第19話 私と甘口と四ツ足さん


「あの、四ツ足さん……!」


 体育が終わって着替えの時間。私はカッターシャツを頭から被って中でもぞもぞしてる四ツ足さんへ話しかけた。なぜこのタイミングなのかというと、彼女の顔が隠れてるから。


 あとでお礼を言いに行ったら頑なに否定されたけど、美里ちゃんと奥田さんに気を使ってもらって四ツ足さんとペアになれた。そこまではいい。


 でも故意じゃない (四ツ足さんへの気持ちは恋だけど)とはいえ、背中に胸を押し当てて、誰かに見られるかもわからないのに後ろから抱き着くなんて流石にやりすぎだ。挙句の果てに告白未遂までしてしまうし。


 着替える前に四ツ足さんも四ツ足さんで、私のパンツを見て倒れたという衝撃の告白をしてきたし、この体育の授業は色々ありすぎた。


 ということであんまりにも申し訳ないのと恥ずかしいので四ツ足さんの顔を直視できなかったのだ。だけど、私はどうもこの気持ちを抑えられずにいた。


 もっと知りたい。四ツ足さんのことを。もっと一緒にいたい。それだけで身体も、行動も構成されている気がした。


「お昼、一緒に食べたり……してくれないかな……?」


「わぶ!? わたしでいいの!?」


 おずおずと提案すると、シャツの中のもぞもぞがもごもごに変わったのち中から嬉しそうな声。ほどなくして四ツ足さんの顔が覗いてにこっと笑った。髪の毛がポニーテールからおさげに戻ってるのもあって、無邪気な幼さが増してる笑顔だった。


「漆さん、いつも奥田さんたちと食べてるからそこは譲れないのかと思ったよ。もちろんわたしはおっけー。むしろ漆さんと食べたいのはこっちも一緒だし……」


「よかった。四ツ足さん……私とお昼食べたくないのかなって思ってたから……」


「えっ、そんなことないけどっ」


 私がほっとしたまま本音を呟いてしまうと、四ツ足さんはまた驚いたのか目を丸くした。ここまで聞かれてしまったらもう、心の中に秘めておいたことまで言わざるをえない。


「だって四ツ足さん、最近お昼は教室にいないでしょ? 美里ちゃんに聞いてもどこにいるかわからないって……。だから誘われるの嫌なのかなって……」


「……あ、そっか。ごめん。勘違いさせちゃってたね」


 それを聞くや否や、四ツ足さんはちょっと申し訳なさそうな表情を浮かべて、背伸びしながら私にこっそりと耳打ちしてきた。


「あんまり漆さんが誰かと楽しそうにご飯食べてるの、見たくなかったんだよね。奥田さんたちに嫉妬しちゃうから……さ……」


「あ……そうだったんだ。ちょっと納得……」


「うん……。わたし多分嫉妬深いタイプなのかも……」


 私が暴走して変なことやりがちなように、四ツ足さんにも確かにその傾向があるのかもしれない。でも赤面しながら心底恥ずかしそうにぽそぽそ言ってる彼女はとても可愛らしくて、また抱きしめちゃいそうになった。


「じゃあさ……。四ツ足さんがよければこれからもお昼は一緒に食べない? 奥田さんたちにはこのことも断っておくから」


「ほんと?」


 そんな暴走を必死に堪える代わりに、私も四ツ足さんの耳元で囁く。すると彼女の表情がぱあっと華やいだ。だから私は、更にその先へ踏み込んでしまう。己の暴走を止められたのはわずか数秒だけだった。


「うん、でもその代わり。誰も来ないところで、2人きりで食べたいな……なんて……」


「ふ、ふたりっきり……!」


 途端にまっかかになってふらふらとしだす四ツ足さん。私も全身がとんでもなく熱いから状況的には似たようなもの。自分から言っておきながら『2人きり』、その言葉は酔いしれるほど魅力的だった。


 *


「……じゃ、食べよっか。いただきますっ」


「うん、いただきます」


 そう言って私たちは階段に並んで腰かけて、お弁当の包みを開いた。ここは屋上手前の薄暗い階段。四ツ足さんはゴールデンウィーク明けからここでお昼を食べてたみたい。2人きりで食べる場所を探すときにそう言いながら案内してくれた。


