第20話 わたしと焦げと漆さん/私と迫るときと四ツ足さん
わたし、漆さんと間接キスしちゃったんだ。
その日の夜。フライパンで焼いている卵焼きを見ながらわたしはぼんやりと自分のくちびるを撫でた。
あのあと、いつもの日課。机の中にある漆さんからの手紙には一切そのことが触れられていなくて、わたしも何もなかったかのように返事したけど、忘れられるわけがない。
だって、好きな子にわたしの料理を食べてもらえて、おいしいって言ってもらえて、間接だけどキスまでできたんだよ? 幸せすぎて飛べそう。ほんとに。
だからいてもたってもいられずに、こうやって明日の朝作るつもりの漆さんへの卵焼き、その練習を今してる。手紙にも卵焼きを楽しみにしてるって書いてあったから、なおさらわたしは気合が入っていた。
しかも、まだ明日はがんばらなきゃいけないことがある。漆さんを……千草さん? 千草ちゃん? ずっとできなかった名前で呼びたい。漆さんはあんまり気にしてなさそうだったけど、わたしのことも小実って名前で呼んでほしい。それに、明日は金曜日――。明後日と明々後日は学校がおやすみ。
わたしは頬に手を当てて、フライパンより熱を持ってるんじゃないかと思うくらいの恋の温度を感じながら思った。
デートとか、誘ってもいいんだよね……? わたしたち、付き合ってるんだし……。
ゴールデンウィーク明けからあんまりそういうことを話してなかったけど。でもあのとき、告白しあったから。わたしの部屋で、お互いにどきどきしてるって。だから恋人ってことでいいんだと思う。
「ん? ん? ん? ん?」
だけど何か頭に引っかかって、わたしは記憶を掘り起こす。あのとき確かにどきどきすることは告白したけど。わたし、もしかして漆さんが好きだとは言ってない? 漆さんからも付き合ってくださいとか何も言われてない?
さあっと顔の温度が冷えていく。漆さんとやってることは小学校のときのみんなが恋バナで話してたみたいに、手を繋いで。一緒に学校行って。一緒にご飯食べて。お手紙交換して。一緒に遊ぶ。
それって異性同士でやるなら、付き合ってるって言えるかもだけど。女の子同士なら? 普通の友達と変わらないのかもしれない。それくらい女の子ならみんなやってる。
でもわたしは恋人繋ぎや体育のときやパンツ見ちゃったときみたいに漆さんの……そういうところにどきどきするし、キスだってしたいと思う。わたしが漆さんに向けてるのは、どうしたって友情じゃない。
でも、漆さんはどうなんだろう。わたしたちが付き合ってないってわかってる? スキンシップは漆さんの方がよくしてくるけど。わたしにどきどきしてるのは嘘じゃないはずなんだけど。でも、そういう友達でいたいってことなのかな。ちょっとふれあいの多い友達で、付き合うまでは行きたくないのかな。
「うう……わかんないよー……」
せっかく分かり合えたと思えたのに。また重たい問題がずしんと乗っかってきて、わたしはフライ返し片手に頭を抱えた。フライ返し? なんでこんなもの持ってるんだっけ――。
「あーーーーーーーーーっ!!!」
はっとして、目の前のフライパンに意識をやる。途端に焦げ臭い匂いが鼻に飛び込んできて、フライパンの中には卵とは程遠い、なにか黒く焦げ付いた塊が転がっていた。
「や、やっちゃった……」
その深い闇みたいな黒さはなんとなくゴールデンウィーク中、漆さんとすれ違ってるときのあのことを思い出してしまって。わたしはこれからの先行きにどこか胸騒ぎを覚えてしまうのだった。
*
私、四ツ足さんと間接キスしちゃんたんだ。
ぼきりとシャープペンシルの芯が折れて、部屋のどこかへ飛んで行った。こう思うのも、芯が折れるのもこれで10度目くらいだ。
しかも、机の上に広げたノートはほぼ白紙に近い。『四ツ足小実』なんてノートの端っこに書いてみて、恥ずかしくなって力んだらこうなる。予習復習なんてもってのほかだった。
抱きしめたちいさな身体。あの薄いくちびる。明日も食べられる甘い卵焼き。今日は四ツ足さんととことん距離を縮められた気がする。もはや付き合ってるっていっても過言じゃないくらいに。
でもそのあたりをうやむやにするのはダメだから、私は早め早めに四ツ足さんに告白するべきだってのは昨日の夜も思ったことだけど、やっぱり勇気は出ない。
告白するなら……やっぱり、夜景が見れる綺麗なレストランの窓際とかでしたい……かな……。ぱかって指輪の箱開けて……サプライズ……とか……。
果たして中学生がそんなところに行けるのか、指輪を買えるのかという疑問は置いといて。美里ちゃんには昔よくロマンチストだとからかわれた私だけど、実際に恋してみてもその辺は大きく変わってないみたいだ。
うん、いつか誘おう、渡そう。お小遣い叩けばなんとかなるかも……。
希望的観測。いつかした『肝心なところで臆病』って私の自己評価はおおむね正しい。よく考えてみれば、漫画やドラマみたいに恋愛がそう思い通りに行くわけなんてないのに。
四ツ足さんと出会えたこと、好きになれたこと、すれ違ったこと、美里ちゃんの力は借りたけどそれから解消されたこと。全部偶然と突然が起こしたことなのに。
恋愛は偶然で満ちている。そのことに気付かなかった私には、迫り来る決意のときの足音も聞こえず。ただ呑気に、やりもしない英語のテキストを開いたのだった。
そしてゴールデンウィーク中の課題だったそれに全く手を付けていないことにも気付かないまま。明日と四ツ足さんへ想いを馳せるのだった。
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