小実ちゃんは今日もあの子の机を。

百合砲台

第1話 わたしと机と漆さん


 春の陽気も相まって、お昼ご飯を食べた後だとなんだか眠たくなっちゃう4月20日。


 この時間に教室にいる女の子はみんなお揃いだ。上はセーラー服のまま、下はスカートが汚れないよう体育用の紺色の長ズボンに履き替える。ちょっとダサいけど、これはこれで気が引き締まる感じがしてわたしは嫌いじゃないかも。


小実こみちゃーん、こっち掃き終わったよー」


「あ、うん!」


 向こうから箒を持った吉井さんの声が聞こえてくる。出番だ。教室の隅っこで手持ち無沙汰にしていたわたしは小走りでとある机に駆け寄った。


 教室の後ろに運ばれて固めて置かれている机たち。吉井さんたち女の子が床を掃き終わったあと、机を元の位置に戻すのがわたしの役目。重くて大きい教卓は…誰だっけ、その辺にいる同じ班の男の子が運んでくれることになっているから、わたしが担当するのは生徒用のだ。


 「女子なのに掃き掃除しないの?」って吉井さんにはよく聞かれる。確かに中学1年にもなって145センチしか身長のないわたし、四ツ足小実よつあしこみには生徒用のでも文字通り荷が重いのは事実。だけど、どーしても机送りをしたい理由がわたしにはあった。


「よいしょっ、と」


 ともかく、いつも通りに1番窓側の1番手前の机を力いっぱい持ち上げる。これもいつも通り、ずしりと重たかった。でもそんな重さもこうやって間近に触って見てみると、どっかに飛んでいっちゃいそうになる。


「……わ」


 眩しい。ただの木と鉄の塊のはずなのに、太陽の光を反射してるのかそれはとってもぴかぴかと輝いて見えた。なんでだろう、ほんとによく分かんないけど……わたしはこの机を『きれい』だと思ってしまうのだ。


 ノートとか教科書を置くところ、表面はちょっと黒っぽくてツヤがある。落書きや穴ぼこひとつないし、手触りもしっとりとしてて、ほんのりあったかくて心地いい。重いのだって教科書を毎日しっかりと持ってきてるからだと思う。その真面目さはいかにも『あの子』っぽくて、なんだか微笑ましくなった。


「……あのさ小実ちゃん、それはちょーっと前すぎるんじゃないー?」


「へ?」


 と。吉井さんの呆れたような呼びかけで我に返った。げげ、めっちゃ行き過ぎてる。いつの間にか黒板にぶつかりそうなほど真ん前まで歩いてきてしまっていた。


「小実ちゃんってたまにぼーっとしてるときあるよねー。授業中もそうだけど、掃除の時間は特に」


「あ、あはははは。そうかな? そんなことないと思うけど……」


 同じ班のみんなから若干変な目で見られてるのを誤魔化すように苦笑いを浮かべて大急ぎで後退。本来あるべき場所に机をゆっくりと下ろす。床に描かれたマス目にぴっちりと角を合わせて、向きをかんっぺきに調節して――ふうっと一息。


「……よぉし」

 

 ちらりと教室内を伺う。もう誰もこっちを見てない、今だ。わたしはその机の表面をそっと撫でた。そして誰にも聞こえないくらいの声で呟く。この机を使っているあの子。いつも見ているその姿を思い浮かべながら。その中に入っている教科書に書かれた名前を1文字1文字確かめるみたいに――。


うるし 千草ちぐささん」


 う る し ち ぐ さ。


 アクエリアスだかポカリスエットとかを飲んだときみたいに全部の音が喉の奥をすうっと通り抜けていって、なんだかとってもしっくりくる。


 苗字はかっこよく、名前は真面目だけど優しい女の子って感じ。もしかしなくともこのフルネームは漆さんにとってぴったりなのかもしれなかった。なんだっけ、『名は体を表す』ってやつかな。ちっちゃいわたしが『小実』って名前なことと一緒。


「……ってことは」


 わたしは漆さんの『きれい』な机に目を落とした。1時間目からお昼や休憩を挟んで6時間目まで、半日以上授業で使っているこの机が使ってる人に似ることもあるのかも? ワケわかんないけど『体は机を表す』なんて。


「――四ツ足さん。ちょっといい?」


「ひょえええいっ!?」


 急に後ろから声をぶつけられて、わたしは体感3mくらい跳び上がった。間延びしがちな吉井さんの声じゃない。この冷蔵庫に入れておいたミネラルウォーターみたいに透き通ってぱりっと引き締まった声は――、ばっと振り返ると、わたしの叫び声に驚いたのか目をちょっと丸くさせたひとりの女の子が立っていた。


「う、う、う、ううううう漆さんっっ!?」


 そこにいたのは漆千草さん張本人だった。背はわたしよりも10センチくらい高くて。綺麗な黒髪は長めのボブカット、前髪はヘアピンできっちりと分けられてる。セーラー服の上から紺色のカーディガンを羽織って、スカートは校則通りの膝下まで。出席番号1番にしてこのクラスの副委員長。ああ生真面目。ビバ生真面目。


