第13話 わたしと手と手と漆さん


 ゴールデンウィークが明けて待ちに待った5月6日の朝。わたしはいつもより30分以上早く学校に着いた。理由は単純明快。漆さんに早く会いたかったからだ。


「まあ、漆さんがこんな時間に来てるわけないんだけどね」


 真面目な漆さんといえど、登校時間はここまで早くない。とはいえ来ちゃったものしょうがないから、駐輪場へ向かう。この中学校で自転車通学の生徒はかなり少ないので駐輪場はがらんとしていた。


「あっ……」


 柱の影に隠れるように立っていたひとりの女の子以外は。ヘアピンで前髪を分けた、いかにも優等生って感じの女の子以外は――。


「よ、四ツ足さん……。おはよう……!」


 わたしが来たのを見た途端、ぱあっとその女の子の顔に笑顔が灯る。道路に咲く花のような可憐な笑み。わたしが恋焦がれた笑顔。わたしが好きになった女の子、漆千草さん。


 2日ぶりだからかな? 漆さんは一層きれいで、きらきら光って見えた。


「おはよ……っ! 漆さん!」


 とりあえずあいさつを返して自転車を止めると、漆さんはおずおずとわたしに歩み寄ってきた。間違ってたら恥ずかしいけど、これってまさか。わたしは恐る恐る漆さんに伺ってみる。


「……もしかしてだけど漆さん、わたしを待っててくれたり……?」


「……うん。一緒に教室まで行けたらいいなって……」


 わたしの心の中にも、一輪の花が咲いた気がした。


 *


 漆さんとこうやって一緒に並んで廊下を歩いていると、奥田さんの告白を見ちゃったときのことを思い出して、なんだかもっとどぎまぎしてしまう。右側をちらりと見上げてみると、漆さんもそんな感じみたいで何かしら思いつめてるみたいな表情だった。


 と、少し前を歩いていた上級生たち数人が教室に入っていった。廊下に朝の冷たい風が吹く。わたしたちの周囲には誰もいなくて、なおかつ1年生の教室まではまだ少し先だ。


「…………」


 そのとき、漆さんの左手がわたしの右手にわずかに触れた。気のせいかと思うけど、続けて2、3回ちょんちょんとわたしの手に指先が当たる。


 これ、もしかして。わたしは神妙な顔して俯いてる漆さんに平静を装って聞いた。


「漆さん……手……繋ぎたいの……?」


「……っ!」


 びたあっ、とその場で立ち止まり、漆さんは目をまん丸にしてカーディガンの袖で口元を抑えた。綺麗な顔がどんどん上気してきて、露出したおでこまでピンク色になったところで漆さんはふにゃふにゃと頷いた。


「四ツ足さんが嫌じゃなかったら、だけど……」


「そんなことあるわけないよ。ねっ、繋ごっ」


 わたしだってそりゃあ漆さんと登校したいし手も繋ぎたかった。でもやっぱり断られるのが怖くて切り出せなかったんだ。


 だからこうやって勇気を振り絞ってくれた漆さんには感謝してもしきれない。そんな彼女をこれ以上不安にさせたくなくて、わたしは漆さんの手をそっと取った。


 わたしの右手と漆さんの左手。手のひら同士を合わせる至って普通の繋ぎ方。前やったときもそうだったし、今回も漆さんが望んでるのはこれだと思っていた。


 だけど漆さんは違った。自分の指を、わたしの指の間に滑り込ませてからぎゅっと手を繋いできたのだ。人差し指から小指まで全部。今まで一番密着した手のひらは温度どころか、お互いの手の線すら感じ取れそうなほどだった。


「え、え、え、え、え、え?」


 これっ……これっ……恋人繋ぎ……!?


 わたしはばくばくいい出す心臓と全身が発火しそうなほど熱くなるのを感じながら、漆さんを見上げる。当の漆さんはおでこを真っ赤にしながら、わたしの方へじっと静かに瞳を向けていた。


 クラスで真面目な副委員長やってるときには、1回だって見たことのなかった表情。恋人繋ぎと呼ぶには少し力強く握られて、軽く震えを持った手。


 それに対してわたしがやることはひとつだ。笑顔を浮かべる。優しく、でも負けじとちょっと強く。漆さんを安心させるべく恋人繋ぎで返す! そして歩き出す!


