第18話 わたしと体育と漆さん


 4時間目はゴールデンウィーク明け初めての体育なので、3時間目が終わったら体操服に着替えないといけない。男の子たちが教室から出ていくのを待ってから、わたしは椅子に座ったままちらっと視線を動かした。


 正直。死ぬほど正直に語るなら、わたしは漆さんの着替えるところが気になってしょうがない。漆さんは上も下も一切肌を露出をしない着替え方をするんだけど、それでも。


 だって、漆さんのパンツ。あの白いパンツ、すれ違うきっかけになったあれが未だに脳裏をよぎってどうしようもなかったんだもん。

 

 で、漆さんを横目で見ようとして気が付く。あれ、なんか漆さん、体操服持ってこっちに歩いてきてない?


「四ツ足さん。隣で、着替えてもいいかな……?」


 みるみるうちに漆さんはわたしの真横にまでやってきて俯きながらそう言った。当然、驚く。だってあれほど、クラスのみんなにわたしたちの関係を知られることを怖がっていた漆さんが、こんなことするなんて思ってもなかったから。


「えっ……! わたしはいいけど……奥田さんたちはよかったの? いっつも一緒に着替えてるでしょ?」


「うん大丈夫、今日は断ってるから……。だって……」


 わたしが小声で聞くと、頬を染めた漆さんも小さく頷く。そしてわたしの耳元でそっと囁いた。


「四ツ足さん以外にあんまり肌、見せたくなくて……」


 くらあ、と。わたしにその台詞は効果てきめんだったみたいで。身体の温度が急上昇する。結果、わたしの頭は完全にオーバーフローを起こして、完全に理性をかっ飛ばして喋り出す。


「でもっ! ほら――、わたしだってじろじろ見ちゃうかもよ!? 前にわたしが倒れて漆さんに保健室まで運んでもらったときあったでしょ? 言ってなかったけどさ、あの原因って漆さんのパンツ見ちゃったからなの!」


「え……あのときの……そうだったんだ……」


 ああもう、何言ってるんだわたしは。混乱のせいで墓場まで持ってくはずだったパンツ事件まで告白しちゃった。漆さんも綺麗な瞳をまん丸にして、本気で照れてる証拠のおでこまで真っ赤にしながら横を向いちゃったし、もう終わりだ。絶対嫌われた。


 でもそんな状態から漆さんは首をぶんぶん振って立て直し、わたしの手をそっと撫でながら呟いてきた。


「い、いいよ……。私、四ツ足さんにだけなら見せてあげても……」


「ちょちょちょちょちょちょちょちょちょ……!!!!」


 ばっこーんと頭の中でビッグバンでも起きたかもしれない。そう勘違いしてしまうくらい衝撃的なセリフを重ねられた。


 というか、なに? この漆さんのぐいぐい来る感じ? 元から高かった大胆度が今日の朝から更にパワーアップしてない? なんか今もめっちゃ距離近いし、透き通った匂いがわたしの鼻を幸せにしてるし!


 どうしよう。なんか話題を変えるようなこと……。あっそうだ。


「ま、まあそれは一旦置いといてっ! 漆さん、ほら見てっ!」


 わたしは2つ括りのおさげにしてた髪を解いて、頭の後ろで一纏めにした。ポニーテールみたいな感じになる。


「昨日の手紙にも書いたけどさ、漆さんってうなじ好き? 体育の時間だけでもこうしたらよく見えるかなー、なーんてっ」


 くるっとその場で回ってみせて、漆さんに背を向ける。おさげよりもうなじが見える面積は少し増えてるから、喜んでくれるといいんだけど……。


「わっ、かわいい。おさげも似合ってるけど、ポニーテールも……いいね。うなじも見えるし、好きかも……」


「ほ、ほんと……? よかったぁ……」


 顔が真っ赤になるのを通り越して、もはや瞳がうるうるし始めてる漆さんだったけど、これって嬉しさのあまりだよね? そこまでうなじ好きだったのかな?


 あと、かわいいとか好きとか、思えば漆さんに初めて言ってもらえた気がした。やばい、そういうのめっちゃ心にぐっとくる。わたしの方が嬉しくて泣いちゃいそうだ。


 だけどそのとき予鈴が鳴り響く。まだ制服姿のわたしたちははっとして大急ぎで着替え始める。


 カッターシャツの中に体操服を入れてもぞもぞと着替えてる漆さんをわたしはちらちら見てしまったけど、おんなじようにもぞもぞしてるわたしのことも漆さんはちらちら見てたから、お互いに何も言わなかった。


 ✳︎


 漆さんと並んで運動場へ猛スピードで走ると、ちょうどチャイムが鳴るところだった。すぐさま整列して、2人組になっての準備体操が始まる。


「吉井さーん」


 わたしはいつも背の近い吉井さんとペアになっているから、今日も彼女に呼びかける。だけど吉井さんはそれに応えなくて、なんとその場で急にうずくまったのだ。


「うぐぐぐぐ、いてててててて」

 