 だけどガチガチにお堅いってわけじゃない。ちょっとだけきりっとしてる顔立ちではあるけど、笑顔が素敵でほとんど話したことないわたしにも優しい。底抜けに明るいとは思わないけど、社交的で友達も多いのは見ててよく分かる。ちょっとしっかり者なだけで至って普通の女の子なのだ。


「あ、ごめんなさい。びっくりさせちゃった?」

  

「い、いえいえいえいえ! そんなことはございやせんっ! しっかし旦那こそ、どんなご用件でしてぇ……!?」 


 そんな漆さんが心配してくれているのに、慌てふためいてなんだか山賊の下っ端みたいな返答になってしまった。それくらい、漆さんのあれこれはことごとくわたしの心を揺さぶる。机を見て運べば心臓がどきどきいうし、本人を見れば顔がなんだか熱くなる。あんまりにも眩しすぎて、こんな距離で話すとなったらもう何を喋っているのか何をしてるのか自分でも分かんなくなる。


「体操服のズボン、取らせて欲しいなーって。先生の手伝いしてたからまだ着替えられてなくて」


「あ……! な、なるほどですぜ旦那……!」


 わたしが触りっぱなしだった机の横に引っかけられたスクールバッグを指さして漆さんは言った。掃除の時間なのにまだスカートだったのはそういうこと。もちろんいつまでも机の前を占拠してるわけにもいかないのでわたしは飛びのくように横にどく。すぐさま漆さんはしゃがみこんで整頓されたカバンの中をのぞき込んだ。


「……にしても、やっぱり四ツ足さんって面白いね」


「ひえっ!?」


 すると座ったまま片手に体操服のズボンを持った漆さんが不意にこちらへ向き直る。そして歯を見せてにこっと微笑んだ。


「ふふふっ。旦那旦那って、私女の子だよ?」


 ぶ、と頭の中で何かが弾け飛んだ。世界が変わる。吉井さんも同じ班の矢崎さんもその辺にいる男の子たちもどっか消し飛んで、わたしの視界には漆さんと漆さんのきれいな机しか映らなくなる。


 笑顔が素敵とは言ったけど、その――、たんぽぽとかシロツメクサとか、道端にだけど健気に可愛らしく咲いている花みたいな笑顔をこうやって面と向けられるのは2回目。その破壊力は絶大で。わたしの口はぶっ壊れたコンピューターみたいに適当な言葉を羅列する。


「ああ……あのその……それはわたし漆さんと話すと慌てて変な感じになっちゃうだけで……漆さんが可愛い女の子ってことは重々理解しておりますので……!」


「えっ」


 そのとき漆さんが驚いたような顔をして、珍しく慌てたように立ち上がった。何かやばいこと口走った――? と思いきや漆さんの視線はわたしじゃなくて教室の壁にかけられた時計に注がれていた。


「あー! もうこんな時間! 私、掃除行かないと!」


「ほ、ほんとだ! ごめん漆さん、わたしのおしゃべりに付き合わせちゃって」


 時計を見上げてみると確かに、もう掃除の時間は半分くらいすぎてる。真面目な漆さんはそれを良しとしないはず。なるほど、だからあんなにびっくりしてたのか。


「ううん、そんなことないよ。四ツ足さんと話すの楽しいから――!」


 謝るわたしに対して、漆さんは軽くはにかむ。そしてズボン片手に結構なスピードの小走りで教室から出ていった。


 ぱっ、と。


 途端に世界が元に、いつも通りの教室に戻る。これ以上サボってるわけにはいかないから、名残惜しいけどわたしは漆さんの席から離れた。でも掃除になんて集中できるわけがない、少し収まったとはいえ心臓や身体の熱さはまだ絶賛継続中。頭ん中はあの笑顔がぶわーっと広がってきて、万華鏡みたいに漆さんが分裂してきらきら輝いていた。


「……漆さん」


 正直に言ってしまうと、わたしは漆さんの机だけに飽き足らず漆さん本人のことも『きれい』とか『かわいい』と思っちゃうのだ。なんで? 理由はわかんない。わたしは元から頭がいい方じゃないけど、毎日考えてみてもその答えはちっとも浮かんでこなかった。


 だけど、その感情にはなんでか逆らえなかった。だから教室掃除当番の班って立場を利用して、こんな風にこっそり彼女の机を運んでるってのがわたしの日課。中学生になってから毎日続けているから3週間、わたしにしては意外と続いてると思うけど、絶対人に自慢できるような内容じゃない。

 

「……ヘンなのかなぁ、わたし」


 別のクラスメートの机を運びながらそんな風にこっそり呟いてみても、春の日差しに吸い込まれて散り散りになっていくばかりだった。

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