第14話 わたしと と漆さん
「はあ……」
3時間目の授業終わりの休み時間、わたしは遥か遠くの漆さんの背中を見ながらため息をついた。
授業ごとにあるこの時間を活かして何度も漆さんの席まで行っておしゃべりしようと思った。でも彼女の周りには誰かしらクラスメイトがいて、わたしは近づくことすらできなかった。
お互いがお互いにどきどきしてる、そう分かったとはいえ。そもそも副委員長の漆さんと影の薄いわたしではクラスでのカーストに差がありすぎるのだ。入学式の日にあんな形で出会わなければ話す機会なんて全く訪れなかったんじゃないかと疑ってしまうくらいには。
あー、漆さんが男の子とも話してる。心がきゅるきゅるって絞られて、ちくちくと針でつつかれたみたいに痛くなった。奥田さんも漆さんと仲がいいから一緒に話していて、それを見るたびに『なんで漆さんと話すの? 奥田さん、先輩と付き合ってるんじゃないの?』と、むかむかしていらいらして、なんだか涙まで出てきちゃいそうになった。
「……ね、ねえ吉井さんっ。吉井さんってあの日以外さ、ゴールデンウィーク何してたの?」
だから漆さんから視線を逸らせて、前の席の吉井さんにわたしは話しかける。吉井さんはちょっと面食らったような顔をしながら振り向いた。
「あー、うん。毎日自転車で走り回ってたかなー。元から太い足が5倍くらい太くなりそうだった」
「そんな太くないと思うけど……でも意外。吉井さんってインドアなタイプかと思ってたよ」
吉井さんはにやにやっとスカートを指でつまみ上げながらわたしに太ももを見せびらかしてきた。彼女はわたしとおんなじくらい運動も勉強もできないから、ちょっと驚く。と、そのとき。
ちらり、と。わたしを見つめている視線に気づく。教室の窓際の方から送られてくるそれ。わたしは顔を上げてそっちを見た。
「あっ……」
対角線上、漆さんの澄んだ瞳とばっちり目が合う。一瞬、呼吸が止まって視界が煌めいて彼女だけになる。でも漆さんは慌てたようにわたしから目を背けて、また奥田さんたちと話し始めた。
「小実ちゃん?」
「あ、ごめん。なんの話してたっけ」
吉井さんの声で世界が元通りになった。わたしだけずっと見ててほしいのに。と漆さんに抱いてしまうわがままな不満と。羨ましい、あんな風に漆さんとわたしだって話したいのに。奥田さんたちにしちゃうむかむかは増す一方だった。
「弱虫ペダルごっこしてたら私の足が戸愚呂弟並みにムキムキになったって話?」
「絶対違うと思う」
そんな風に吉井さんと話し出すと、また漆さんの視線を肌に感じた。たまたまかな? 顔を上げたくなる。また目を合わせたくなる。でも、そのあとさっきみたいに目を逸らされて他の子と話されると悲しくなるだけなので、やめた。
一昨日抱きしめ合ってあれだけ縮まっていた距離。今朝恋人繋ぎをしてあれだけ縮まっていた距離。
今は、手を伸ばしても届かないくらい遠くに感じていた。
*
「はあ……」
ため息をつくと幸せが逃げるっていうけれど、その言葉が正しいってことが身に染みてわかった。漆さんへの想いが消えないまま不信感だけが募って、色々ヘンになりそうだった。
今は昼休み。わたしはいつも吉井さんと一緒に教室でお弁当を食べているんだけど、今日は吉井さんがちょっと用事があるからごめん、とどこかへ行ってしまった。だから迷った挙句、屋上へ続く薄暗い階段へ腰かけてたったひとりで昼食を取った。
結果的に正解だったと思う。だって誰かと楽しそうにお弁当食べてる漆さんの姿をあまり見たくなかったから。
と、そんなことを考えてる間に結構時間が経ってたらしい。わたしの耳にチャイムが聞こえてきた。昼休みが終わって掃除の時間が始まるって知らせる目的の予鈴だ。
そっか。掃除だ、2週間ぶりに漆さんの机が触れるんだ。わたしはちょっと急ぎながら立ち上がった。漆さんとは全然話せていないけど。またすれ違ってるみたいだけど。それくらいはしてもいいよね?
