番外編:あなたが勇気をわけてくれたから


「あーあ……」


 わたしたちが泊まる旅館の一室で、わたしは右足首に氷を押し当てて座っていた。葵染山から一緒にここまで来てくれた千草ちゃんと養護教諭の先生は、今は部屋から出ていっている。


 足を痛めたあと自分たちも旅館に帰ると言い出した吉井さんと奥田さんにも、断って頂上まで行ってもらった。だって、わたしのせいでみんなの楽しいレクリエーションを台無しにするわけにはいかなかったし。


 今頃みんなは山から下ってきて、併設された体育館でクラス対抗の綱引き大会をやってるはずだ。流石にこの足で参加するのは無理――。とかなんとか、沈んだ心で思ったとき。背後の扉ががらりと開いた。いたのは千草ちゃん。

 

「――小実さん、大丈夫?」


「……えと、千草ちゃん? 綱引きは……?」


「先生に言って私も参加しないことにしてもらってきたの。小実さんの看病するからって」


 なんの迷いもなくわたしの横の畳に座って、千草ちゃん。え、と驚いてわたしは両手を突き出してぶんぶん振った。


「ダメだって! わたしの捻挫は別に大したことないみたいだし! 心配せずに千草ちゃんも楽しんできた方が――」


「もうまたそんなこと言って。心配もしてるけど、私が小実さんといたいの。小実さんといる方が楽しいの。それでも、ダメ?」


「あ、う……」


 真っ直ぐな視線に、顔が熱くなってくるのを感じた。もごもごと頷くと、千草ちゃんは微笑んで頬を少し染めた。


「……い、言った私も恥ずかしいね、これ」

 

「言われた方はもっと恥ずかしいってばぁ……」


 レクリエーションに行く前は、わたしが千草ちゃんをリードするくらいの心持ちでいたけど。いつの間にか千草ちゃんの好きなところを再確認するツアーへと変貌しているような気がする。


 だからわたしは畳の網目の数を数えようとするように俯いて、ぼそぼそと呟いた。


「でも……ほんと、ありがとう千草ちゃん。名前で呼んでくれたことも、おんぶしてくれたことも。わたし……なんかもう、うれしくなりすぎちゃって……」


「ううん。名前に関しては謝らないとダメなの。今までずるずる引っ張っちゃってごめんなさい。私、小実さんって呼ぶことがちょっと怖かったの」


「怖かった……?」


 わたしがその言葉を反芻しながら千草ちゃんの方を見ると、こくりと彼女は頷いた。


「小実さんともっと近づきたいけど、あのときみたいに喧嘩して気持ちが離れ離れになっちゃったら、私もう立ち直れない気がして。だから『そういうこと』をわざと避けてたの。やっぱりあなたに拒絶されるのが、怖かった」

 

 腑に落ちたような感覚だった。千草ちゃんの透き通った黒い瞳がわたしの目を見つめて、彼女は更に薄いくちびるを開いた。  


「でも、さ。小実さんはそんな私にも1歩踏み込んできてくれたでしょ? 付き合うまでのこともそう。今日の朝もキスしようって頑張って言ってくれたのは小実さんだし。捻挫した後も私との思い出のために無理して頂上まで歩くつもりだったよね?」


「うーん、まあ……あはは、そのつもりだったかな」


「そういうね、小実さんの勇気を私もちょっと分けて貰ったのかもしれなくて。だからあのとき、小実さんをこれ以上無理させたくないって思ったときに、自然とあなたの名前を口に出してたの。私の臆病さを――、小実さんの勇気が打ち消してくれたんだよ」


「そんな――、わたしは自分がやりたいことをやってるだけで……。千草ちゃんから褒められるような人間じゃ、ないんだけど……」


「それは小実さんがそう思ってるだけだよ。小実さんは私なんかにはもったいないくらい可愛くてかっこよくて、とっても優しい女の子なんだから」


 何のためらいもなくそんなこと言いながら、千草ちゃんはそっとわたしの手を取った。わたしは、台詞と相まって猛烈に照れる。だけどそんな逃げを許さず、千草ちゃんは声を震わせながらゆっくりと言葉を紡いでいく。


「だから、小実さんから貰った勇気、もうちょっとだけ振り絞るね。今度は、私からちゃんと……」


 そんな千草ちゃんの手は、あったかくも冷たくもなかった。つまり、わたしとおんなじ温度。わたしとおんなじくらい熱くなって、赤くなって。てことは、思ってることも考えてることもおんなじで――。


「……小実さん。『1回目』、しませんか?」


 わたしと千草ちゃんだけしかいない部屋。15時のあったかい日光が差し込む和室。まだ慣れない畳と、木の香り。そこに混ざる慣れ親しんだ千草ちゃんの透き通った匂い。


「……うんっ」


 そんな部屋で、わたしたちはキスをした。


 *


 通算3度目。レクリエーション中でいうなら1回目。2週間近く期間が開いての、キス。くちびるを離してそっと目を開けると千草ちゃんもおんなじことをしていた。


「……す、すごいね。なんか、久しぶりだとさ……」


「うん……」


 抱きしめ合ったままで、かあと熱くなってくる頬を隠そうと俯くと、千草ちゃんも照れたように笑った。この感覚、くちびるから直接千草ちゃんの全部を送り込まれたみたいに。目も鼻も口も、わたしの好きな女の子で埋まっていく、これ。