「よ、よしいさん!?」


 わたしが慌てて駆け寄ると吉井さんは首を横に振り、体育の先生に向けてうめきながら叫んだ。


「せんせー。腹痛いんでトイレ行ってきまーす」

 

 そして言うが早いが運動場を突っ走って吉井さんは消えていった。明らかにお腹が痛いときに出せるスピードじゃなかった気がするけど……。


 それを呆然と眺めて数秒後、気付いた。わたしは誰とペアを組んだらいいんだろ? きょろきょろしてみても私には友達が他にいないから、組んでくれる子もいない。唯一、こっちを見ていた漆さんとばちっと目があった。


 漆さんと組めたらいいんだけど、彼女はいつも奥田さんとペアだから無理だよね。漆さんもどうしようか迷っているのか、奥田さんの様子をちらちらと伺っていた。


「あっ! 先生っ! 恋の病にかかったのであたしもトイレ行ってきますっ!」


 すると、奥田さんが急に訳のわからないことを叫び出す。そして先生の反応を待たずに運動場を駆けて行く。運動部だけあって、その速度はまるで野生動物みたいだった。


「……あの、四ツ足さんっ」


「漆さん……」


 その様子をまた呆然と見ていると、後ろから声。振り向くと近寄ってきたらしい漆さんがおずおずと話しかけてきていた。


「私もひとりになっちゃったから……ペアになってくれない、かな……?」


「わたしでよければ……もちろんっ……!」


 そっと、差し出された手を取って。わたしは笑顔で彼女を受け入れた。ほんのささいなことだけど、漆さんと一緒にいられることが本当に嬉しい。1秒でも長くお話していたい。触れ合っていたい。わたしはわがままだから、そんなことばっかり考えてしまった。


 *


 柔軟運動。ひとりが地面に座って足を開いて、ペアが後ろから背中を押してあげるってやつ。実はわたし、結構身体が柔らかいほうだからこれには自信があった。


 漆さんがそっと背中に触れた瞬間、わたしは前に上半身をびよーんと倒して地面にくっつけた。すぐさま背後の漆さんから驚きの声が降ってくる。


「四ツ足さん……すごっ。こんなに身体柔らかいんだ……!」


「えっへっへー。もーっと押してくれてもいいよー!」


「うん、わかった」


 漆さんに褒められて、わたしは鼻が高くなる。自慢げにそう漆さんに言ってみると、彼女は身体を密着させるようにしてわたしの背中を力強く押してきた。


 密着。わたしの背中に漆さんの上半身が。しかも体操服の上着は漆さんがわたしの部屋に来たときに着てたあのカーディガンより、若干薄手だった。


「う、うるしさん……っ!」


 ほんのりとしたふくらみを背中いっぱいに感じて、わたしの顔と心臓は発火しそうになる。なんとか絞り出した声で漆さんも自分がしていることに気が付いたのか、「わっ!」と叫んで飛びのいた。


「ご、ごめんなさいっ! 私やりすぎちゃった……?」


「ううん……」


 肩にあてられていた手と、背中のぬくもりが消えて隙間風が吹く。正直にこの気持ちを伝えるか迷ったけど、伝える方に軍配が上がった。わたしは漆さんを直視できずに前を見たまま、ぼそぼそと呟いた。


「その……もっと……やってほしいかもです……はい……」


 漆さんは何も言わなかったけど。再び上半身を寄せてきた。あつい。身体も心もあったかすぎる。背中にどくんどくんと、漆さんの心臓のリズムを感じる。わたしの心臓の鼓動と速さも大きさも一緒。あのときと一緒。そんなことを考えていると。


「四ツ足さん……ちょっとだけ……抱きしめてもいい……?」


「えっ……!」


 なんと、赤面した漆さんが耳元でとんでもないことを囁いてきた。体育中だよ? みんなの視線はこっちには注がれちゃいないけど、誰かに見られるかもしれないんだよ? あれだけバレたくないって言ってたのに漆さん! とかなんとか色々、言うべきことはあったと思う。


「うん……いいよ……」


 だけどわたしは、こくりとおもむろに頷いていた。そして前屈をやめて上半身を起こした途端、漆さんの手がわたしの腰を回すようにして伸びてくる。ぎゅっと優しくて、でも離さないとばかりに強い抱擁。体温、胸のふくらみ。ポニーテールにしたわたしのうなじあたりにある漆さんの鼻。


 どくん。どくん。どくん。どくん。


 そしてあのとき以来。わたしと漆さんの心臓の鼓動が完全にシンクロする。ふたつの音がひとつになって。ふたつのからだがひとつにとろけていっちゃいそうだった。


「す………です……。よ……つあ……さ……」


 だからそのとき、漆さんが聞こえないくらい小さい声で何かを呟いた気がしたけど全然聞き取れなくて、聞きなおしても漆さんは頑なに何も言ってないって顔を真っ赤にしながら首をぶんぶん横に振って。それがとてもかわいくて。


 そうしてる内に準備体操の時間は終わって、漆さんとは離れ離れになってしまった。だからそのあとのことは、あんまりよく覚えていない。


 運動するはずの体育の時間なのに、まるで夢を見てるみたいだった。

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