君はさいてい



「知らないでしょ。この世界は哀しいんだよ。ノノは世間知らずだね。パパとママに愛されて、大きなお家に住んで。不幸なことなんて、なあんにも知らないでしょ?」


 かえりみち。彼岸花の咲くじめじめした団地公園の真裏である。公園から切り離された余白で、僕たちは淡々と言葉を交わしている。と言っても、どうやら口を開いているのは僕だけのよう。5階建てのボロボロの団地がつめたい影を落としている。僕たちはその薄い闇に飲み込まれている。ノノちゃんの背後には日向の明るい世界が見える。日差しに照らされた真白い雲、真っ青な空、囀る小鳥。ああなんて、恨めしい。


 足の位置を変えるだけで砂のじゃりじゃりした音がする。その音に怯えた女の子。桐谷ノノ。制服を捲り上げたお腹に、僕はカッターで傷をつけている。


 いたいよう。いたいよう。


「痛くないよ。これくらい」


 僕の声は建物が落とす影の如くつめたい。


 血がたらたらと白い肌を流れてゆく。さあどこまでだったら君はパパとママに隠し通せるだろうね。


「痛いようやめてよう」


 哀しい?辛い?もっと泣けば。そのとき初めて、きみは痛いの意味がわかるんだろう。そしてそのときに初めて、ルルくんは可哀想だねって言えばいい。


「ごめんなさい。わたしがわるかったから」

「そうだね。きみがわるい。君はさいてい」


 左の肋骨のあたりを刃先で撫でる。結露したガラス窓に線を引いたみたいに雫が流れてゆく。

 きみはさいてい。自分のことばを胸の内で繰り返す。おまえもさいてい。冷静なもう一人の自分が僕の脳内で語り出す。被害者はぼくで加害者はあのこ。でも僕も十分加害者だね。かわいそう、仮にそんな言葉がだいきらいだとしても、あのとき君に悪意がなかったのであれば。


 光を纏った白い雲が流れる。真っ青な空には西日の兆し。かあかあと、カラスが鳴いて電柱に止まる。


 僕たちは、日影のなか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る