……?」
「え? なんでそこで美里ちゃんが……?」
漆さんは瞳を丸くした。吉井さんの名前が出てきた理由が本当に読み取れてないといった風だ。
「だって、ほら……そんな感じで漆さんと吉井さん、名前で呼び合ってたじゃん。付き合ってるんじゃないの……?」
「ええええ……。美里ちゃんとはただの友達だよ? 小学校が一緒で仲良かっただけで……」
わたしが視線を下にずらしてぼそぼそと言うと、漆さんはびっくりしたような口調で弁明した。
「ほんとう……?」
わたしは漆さんの瞳を見上げて続けた。こんなこと言いたくない、信じたい。自分のみみっちさに嫌になる。でも漆さんはそんなわたしも優しく受け入れてくれる。
胸元に触れて、触れさせていた漆さんの両手がどけられて。漆さんは体育座りを崩してわたしに身体を密着させた。身体と身体が、心臓と心臓がぴったりくっついて。そして漆さんは両手をゆっくりとわたしの背中へと回した。
「こ……これで、信じてくれる?」
匂いも、声も、体温も、何もかもが今までで1番近い。わたしの五感が全部漆さんで染まってしまう。
わたし、漆さんに抱きしめられてるんだ。そう理解した瞬間に何かが溢れかえっちゃいそうで。漆さんの感情がモロに伝わってきてわたしの目頭が熱くなってくる。
「私、そもそも誰かと付き合ったことなんてないよ。それにどきどきするのも四ツ足さんにだけだからね……?」
「……うん、信じる……。信じるし、わたしも、おんなじ。漆さんにしかこうならない……」
「ありがとう……うれしい……」
耳元で囁くかすかな声に何度も頷きながら、わたしも漆さんの背中に手を回す。背の小さいわたしは漆さんの胸元に顔をうずめることしかできなかったけど。でも、あったかい。漆さんの体温とわたしの体温が混じり合って、72度くらいになってしまいそうだった。
「……ねぇ四ツ足さん。私たち、似たもの同士なのかもね……。おんなじ日に遅刻して、おんなじようなこと思ってて、おんなじような勘違いしてて……」
「うん、わたしも同じこと思ってた。あのときも、こうやってもっとちゃんと話したらよかったね……」
2週間。ただ逃げ続けたあの2週間、ずっとまともにできてなかった呼吸が、今ようやくできた気がした。
そう。わたしたちは、ふたり。見た目も性格も全然違う。学校の成績もわたしと漆さんじゃ大きな差がある。
でも、今はひとつ。抱き合って、身を寄せ合って。こんなにも傍に感じる漆さんの心臓の鼓動が、私のと重なってひとつのリズムになっていた。お互いがお互いに勘違いして、お互いがお互いにどきどきして。
だから、恥ずかしくて声には出せないけど。わたしが今感じてることと――、漆さんが考えてること、一緒ならいいな。
ずっとこのまま――こうしていたいな、って。
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