「――あ、小実ちゃん! どこ行ってたの? 帰ってきたら教室にいないんだもん。びっくりしたよー」
「ごめんごめん。ちょっとひとりで食べてたの」
教室に戻って素早く体操服のズボンに履き替えてると、向こうにいた吉井さんが心配そうに駆け寄ってきた。
「あ、そうなんだ。よおし、じゃ掃除いこっかぁー」
「うん……、って吉井さん? わたしたち掃除ここだよね?」
吉井さんが伸びをしながら教室から出ていこうとしてるので、思わず呼び止める。わたしたちの班は教室掃除なんだからそうする必要はないはずだけど……。
「え? あ、小実ちゃん知らなかったの?」
吉井さんは途中で振り返って、黒板の端っこの方を指さした。そこには掃除当番の表が貼ってある。文字は遠くて読めないけど、あそこには5月の掃除当番が――。あっ、5月!?
「私たち、今月は靴箱掃除だよー」
その言葉はわたしにとってあまりに絶望的な響きで。膝から崩れ落ちてぶっ倒れそうな気分になった。
*
「あーあ、やる気なくなっちゃうよ……。」
「珍しいじゃん、あんだけ掃除んとき張り切ってた四ツ足が」
教室に比べてあんまりにも薄暗く感じる靴箱に来て、床をいじいじと掃いてると同じ班のギャル、矢崎さんが仏頂面で話しかけてきた。
「わたし、教室掃除がよかったからさ……」
「あーそうなんだ、なんで?」
「あ、う、いや……なんというか……」
恋してる子の机を運びたいからですとは言えないから、わたしはしどろもどろになって悶える。元からギャルと話す機会がないから余計に。
「そ、そ、そういえばさあ。前はわたしの靴箱、やたらちゃんと掃除されてたんだよねー。なんでだろ?」
だからあまりに無茶苦茶な路線変更をしてしまう。でも実際、4月中はわたしの靴箱は砂ひとつ残ってなくて、ピカピカに磨かれていたから嘘じゃない。そんなわたしに対し、矢崎さんはしばらく天井を見た後、ぽんと手を打った。
「あー、それ膝子じゃね? 加賀が言ってたよ、あの副委員長はやたら四ツ足の靴箱だけきれいにするって」
「え、漆さんが……?」
あんまり好きじゃないあだ名だとはいえ、漆さんの名前を聞いた瞬間声が上ずるのをわたしは感じていた。それに漆さんと、矢崎さんと仲の良い加賀さんは同じ班だから靴箱掃除だったはずだけど……でも……。
「ほ、ほんとなの矢崎さん……それ……」
「多分マジだと思うよ、少なくとも膝子はあんたのこと気に入ってんじゃない? だってさホラ、四ツ足が教室でぶっ倒れたときあったじゃん?」
おもむろに頷く。わたしが漆さんの白いあれを見てしまい、すれ違うきっかけになったあの日のことだろう。
「あのときも膝子、血相変えてさ。あたしが保健委員だし同じ班だから保健室に連れてくっていっても自分が連れてくって頑なに聞かなかったんよね。愛されてんねー、四ツ足」
「あ、あいされてる……」
矢崎さん的には何気なく使った言葉なんだろうけど、なんだかものすごく心がふわふわした。漆さんもわたしが机を運んでたみたいに、ここでわたしの靴箱を毎日掃除してくれていたんだ。保健室にも連れて行ってくれたのは漆さんだったんだ。
そっか、そうだったんだ。似た者同士、漆さんと仲直りしたときに話したことが思いだされて全身がぽかぽかとあったまってくる。
よし、と小さな箒ときれいな雑巾を持ってきて漆さんの靴箱の扉を開ける。漆さんは運動部じゃないから、中に入っている靴はまだ新品に近かった。
でも、漆さんの透き通ったミネラルウォーターみたいな匂いはほのかに漂ってくる気がした。そんな靴箱を心から丁寧に掃いて、磨く。
全然話せなくても、むかむかして胸が苦しくなっても、教室掃除じゃなくなっても、漆さんの机を触れなくなっても。うん、わたしが漆さんを好きだってことは変わらない。
だったらせめて、っていうのはおかしいかもしれないけど……やっぱりこれくらいはしてもいいんじゃないかなぁって思う。そうでもしないとわたしの中の漆さんが溢れちゃいそうだ。
「ねぇ吉井。あたしなんかやっちゃったかなあ。四ツ足急に張り切り出したんだけど」
「だいじょぶだいじょぶ。ファインプレーだよ矢崎ちゃん」
そんな声が聞こえてきたけど、掃除を続ける。わずかな砂とホコリを漆さんの靴箱から吐き出すたび、ちょっとだけわたしのモヤも晴れていったらいいななんてことを思いつつ。
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