 だからもう何度思ったことか分からないことを、また実感する。好き。千草ちゃん、好き。だけど、言葉には出さない。繋いだ手から、触れたくちびるから、見つめてくる瞳から。千草ちゃんもおんなじことを思っているのはわたしにも分かったから。


 だけど2回目は恥ずかしすぎてしなかった。だからその後は、2人で手を繋いだまま色んなことを話した。お互いのこと、レクリエーションのこと、もうすぐな晩御飯のこと。明日にやる班ごとでのカレー作りのこと。そうしてる内に時間は飛ぶように過ぎて行って、わたしの足の痛みもあっという間に引いていった。


 綱引き大会を終えた奥田さんと吉井さんが部屋に戻ってきて、クラスのみんなからも心配されて。色々騒がしくなりつつも、わたしたちは宴会場で晩御飯を食べた。


 その間千草ちゃんと触れ合うことはなかったけど、ずっとわたしのすぐそばにいてくれた。副委員長で班長でやらなきゃいけないことがたくさんあるはずなのに。


 で、4人で部屋に戻ってきて。


「……うん、これなら明日は大丈夫そうね。お風呂にも入っていいわ」


 わたしの足の容態を見に来た養護教諭の先生は、立ち上がって頷きながら言った。よっしゃ、と奥田さんがガッツポーズをしたのが視界の端に映った。


「ただし、今日みたいに無理しようとするのはダメね。痛くなってきたら先生に言うこと。それからクラスのみんなでお風呂に入ると万が一なにかあるといけないから、先生たちと一緒に入るのがいいと思うわ。ちょっと時間は遅くなっちゃうけど……」


「あ、ですよね……。分かりました……」


 わたしには首肯することしかできない。千草ちゃんとお風呂に入れないのは……残念だけど、ちょっとほっとする。やっぱり恥ずかしいし、しょうがないよね。


「あの、先生。ちょっとそのことなんですけど……」


 そのときだった。わたしの横で正座してた千草ちゃんが小さく手を挙げた。わたしたちが注目する中、彼女はおずおずと話し始める。


「私、班のしおりの記入と女子の点呼と健康チェック、お風呂使った後の点検とかしないといけなくて……。みんなと一緒の時間でお風呂に入れそうにないんですよね」


 そうだったんだ。そんなことおくびにも出してなかったから知らなかった。わたしの看病してたからその辺のことが間に合ってないってことだよね。申し訳なさでいっぱいになる。


「だから、生徒の入浴と先生の入浴の間にひとりで入ろうかって思ってたんですけど……。そのときに四ツ足さんも一緒に……って思ったんですけど……」


「ぼえっ!?」


 その申し訳なさが一瞬で消し飛んだ。思わず千草ちゃんを凝視すると、わたしのカノジョは顔をイチゴみたいに真っ赤にして、身体を強張らせていた。


 そんな提案に、先生はしばらく考え込んだのちに大きく頷いた。


「なるほどね。それなら危なくないし、四ツ足さんとしても仲いい漆さんと一緒に入った方が楽しいかもしれないわね。四ツ足さんはどう?」


「え!? え、と……」


 ぼん、と顔が爆発しそうだった。千草ちゃんをまた見たら、わたしとは視線を合わせないようにしつつもちらちらとこちらを伺っていた。


 思考がぐるぐる回る。やばい、やばすぎるよ。それ。でも、そんな態度を取っておきながらも既にわたしの中に否定する気はなくて――。深呼吸をしてからもごもごと呟いた。


「う、あの……そ、それでおねがいします……」

 

 千草ちゃんが、恥ずかしさと嬉しさの両方をもってはにかんでいるのがわかった。先生は『脱衣所の外にいるから何かあったらすぐ呼ぶのよ』と念押しして、部屋から去っていった。


「ひゅう。小実ちゃんも千草ちゃんも、私の知らないうちにオトナになったもんだねー。親鳥の気分。ま、おふたりさん。ゆーっくり楽しんできなよー」


「ほんと、残念だなー! あたし、どっとちゃんのろりぼでーも、膝子さんの副委員長ぼでーも見たかったのになー」


「ふ、ふたりとも、うるさいってば……。第1、副委員長ボディって何よ……」


「そりゃ副委員長の真面目でやらしー身体でしょ。でもいやー、しょうがないなー! 使徒子さんの需要無しぼでーで我慢しとくかあー!」


「誰が需要無しじゃコラ」


「もうっ。奥田さんも美里ちゃんも……そういうことはあんまり……」


 騒ぐ吉井さんと奥田さん。それを真っ赤な顔のまま注意する千草ちゃん。わたしはそんな3人のわちゃわちゃには加わらず、ひとり座ったまま天井を仰いでいた。身体の熱は収まるわけもなかった。


 そしてレクリエーションのこと知らされたときみたいに、いるかいないか分からない神さまに謎の懺悔をする。

 

 ごめんなさい神さま。わたし、四ツ足小実は。ほんとにふたりきりで。付き合ってる女の子とお風呂に入ることになっちゃいました――。

 

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