「えへへ、ちょっとびっくりしちゃったや。行こっかぁ」


「……うんっ」


 漆さんはそんなわたしに紅潮した顔で満面の笑みを浮かべた。途端にきゅーんとこみあげてくるこの感情、漆さんが好きだってこと。全部声を大にして叫びたかったけれど、なんとか我慢して代わりに心で吼えるにとどめる。


 ああ、世界中のみなさん。今日という日、多分世界で1番幸せな気分になっているのはわたしだ。


 そしてわたしの横で手を繋いでいる女の子が同率1位か、2番目に幸せだったらとっても嬉しいな。


 そんなことを思った、あまりにもあったかすぎる5月の朝なのだった。


 *


「おはー。しっかしおにあいだねー。ひゅーひゅー」


「!?」


 そんな感じで幸せマックスで手を繋いだまま教室に入ったところ、なぜか既に教室に1番乗りしていた吉井さんににやにやと小声で笑いながらからかわれた。


「オハヨウゴザイマス。イッツモオソイノニキョウハハヤインダネヨシイサン」


 びっくりしすぎて、オンボロの機械みたいな声を出すわたし。さしずめ机運びロボ? まあ漆さんの机、この2週間以上見てすらいないんだけど……。


 とはいえ驚いたのは漆さんも一緒みたい。あと吉井さんはわたしたちの事情をある程度知ってるとはいえ、漆さん的にも彼女の前で恋人繋ぎは無理みたいで、既に手は解かれている。いつも通りの透き通った匂いがするくらい近くで立っているけど。


「いやー、邪魔するつもりじゃなかったんだよ? 千草ちゃんたちがどうなってるか気になっただけでさ。おっぱじめるなら出てくから、気軽に言ってよ」


「え? おっぱじめるってなにを?」


「そりゃーあれでしょ。〇〇××△△……」


「ばかっ! 美里ちゃん!」


 吉井さんが聞きなれない単語を呟きだした瞬間、漆さんの顔がりんごみたいに更に赤くなって、勢いのままに怒りだした。珍しくてびっくりする。漆さんがこんな風に声を荒げるなんて。


「ごめんごめん、冗談だってばー。でも知らなかった、千草ちゃんって意外とあれなんだねー。すけべ?」


「もうっ! 美里ちゃん!!!!!」


 吉井さんが更にからかうみたいに言うと、漆さんは両手を振り上げながら吉井さんを追いかけまわし始めた。


 そんな、きゃーきゃーいいながら教室を走り回る2人を見ながらわたしはちょっと胸の内がモヤついていた。


 やっぱり、違うなぁって。わたしと話してるときと、吉井さんと話してるときの漆さんはなんか違う。小学生の頃から友達ってことは大体2人には6年以上付き合いがあるはず、なんというか親し気なのだ。


 それに、名前で呼び合ってることはすーごく気になる。漆さんとすれ違った原因のひとつだから蒸し返したくないし、やめてとも言えないけど。でも、今なら? この混乱に乗じてわたしも漆さんのことを――。


「あ、膝子さん! 吉井っち! 四ツ足さん! もう来てんの? はやいじゃーん!」


「ほんとだーおひさー! 膝子さんにはおひざーって感じ?」


 とそのとき、教室のドアががらがらっと開いて女の子たちが数人入ってきた。漆さんと普段仲がいいクラスのトップの女の子たちだ。ちなみに『漆』と『膝』の漢字が似てるからか、漆さんはクラスだと『膝子さん』ってあだ名で呼ばれてる。


 あだ名……いいなぁ。わたしは漆さんのことを膝子だか膝小僧だかみたいな名前間違いか馬鹿にした感じのあだ名で呼びたくはないけど。でもわたしだけが漆さんって堅苦しく呼んでるのはなんかちょっと気にしちゃう。


 そしてそんな友達たちに囲まれて漆さんは教室の前の方に連行されてしまった。吉井さんも彼女たちと混ざって楽しそうに話してるから、しょうがなくわたしは独りぼっちで自分の席に座る。名前呼びチャレンジなんてできるわけもなかった。


「……うるしさん」


 世界幸せランキング1位なんて、既に転げ落ちて。なんだか胸にちょっと重たいものを抱えながら、わたしは漆さんの熱が未だ残ってる左手を見つめるのだった。


 

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