番外編:わたしとおんぶと千草ちゃん


 ということで、ゲレンデから外れた手頃な木陰にレジャーシートを敷いて4人で座る。昼食&雑談しつつ、30分くらいの休憩を……と思ってたけど、吉井さんと奥田さんは物凄い勢いでお弁当を食べ終え、『タケノコかツチノコを探しに行ってくる』とだけ言い残して2人で森の中に突進していった。


 その背中を唖然と見送ったのち、残された千草ちゃんと目を合わせる。


「やっぱり気……使ってくれてるのかな」


「かも……。体育のときも奥田さん、同じようなことしてくれたもんね」


 班になってから散々目にしてるように奥田さんはかーなり愉快な子なので、気付いてるのか素でやってるのか分かりづらい。でもまあ、こうやって千草ちゃんとふたりっきりでいられるからいっか。


「で、ごちそうさま。四ツ足さん……じゃなくて小実のすけさん。今日の卵焼きはちょっと砂糖多め?」


「そ、そだよ。だって千草ちゃん甘いやつの方が好きでしょ?」


 『小実』、その響きに心が躍る。あだ名だけど名前で呼んでくれてることに変わりないから。

 

 千草ちゃんはわたしが今日も焼いてきた卵焼きをたいらげて、手を合わせた。わたしもドでかいお弁当を既に食べ終えてるから、あとは吉井さんたちが戻ってくるまで何をするか、だ。


 ぴゅうと夏の匂いすら漂い始めた暖かい風が横を吹き抜けていく。登ってきた方を見てみれば、ゲレンデなので相当見晴らしがよかった。頂上まではまだ先なのに、既に爽快感すら覚える景色だった。


 吉井さんたちの姿は見当たらない。どころか他の班の子たちも誰もいない。わたしはそっとレジャーシートに手を這わせて、千草ちゃんの右手をそおっと握った。


「……ん、ダメだからね」


「……誰もいないし、ちょっとロマンチックだよ?」


 それで察したのか、こちらを見ずに千草ちゃんはもごもごと言う。わたしが声のトーンを落として続けると、『確かに……?』と頷きかけたけどすぐさま首を横にぶんぶん振った。


「じゃなくて! 私はそもそもレクリエーション中はキスしませんー! あー、なんか熱くなってきたからカーディガン脱ごーっと!」


 千草ちゃんはわざとらしく叫んでわたしの手をそっと振りほどき、ばたばたと不格好に立ち上がる。そして宣言通り羽織っていたカーディガンの裾を引っ張って……。


 う、とわたしの身体が強張るのが自分でも分かった。2度目だ。最初は体操服に着替えるとき。服を脱ぐ、何気ないことだけど……。それはどうしてもこの後待つ、お風呂での着替えのことを連想させてしまう。

 

 千草ちゃんも後になってその感情がやってきたのか、中途半端に脱いだところで石になったみたく動きを止めてしまって。結果、そのときたまたま吹いた強風にカーディガンがさらわれ宙を舞ったのだ。


「あ!」


 その紺色の布地は木が生い茂った林の方へ飛んでいく。千草ちゃんが慌ててそれを追いかけ始めたのでわたしも後を追った。

 

「あんなとこに引っかかってる……いけるかな」


「多分、千草ちゃんなら届きそうだけどなぁ」


「よし……っ えい!」


 運良くあまり高くない木の枝にカーディガンは絡みついていたから、千草ちゃんはジャンプしてそれを掴みとった。そこまではいい。だけど千草ちゃんは着地のときに草で滑ったのか、小さく悲鳴を上げてバランスを崩したのだ。


「千草ちゃ……!」


 条件反射のように思わずその肩を抱きかかえようとして、わたしも足を滑らせる。そこは丁度急斜面になっていて、既に立て直せるような状況じゃなかったのだ。当然、わたしたちはもんどりうつように坂を転がることになる――。

 

 *


「ご、ごめん……! 私が変な取り方したから! 四ツ足さん、大丈夫!?」


「平気っ。千草ちゃんも怪我ない?」

 

「うん……、よかった。カーディガンも取れたし……」


 数メートル程度滑った地点でお互いの無事を確認して、レジャーシートがある木陰までまた登るべく、千草ちゃんは歩き出した。わたしもそれに続こうとしたところで――、左足に鋭い痛みが走った。


 嫌な予感がした。案の定、2歩目3歩目を踏み出してもその痛みは消えない。しゃがみこみたくなるくらいの痛みにつうっと冷や汗が身体を伝っていく。そんなだから横を歩く千草ちゃんとはどんどん差が開いていって、流石に彼女も立ち止まった。


「四ツ足さん、足……」


「大丈夫! ちょっと捻っただけだから! 全然歩けるし、心配しなくていいってば!」


 慌てて否定するけど、千草ちゃんは眉をしかめながらずんずん近づいてきて、しゃがみこんでわたしのズボンをまくり上げる。


「やっぱり腫れてる。痛くないわけないよ、こんなの。ほら、四ツ足さん」


 そこまで言って、彼女はしゃがんだままわたしに背を向けた。


「乗って。おんぶするから。降りて先生のとこまで行こ、ね?」


「ちょちょちょちょちょ、そこまでしなくていいって! ほんとに歩けるし! そもそも千草ちゃんのせいじゃなくてわたしの運動神経が悪かっただけだから! 降りなくていいって、早く頂上まで行こうよ!」


 だって、景色見ないと。千草ちゃんと初めてのする遠出のデートなんだもん。だから歩かなきゃ。


 そう思って歯を食いしばって歩こうとするけど、そのとき千草ちゃんが小さく、呟いた。


「……


 それはわたしが待ち望んだあだ名じゃないわたしの名前。でも、とても悲しそうな声だった。


「景色なんて、いくらでも後から見れるよ。今は、小実さんのことが心配なの。私って頼りなくて、臆病だし、その割には頑固で人のこと考えずぐいぐい行くときもあるけど……。それでも小実さんの恋人のつもり、なんだよ……?」


 だから、と千草ちゃんは俯きながら息を吸った。


「たまには、助けさせてよ……。小実さんが私にしてくれたみたいに。入学式のとき。ゴールデンウィークにスーパーで会ったとき。あのときみたいに。私にだって大好きな人を、守らせてよ……」


「……!」


 心に沁み込んでいくような言葉だった。うん、わたしは……少し突っ走りすぎていたんだ。恋人らしいことができてないからって、自分が千草ちゃんに釣り合ってるのかって。強がりすぎていた。いいところも悪いところも。強いところも弱いところも。分け合ってこその恋人なのに。


「……ごめんなさい、千草ちゃん。実は足、結構痛いです。おんぶ……してください」


「うん、わかった」


 素直に口に出すと、涙が出そうになった。けれど千草ちゃんの背中にもたれかかった途端すぐに腕がわたしの足を支えて、優しく持ち上げてくれた。


「千草ちゃん、迷惑かけてごめん」


「大丈夫だよ」


 後ろから抱きしめる千草ちゃんの背中はぽかぽかしてる日の光みたいにあったかくて、なんだか心が洗われるみたいで、わたしにはただ謝ることしかできなかった。


「千草ちゃん、一緒に頂上見れなくてごめん」


「大丈夫、また2人で来たらいいでしょ」


 急な斜面を踏みしめながら、前を向いたまま千草ちゃんは微笑む。


「千草ちゃん、こんなわたしが恋人でごめん」


「大丈夫、そんなところも好きだから」


「う、ん……。わたしも……」


 涙がこぼれそうになって見上げたのは、たったひとつの雲すらないような晴れやかな空だった。

 

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