番外編:私とバスと四ツ足さん


 班長、そして副委員長としてクラスメイトの点呼を終わらせて、エンジンのかかったバスの外で先生と話してる間も身体の内の火照りは消えなかった。


 入学式のときみたく緊張したせいで時間を間違え、遅刻しかけて学校まで突っ走ってきたせいじゃ、ない。そんなものどこか行った。


 身体を強張らせながら、バスに乗り込んで予め決まっている自分の席まで歩く。既に騒ぎ始めてる同じ班の美里ちゃん、奥田さん、そして……。


「おつとめごくろーさま、千草ちゃんっ」


「……う、ん。ありがとう四ツ足さん」


 ひときわ花咲く笑顔で笑ってるのは四ツ足小実さん、私のカノジョ。バスの席は2人1組だから、当たり前のように四ツ足さんの隣が空いていた。


 一瞬躊躇してしまうけど、バスが動き出し始めてその席に座る。ふわり、と四ツ足さんの香りが鼻孔をくすぐって、どれだけ身体を縮こまらせようと車体の揺れで肩が軽く触れ合う。


 四ツ足さんの顔を盗み見ると、いつも通り茶色い髪をおさげにした彼女は窓の外を何気なく眺めていた。だけどその瞳が軽く彷徨い、頬がわずかに赤らんでることに気付いてばっと顔を戻す。恐らく私もおんなじような表情になってることだろう。


 ただでさえ。ただでさえ。四ツ足さんに肌を見せることになり、見ることになり。そして吉井さんたちがいるとはいえ一緒の部屋で寝泊まりするこのレクリエーションは私にとって鬼門だった。


 同性同士だとはいえ、私たちは付き合っていて。いずれか『そういうこと』をする日が訪れるのかもしれないから。四ツ足さんはぴんと来ていないだろうから話せる話題じゃないけれど漠然と私にそんな意識を向けているのは、今までのあれこれで分かっている。


 だからこのレクリエーションは何事も起こらないように。吉井さん以外の誰かに私たちの関係がバレないように穏便に済ませるつもりだった。


 なのに、あれ。


 言うのも恥ずかしかったから暗黙の了解で行こうとした私も悪いけれど、なに? 『キス3回しよう』って。美里ちゃんの悪知恵か、冗談だよね四ツ足さん――。


「あ、あのさっ、千草ちゃん」


「……な、なに……四ツ足さん……?」


 そのとき、四ツ足さんの指が私の手に絡まってきた。弄ぶみたいに手のひらから指先まで撫でて、四ツ足さんはひそひそと話しかけてくる。


「いつキスする?」


「ぶべらっ」


 冗談どころか、やる気満々だった。背もたれがなかったら後ろにぶっ倒れて帰らぬ人になってたであろう私は、心臓の鼓動を抑えながら深呼吸。そして隣のカノジョに、小声で自分の想いを伝えていく。


「それね……。私はどうかなって思うの。確かに、あの日以来そういうことしてないのは分かってる。私だって正直言うとしたい、かな」


「ち、千草ちゃん……だいたんだね……」


「でもね、やっぱり私は誰かにバレたくないの。私たちが付き合ってるってこと。だからこういう、どこから見られるかわかんない状況で、キスって言い訳の効かないことをするのが怖くて……」


 そう、私は怖い。だから肌を見る、見られることに緊張している。だから彼女の下の名前を呼べない。行き過ぎてしまえば、進みすぎてしまえば。もしも私たちが引き離されることになったとき、2度と立ち上がれなくなりそうだったから。


 どこまでも猪突猛進でありながら、肝心なところでどこまでも臆病。四ツ足さんと恋人になれたとはいえ、私の根本的な弱さは変わっちゃいない。


「そっか。そうだよね……」


 四ツ足さんは私の指に触れたままで、下を向きながらかすかな声で呟いた。このとき、私は彼女が納得してくれると思っていた。だけど今日の四ツ足さんは一味違ったのだ。きゅっと私の手を胸元に寄せて、更に身を寄せてくる。


「だったら、誰も見てないところでならキスしてもいいってこと……? だって、千草ちゃんもしたいんでしょっ……?」


「えっ、いやそういう意味じゃ……。確かにしたいけど。したいけどね? 現実的にそんなところないでしょ? お風呂はみんなで入るし部屋だと美里ちゃんと奥田さんがいるわけだし……」


 諭すように言ってみるけど、やけに押しが強い。私はついつい四ツ足さんのくちびるとか首筋に目をやってしまってすぐに逸らした。


「ト、トイレの個室とか?」


「もし出てくるときに誰かいたら? それにトイレでキスって、なんか……。もうちょっとこう……夕日をバックにとか……それっぽいところで……」


「夕日? ロマンチストだね、千草ちゃん……。わかるけどさぁ」


「と、とにかくっ。私は人目に付かなくて、キスしたくなるようなところじゃないと絶対しないから……。このレクリエーション中もおんなじだよ。そ、そこんとこよろしくだからっ!」


「う、うん……?」


 最後は無理して声を振り絞ったけど。よくよく考えたらこれ、そういう場所なら1泊2日の間でもキスしていいって宣言してるみたいなものじゃない。それが分かったのか四ツ足さんも顔真っ赤だし、私ももう全身どうにかなりそうだし、付き合う前のどきどきしっぱなしだったあの頃に戻ったみたいだった。


 *


「…………」


「…………」


 そこから10分くらいバスは走り続けているけど、私たちは無言のままだった。けれど指先は軽くぬくもりを伝えあったままで。お互い目を合わせずにいたけど、ときおりちらちらと顔を見たりして。時は過ぎていく。


 そんなときだ。通路を挟んで横の席に座ってる奥田さんが身を乗り出して私に話しかけてきた。


「膝子さん、どっとちゃん! せっかくだからゲームでもして遊ばない?」


「あ……いいね。四ツ足さんもするでしょ?」


 じれったい空間が叩き割られて、ちょっと有難いような、残念な気分だった。傍らの四ツ足さんを振り返ると彼女も頷いていたので、奥田さんの方を向き直る。


「何するの?」


「えっとね、ツイスターゲーム」


「バスの中でやるものじゃないと思うけど、それ」


 いや、普段でも女子中学生がやるものじゃないけど。私が他に何かないか聞くと、奥田さんはうーんと思案してから人差し指を立てた。


「じゃあ、王様ゲームとかどう?」


「センスが合コンなんだけど」


 呆れ返って突っ込む。奥田さんは『ま、あたしは合唱コンクール出たことあるからね!』と謎に胸を張っていたけど、合唱コンクールを合コンと略すのは彼女だけだと思った。


 せめてしりとりとかあるでしょうに。そう言おうとしたところで、後ろからカーディガンの裾を引っ張られる。当然、四ツ足さんだった。


「ねぇ千草ちゃん、奥田さん。そのツイスターとか王様ゲームって、なに?」


 なにか一切分かってないような、純粋無垢な顔。そうだった。四ツ足さんはそうなんだった。『そういうこと』の知識がほとんどないんだ。


 これ、まさか……。私が奥田さんの向こうに視線をやると、今まで黙りこくっていた美里ちゃんが食いついたとばかりにひょっこり顔を出した。


「お、小実ちゃんは知らないんだー。だったらさ、王様ゲームだけでも説明がてらやってみない? ほら、ここに丁度数字が書かれた割り箸があるし」


「美里ちゃん……」


 にゅっと突き出された手に握られた4本の割りばしを見ながら、恨めしく呟く。ハメられた。この子、四ツ足さんの無知と私たちがなんとか付き合えたのをいいことに散々からかうつもりだ!

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