地球観測、できます
地球観測、できます。
ノノちゃんのお家へ向かう道すがらのことである。そんな看板を目にして僕は思わず立ち止まる。文字は角ばっていてお世辞にも上手とは言えないし、看板はレゴリスに突き刺さっていて、傾いている。僕はそれを真っ直ぐにしてあげようか迷ったけれど、これはこれで味があるなと思って伸ばした手を引っこめた。
「あら、少年。いらっしゃい」
少し訛りのある言葉で話しかけてきたのは、パンチパーマのおばさんだった。
「ここはなに?」
「地球を見れる。特等席でね」
「へえ」
「ゴンドラじゃ、わずかな間しか見れないだろ。ここだったら飽きるまで眺められる。なんなら、宿泊も可能だ」
「たのしそう。行ってみます」
「よしきた。じゃあ、お代」
「はあ?」
おばさんのパンチパーマは間近で観察すると紫だった。うん、パンチがきいてる。僕に向けて差し出された手のひらは張りがあってまだまだ衰えを知らなさそう。
「月の街で商売してもいいの?」
「してはいけない、というルールはなかったはずだ」
「確かにそうだ。でも僕、なにも持ってないよ」
「じゃあ時間だな。20時間わたしが貰う」
「ええ? 多すぎるよ。ぼったくりだ」
20時間だって?月の街は七日間、つまり168時間しか生存できないというのに。どうして突如現れたわけのわからないおばさんに、僕の月の街人生の約8分の1時間を捧げなくてはならないのだ。
「まあそう言わずに。年寄りを労りな。功徳を積んだと思えばいいだろ」
厚かましいにもほどがある、と言いたいところだけれど、そういえば僕は、月の使者であるマルクス・マルクに業が深いと言われている。たしかにおばさんの言う通り、何か業が軽くなるようなことをしておいた方がいいかもしれないと考えを改めた。
「じゃあ、払います」
「そうさね。それが利口だよ」
ニヤリと笑ったおばさんはたぶん、恥というものを知らないんだろうな…。なんて、僕はどこまでも失礼なことを考える。
商売に魂を売ったおばさんに着いていくと、ドーム型の天文台に案内された。静かの海天文台、と書かれた看板は、相変わらず汚い字だけれども、こちらはちゃんと、まっすぐ垂直に立っている。
「すごい!本格的ですね」
「見た目だけはね」
おばさんが苦々しく吐き出した理由を知るのは建物のなかに入ってからだった。
自動ドアを潜り抜けると、中は大きな天体望遠鏡が中央に置かれているだけで、その他目新しいものは見当たらない。
「お客は僕ひとりだけなの?」
「ああ。ここの住人たちは美しいものに興味がないんだ。風流という概念すら忘れてしまったんだろうね。残念だよ」
「おばさんがぼったくるからでしょ」
何事も適正価格というものがあるはずだ。
「おばさんはここへ来て何日目?」
「さあ。数えてないからわからない」
「そんな前からいるの?」
持ち前の推しの強さで、お客から時間を巻き上げているのだろうか。方法はどうであれ、商売はそこそこ上々みたいだ。
「私のことは後でいい。望遠鏡をのぞきな。」
おばさんは無理やり話を切り上げて僕を急かした。いっそ焦りすら感じる。ふと、おばさんの手元に目をやると、指先が青白く光っていた。
おばさんはそれを誤魔化すように、僕の背中を押して、巨大な望遠鏡まで導く。
覗いてみると、大きな丸い地球がそこにあった。完全なる円形ではないけれど。そんな些末なことは気にならない。
「わあ、大きい!」
僕の考えが変わりつつある。20時間払っても惜しくないかもしれない。
「何度だって見てもいいよ。もう代金は頂いたからね」
不敵に笑うおばさんは腰に手を当てて誇らしげだ。おばさんが造ったものでもないだろうに。
ところで、このおばさんは何者なんだろう。月の街の職員なのだろうか。
「おばさんはここのお守りをしているの?」
「お守り?まあ、任意でね」
「勝手にってこと?」
「いや、言葉を間違えたね。私は自らの奉仕の心に基づいて、ここを守っているのさ」
よくわからないけれど、まあいいや。僕にはたわごとめいて聞こえるけれども、おばさんがそう言うのなら。
そんなおばさんの指先にあった、先程の青白い光は跡形もなくすっかり消えている。見間違いだったのかな。綺麗だったのに。
惜しいなと思いながら、僕は再び望遠鏡を覗いた。ちいさな穴を覗くと、おおきくて美しい、水を纏った惑星が、暗い宇宙のなかで輝いていた。
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