「ねっ、ねぇ! ち、ちぐ……ち……ちぐ……」


 すると、肘と肘がぶつかるくらいの距離に座った四ツ足さんがなにやらぼそぼそ言い出した。


「なに? 」  


「ううん、なんでもない……」


 怪訝に思った私は彼女の名前を呼んでみるけど、すぐに四ツ足さんは首を横に振って悲しそうな顔して俯いた。薄暗いせいでそれ以上の表情は読み取れない。もっとちゃんと聞いた方がいいのかな、そんなことを考えつつ私はお弁当のふたを開けて――。


「って! ちぐ……漆さん! お昼ご飯それだけなの!?」


「え……うん。そうだけど……」


 その中身を見たらしい四ツ足さんに叫ばれた。確かに私のご飯はラップに包まれたおにぎり3つだけだ。


「私、小食だから……。それにあんまり食べ過ぎるとお昼の授業で眠くなっちゃうでしょ?」


「えー、それでもさぁ。年頃のオンナノコが食べるには少なすぎると思うよぉ?」


「そうかなぁ……」


「そうだよ! あ、でも漆さんわたしより背ぇ高いし、むね……いやっ……なんでもない!」


 ひとりで喋ってひとりで赤くなってじたばたし始めた四ツ足さんに思わず笑顔を浮かべてしまうと、身体の小さな彼女はうずくまるように更に赤面してしまった。


「ご、ごめんなさい。でも、四ツ足さんの言う通りこれじゃ少ないかもね。ときどき昼からお腹鳴っちゃうことあるし……」


「じゃあ、わたしのちょっと食べる……?」


 そう提案して四ツ足さんが開いたのは、クラスの女の子たちより1回り大きいお弁当箱。運動部の奥田さんより大きい気がする。中はごはん、から揚げ、野菜炒めに……よりどりみどりの綺麗な料理たちが並んでいた。


「わっ、すごい。いいの? 貰っちゃっても」


「いいよっ。漆さん、何がいい……?」


 感嘆の声を上げると、から揚げをひとつ箸でつまみ上げて自分の口に放り込みつつ、四ツ足さんはそう聞いてきた。


 どうしよう。最初は遠慮しようと思っていたけど、ここまで見事なものを見せられたらおかずのひとつくらいは頂きたくなってきた。私はお弁当の中でひときわ目を引いた料理を反射的に指さしていた。


「この卵焼き……頂いてもいい?」


「あっ、これ……!」


 ちょっと形の崩れた卵焼きだったんだけど、なんでか私はそれが気になった。遠慮してると思われたかな。でも四ツ足さんは目を白黒させたあと、衝撃の事実を告白するみたいに呟いた。


「実は、わたしが作ったんだよね……」


「ええっ、すごい! 卵焼き作れるんだ!」


「うん……。あと自分のお弁当におかずとか詰めるのも、わたしがやってる……」


「うわ、すご……。私そんなことしようと思ったことないよ……。四ツ足さん、めっちゃ家庭的……」


 私は料理なんてほとんどしたことないし、お弁当もお母さん任せだから素直に凄いと思った。思わず手放しに誉めると、四ツ足さんは顔を真っ赤にして照れたようにえへへと笑った。


「入学式に遅刻してからね、もっと自分でちゃんとしなきゃなって……。お母さんたちにこれ以上心配かけさせたくないから……」


「大人だなぁ、四ツ足さん……」


 字は達筆で、身体は柔らかくて、ちょっと大食い? 料理もできるし。心配かけさせまいとご両親のことも気遣える。どんどん今まで知らなかった四ツ足さんの凄いところを知って嬉しい反面、自分がどれだけ大したことのないやつなんだと思ってしまう。


「そんな、漆さんの方が大人だよ! 副委員長だしクラスのみんなとも話せるし。勉強もできるし運動もわたしより得意だし。綺麗だし可愛いし。ぜったい漆さんの方が大人っ!」


「ちょ……そんな褒めないで……」


 好きな子に褒められると自己肯定感がオーバーフローしそうで、脳みそが熱くなってくる。私はカーディガンの袖で顔を隠しながら視線を逸らした。と、そこで四ツ足さんが動く衣擦れの音が聞こえた。


「あ、それより漆さんに――。はいっ、あんまりおいしくないと思うけど……」


 視線を戻すと、四ツ足さんが箸で卵焼きをつまんで恐る恐る私の口元へ差し出していた。


「あ、あーん……ってやってみたり……?」


 ぼん、っと私の頭は完全に熱暴走した。恋してる女の子の手料理を、その子にあーんして食べさせてもらうって、もう……。色々とすんごい。すごすぎて私の語彙力の辞書はナポレオンに鼻で笑われるくらいの単語しか搭載しなくなる。


