第21話 わたしと『する』と漆さん


「はいこれ、漆さんの。朝も言ったけどちょっと失敗してるかもだから、あんまり甘くないかもよ……?」


「わぁ、ありがとう。でも失敗なんて、そんなことないと思うけどなぁ。おいしそうだよ?」

 

 次の日の昼休み。例の階段。ふたりきり。


 まず初めにわたしが卵焼きが数個入ったタッパーをおずおずと差し出すと、漆さんはそれを受け取ってにっこりと微笑んだ。


 その笑顔をぼうっと眺めてしまう。漆さんと付き合ってないんじゃないかって疑惑のせいで、あんまり寝れなかったし、そのせいか漆さんを余計に意識してしまうし、今日は散々だった。


 なんとか漆さんへの卵焼きは及第点のできばえだったからよかったものの、漆さんと一緒に歩く教室までの道のりに人がいたから、手を繋ぐことすらできなかった。昨日と続けて、2連続!


 名前で呼んだり土日に遊びに行こうと誘ったり、ましてや告白なんてできず。それも合わさって、漆さんが、漆さんのぬくもりが恋しいのになんだか色々触れづらい。今回はあーんなんて勇気あることもできないし……。


「ねぇ四ツ足さん。いただく前に卵焼きの写真を撮っていいかな?」


「うん、いいけど……。でも漆さん、スマホ持ってくるのって校則違反なんじゃ……?」


 漆さんがそう聞いてきたのでぼうっとしながら答えると、漆さんは「あう」と言いながらスカートのポケットから何かを取り出しかけるのをやめた。


「……ちっ、違うの四ツ足さん! 普段は持ってこないんだけどね。今日はたまたま、昨日から読んでる漫画の続きが気になってね……!」


「う、うーん……。わたしは別に先生に言ったりしないし、写真撮るくらいならいいと思うけど……」


「だよねっ。誰も来ないうちに……」


 今度こそ引っ張り出したスマホのボタンを押してぱしゃりと写真を撮る漆さん。そのはしゃぎっぷりが今どきのオンナノコって感じで、わたしはちょっと驚く。たまに抜けてるけど、基本は真面目な優等生の漆さんがこういう写真を撮ったり漫画を読んだりするイメージがなかったからだ。


 わたし、まだ漆さんのことなんにも知らないんだなぁ。とか思いつつ、でもその内容が気になった。漆さんが読んでる漫画、わたしも読みたい。


「そのさ、漆さんが読んでるのってどんな漫画なの?」


 おいしいおいしいと言いながらあっという間に卵焼きを食べてしまった漆さん。その嬉しさに校舎中を走り回りたいとこだけど、我慢して聞いてみる。するとしばらく悩んだすえに漆さんは頬を染めて呟いた。


「え! えーと……恋愛もの?」

  

 恋愛。横の壁で反響した漆さんの声が耳の中を震わせて、わたしの胸がどきりと鳴った。わたしに向かって恋愛って言うってつまり、そういうことなの? 考えすぎ? あと、漆さんが画面の中のイケメンにきゃーきゃーいってたらなんかヤだ。


「あとね、四ツ足さんなら……たぶん……だいじょうぶだとおもうんだけど……」


 よく分からない思考がぐるぐる回って何も答えられなかったわたしに、漆さんは続ける。スマホの画面を素早く操作して、わたしに画面をすっと見せつけてきたのだ。


 教室らしきところで、制服を着た女の子同士が。肩を抱き合いながら。くちびるを重ね合ってる大ゴマが乗ったページだった。


「実は女の子同士の恋がテーマの漫画なんだよね……」


 可愛い女の子と可愛い女の子の。くちびるが。くちびると。間接キスじゃない。本当の、キス……。


「ちょぉっ!!!! うるしさんっ……!?」


 流石に、面食らう。頭がパンクしそうになって、思わずのけぞった。漆さんは本来そのコマを見せるはずじゃなかったのか、あわあわとスマホを投げ捨てそうな勢いで振りまわす。


「あ、これ……、ごめんっ! 違うから、違うから……全然違うのでっ」


「な、何が違うの……? うるしさん……」


「……う、ん。あ……ちがくない、かも……」


「え?」


 言ってることを2秒で正反対のことに切り替えた漆さん。またおでこまで赤くなってる彼女の顔を見ながら、耳の先まで燃えてるみたいなわたしは思わず聞き返す。


 でもそこで漆さんはそっとスマホを床に置いて、何か覚悟の決まったみたいな表情を浮かべた。そして片膝をついたままわたしに身体ひとつ分にじりよってくる。


 近い。ただでさえちょっと肩が当たるくらいの距離だったのに、今はもう。漆さんの目も鼻も口もほんとにすぐそこにある。ちょっと手を回せば、あのときみたいに抱きしめられるくらい。


 そこまで密着してきて、漆さんは伏し目がちに視線を彷徨わせつつ声を震わせた。


「よつあしさん。わ、私たちも…………?」


「っえ――――」


 息を吸う。漆さんのくちびるを見る。すぐに目を逸らす。次に見えた彼女のそばの床のスマホには、キスシーンのコマが映ったままだった。


 つまり、そういうこと? 昨日の間接キスが頭をよぎる。その先を……しようってこと? 抱きしめるのとも、恋人繋ぎとも、間接キスとも違う。新しいふれあい。


 したい。でも、ほんとに? してしまっていいのかな。もし勘違いだったら? もし漆さんがわたしのことを好きじゃなかったりしたらその一線は越えていいの? わたしは迷う、迷う、迷う。そして、何も言えない、何も動けない。


 そんな、ふたりとも黙ったままの時間が永遠みたいに続いて――。先に喋り出したのは漆さんの方だった。更に俯いて表情はほとんど見えなくて、声も蚊の鳴くように小さかった。


「す、する……? 今日の放課後……ふたりで勉強……」


「べ、べんきょう?」


 キスのことじゃ、なかったの? わたしが目を見開くと、漆さんは困ったような笑顔をこっちに向けて、そっと近すぎた身体を遠ざけていく。物理的な距離はまだ近くても、なんだかとても遠く感じた。


「うん、ほら。ゴールデンウィークの英語の宿題ね、月曜提出でしょ? 私全然やってなくて、昨日もやろうと思ってたのにこの漫画読んでて……。だから漫画のこと話して宿題のことも思い出したの。えと、だから……四ツ足さんもやってなかったらどうかなって……」


「え……そんな宿題、しらないや……」


 ゴールデンウィーク中は漆さんとすれ違い中でそれどころじゃなかったから、その存在自体が頭から抜け落ちていた。わたしがそのことを告げると、漆さんは「だったら」とわたしのスカート辺りまで目を落として無機質な声で囁く。


「都合が合うならさ、今日終わらせちゃおうよ。ね?」


「確かにその方がいいかも……よろしくお願いしてもいいかな……?」


「あはは、なんで他人行儀なの。でも、もちろん。放課後教室で誰もいなくなるまで待ってようよ」


 わたしがおどおどと頭を下げると、漆さんはいつも通りの声色で笑ってみせたけど、やっぱりどこかその表情はぎこちなかった。


 ねぇ、漆さん。ほんとに、勉強会するために言ったんだよね? もし違うかったらさ。もし、キスするって意味なら、いいよ。わたし、漆さんとならキスしてもいいよ。だって漆さんのこと、好きだから。


 その言葉をいくら目の前の大好きな女の子に伝えようと思っても、喉の奥でつっかえて全く声にはならなかった。 

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