月の街の神さま




 広大で波紋一つない湖は煌めきを宿していて神秘的だった。湯気が立ち昇るように光の粒が揺蕩っていて、一帯の深い闇を眩いくらいに照らしている。


 たぶん僕は今、地球にいたときよりも、いい顔をしていると思う。


 暗く果てのない宇宙のただなかに、これ程までに美しい湖が満ち満ちているなんて。地球にいれば知ることなんてできなかった。


 うつつを抜かす僕にクラックス・クラウンが淡々と説明する。


「これが神酒の海です。真ん中に祠が見えるでしょ。あそこに神さまがおられます」


 ウサギの言うように、神酒の海の中央にある入江には祠が祀られていて、岸からそこに至るまでには一本の赤い橋が架かっていた。


「では、参りましょうか」


 細い橋の上を一列になって進むと、僕たちはコバルトブルーの光に包まれた。


 クラックス・クラウンは仰々しく歩を進める。足取りは慎重で重々しい。


 反して僕は、好奇心を抑えきれない。落ち着きなく辺りを見渡しては、軽い足取りで、白い獣のあとを着いてゆく。


 途中、欄干に掴まって湖の底を覗き込む。ありがちな鯉や金魚は勿論いない。ただ水は透明度が高く、透き通っていて底まで見通せる。まるで一枚のガラスのようだ。


 よく見れば、みなぞこの一粒一粒の砂がきらきら発光していている。

 湖が光を湛えているように見えるのはこの為だろう。


「ねえ!凄いところだね」

「しっ。神さまの前ですよ。私語は謹んで」


 クラックス・クラウンは素早く振り返ると口元に手を当て僕を諌めた。


 割りかし真面目に怒られてしまった。子どもみたいな真似はやめよう。子どもなんだけど。



 入江に着くと祠のようなもの、もとい神さまの前で僕たちは二人並んでお辞儀をした。祠は扉が閉められていて、中にどのようなものが祀られているのかは分からない。


 クラックス・クラウンはお辞儀を終えたあともそこを動かない。僕がウサギの動向を見守っていると、閉じられた扉の向こうからぶわっと白光が放たれた。


「…!」


 私語は厳禁みたいなので僕はこれが何なのかクラックス・クラウンに尋ねることができない。不思議な光だった。眩いのに影ができない。


 ああこれが神さまなんだ。

 僕は体の内側から響く声に耳を傾ける。


 あわれなちきゅうのたみよ

 ぎんせんぎょくとへ ようこそ

 わたしのみづうみをのみなさい

 さすれば

 あなたのたましいはひとをはなれ

 えんまんなるわたしのからだと

 げいごうすることができるでしょう


 クラックス・クラウンは赤い目を僕に向けて様子を窺っている。


 声が静まると、僕は隣のウサギを見た。


 不思議な感覚だった。神秘的、ってこういうのを言うんだって感じ。心がひどく穏やかになって、ほわんとした温もりを覚える。



 神さまの許可を得たと察したクラックス・クラウンは僕をつれて祠の裏側に回る。そこには井戸を囲む円形の柵があった。


 僕は柵に近寄り、爪先立ちをして井戸の中を覗き込もうとする。

 残念だけれど、背が低くて見えない。


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