「ど、どうぅえ……? よつあし、さん……。どうぅえ……?」


「は、はやく食べて……うるしさん……」


 どうぅえってなんだよと突っ込まれることもなく、お弁当に入っているミニトマトくらい耳の先まで赤くなった四ツ足さんはぷるぷると小刻みに箸を揺らす。私の顔もおでこまでそんな風に赤くなってるに違いなかった。

 

 やばいしすごいしどうぅえだけど。でも、ここで引き下がっちゃダメだ。私は覚悟を決めて、そっと卵焼きと箸の先を口に入れた。目を丸くする。お世辞でもなんでもなく、その卵焼きは本当に美味しかったのだ。


「どう、かな……」


「ん……! 四ツ足さん、これ甘くて美味しい。こんな美味しい卵焼き初めて食べたかも」


 箸を引っ込めつつ私に聞いてくる四ツ足さんに、咀嚼して飲み込んでから率直な感想をぶつける。恥ずかしいけどしっかり目を見つめて、信じてもらえるように。


「よかった……! うれしいっ!」


 四ツ足さんの笑顔がぱあっと咲いた。どくんと胸を打つ。四ツ足さんが笑うと私も嬉しくなる。この気持ち、好きって気持ち。伝えたい。でも……。


 そんなことを考えていると、四ツ足さんが目を閉じて勇気を振り絞るようにしてえいとばかりに提案してくる。


「……褒めてもらったついでに……漆さん。おせっかいかもしれないけど……。明日、漆さんが食べる用に卵焼き作ってきてもいい?」


「えっ……すごく、嬉しいけど……。この卵焼き……毎日食べたいくらいだけど……それ、迷惑じゃない……?」


 私だけのための、卵焼き……? 食べたい。美味しいし、なにより飛び上がっちゃうくらい胸がどきどきする。でも、それで四ツ足さんに無理だけはさせたくない。


「全然! ね、どんな味がいい? 辛めとか甘めとかさ」


 私は開いた右手で彼女の肩に触れながら聞くけど、四ツ足さんはその不安を吹き飛ばさんとばかりに屈託のない笑顔を浮かべた。じゃあ、甘えてもいいのかな……。


「うん、なら甘めで……」


 即答する。四ツ足さんくらい、甘いのが好き。とろけちゃうくらい甘いのが、私はどうやら好きみたいだった。


 四ツ足さんは「おっけー!」とまた笑って、またから揚げを箸でつまんでひとつ口に含んだ。そして「あっ!」と急に大声で叫んだ。


「四ツ足さん……?」


 そして立ち上がった彼女をおにぎり片手に見上げると、四ツ足さんの目が泳ぎまくっている。そしてロボットみたいにぎぎぎ、と私の方へぎこちなく視線をやった。


 詳しくいうなら私の唇へ。今さっき、四ツ足さんの箸で卵焼きをもらったばっかりのこの唇へ――。


「か、間接キス……」


「あっ!」


 私も気づいて、お弁当箱をひっくり返しそうになった。最初に四ツ足さんがから揚げを食べて、その箸で私が卵焼きを、そしてまた四ツ足さんがから揚げを――。


 お互いに、お互いがくわえた箸をくわえてる。お互いが、間接キス……。私はみるみるうちに全身に熱が回っていくのを感じた。まるで心臓に太陽があるみたいだった。


「ご、ごめん……。じゃ、ないのかな……? わたしはなんか、うれしい、かも……」


 ぼすん、とまた隣に座りなおして、幼めの顔を手で覆って。四ツ足さんは途切れ途切れの口調で言った。思わずその隙間から彼女の唇を覗き見てしまって、薄くてしっとり濡れているその唇に目を奪われてしまって。慌てて目を逸らす。


「うん……。私も、うれしい……よ……」


 今はもう心がいっぱいいいっぱいで、それを伝えるのが精いっぱいだった。だからそのまま話さずにお互いに急いでご飯を食べ、慌てて教室に向かう。


 食べたおにぎりは、何の味もしなくて。口の中は甘い四ツ足さんの卵焼きと、甘い四ツ足さんでいっぱいだった。

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