月でのデートは初々しく



 暗く明るい宇宙のなかでノノちゃんとデートをした。僕たちはパジャマのまま手をつないで、発光するレゴリスの上を歩く。まるで海のない砂浜をゆくように。

 砂塵の上はひどく歩きにくいけれど、ノノちゃんとならそれすらも楽しめた。今なら箸が転がるだけで笑えそうな気がする。


 あのあと、ミツコさんの消失から立ち直ったノノちゃんはとても愛らしい目でわらうようになった。

 ここは不思議だ。

 地球にいたときよりも、哀しみを感じない。たぶん、の話だけれど。


 ちょっと遠いけれど、ミツコさんに教えてもらった桂の樹へゆき、二人で根元に腰掛ける。そこでは一帯に甘い香りがくゆっている。巨大な幹の周りでは、談笑する人やランニングをする人がいた。あと、職員のウサギが数羽に群れて跳ねている。月らしい光景を僕は初めて見た気がした。


「おや、ふたりはデートかい」


 首からタオルをかけたウサギが僕たちに近寄る。いい運動した、とばかりに額の汗をぬぐったウサギは、さっき群れて飛び跳ねていた集団の一羽だろう。

 ぼくたちは、そうなんですと声を揃えた。


「デートならお勧めはゴンドラだ。この樹の根元に階段がある。それをのぼってゆくと乗り場があるから、そうだな、アーケルシア岬にでもゆくといい。途中でおおきな地球が見える。ロマンチックだよ」


 ノノちゃんはとても人見知りで、誰かが近づいてくると決まって僕の腕にくっついた。このときばかりも例外ではない。


 僕たちはウサギにお礼を言って、幹のまわりで砂遊びをしたり、即興の童話をつくったりして甘い香りのなかを楽しんだ。


 童話をつくるのはノノちゃんのほうが圧倒的にじょうずだった。

 僕がつくる童話はへたくそで、それに全然ハッピーエンドにならない。この時ばかりはノノちゃんもその愛らしい眉をしかめた。僕は苦笑いして声を収めた。

 ノノちゃんには、あまり不幸なものがたりに触れてほしくないと思ったからだ。


 ノノちゃんの美しい童話を聞き終えた僕たちは立ち上がった。そして桂の樹の周囲を歩いていると、遠目に階段のようなものを見つける。さっきのウサギの職員が言ってたやつだ。

 階段は細くて一人しか通れないから、僕はクラックス・クラウンがしてくれたように、ノノちゃんを先にあがらせて僕はその背中を守るように後に続いた。


 階段は長い。登っている途中で振り返ると、眼下で樹の根元に群がる人々が小さく見える。更に登ると、その小さな姿の群れは、発光する砂煙にまぎれてしまう。


「ルル、なにしてるの?」


 階段を上がり切った場所にノノちゃがいて、僕を呼んでいる。

 ノノちゃんの背中越しに、移動するゴンドラが見えた。


「ごめん。今行くよ。」


 ノノちゃんに名前呼ばれたの、初めてかも。



○●



 ゴンドラの中は相変わらず暗くて狭い。けれどノノちゃんと二人きりになれるから、怖いことはない。ノノちゃんも僕と同じ気持ちみたいで、僕たちは手を繋いで、ひとつのシートに並んで座った。


 なんだか、ひどく緊張した。

 僕らしくない。

 と、笑い飛ばすこともできないくらい。


 ノノちゃんも同じみたいで、僕の手をぎゅっと握っては、初めて出会ったときのように俯いてる。


「わあ、きれいだよ。みて?」


 そのとき、ゴンドラの窓から大きな大きな地球が見えた。サファイアみたいに美しい、目の覚めるような青色が、暗い宇宙にはっきりと浮かんでいる。白い雲が青い球に混じっていっそ模様のようだ。


 俯いていたノノちゃんも顔をあげて頬を上昇させた。テンションが上がっている。


「すごい!」

「すごいね。僕たち、あそこに住んでいたんだね。」


 深い感慨をもって、僕たちは巨大な青い星を眺めた。あんな美しい星に住んでいて、僕たちはどうして此処へ来てしまったのだろう、と少し考え込んでしまった。


 僕の沈んだ雰囲気が伝播したのだろうか。ノノちゃんの顔はさっきよりもいくらか暗い。


「ねえルルは、どうしてここへ来たの?」


 声をひそめたノノちゃんは、自分の質問が、僕の機嫌を悪くしないか案じているようだった。


 言うべきか言わざるべきか、僕はわずかに迷う。

 だって、楽しい雰囲気にならないことは確かだから。


「お母さんが自殺したんだって」


 母の自死11g。父の蒸発7g。僕は哀しみ事項記録の文字を思い返す。けれど心当たりはない。ほんとうに他人事みたい。新聞を読む感覚に近かった。


「ノノちゃんは?」


 尋ねて、僕も一抹の不安を覚える。

 ノノちゃんを悲しませやしないかって。


 けれど、不安の原因はきっと、それだけではない。


「虐められたの」


 青い地球が僕たちのよこを通り過ぎてゆく。

 実際は、僕たちをのせたゴンドラが移動しているのだけれど。


「そう」


 ルルは知らない?


 そのとき、僕の頭のなかで、知らない女性の声がした。

 なんだかひどく頭が痛くなって、僕はぎゅっと目を閉じた。

 思い出しそうだ、と思った。

 アンラッキーだ。涼しい顔をしてそう呟いたマルクス・マルクの顔が脳裏を掠める。


「なにも覚えていないけれど、ひどく悲しいの。だから、わたしは此処にきてよかった。」


 悲しそうに微笑むノノちゃんにかけてあげる声が見当たらなかった。不甲斐ない、とはこのことを言うのかと、僕はひとりでに思い出そうとする脳の働きを抑制して、今、目の前の少女のことだけを考えていた。


「ノノちゃん、好きだよ」


 こんなときにこんなことを言う僕は卑怯だろうか。本当のこと、をレゴリスのなかに隠して、過去を宇宙の藻屑にして、僕は目の前のノノちゃんだけを大切にしてあげたい。


 ねえマルクス・マルク。

 これは裏切り?

 僕たちはなにもわからないよ。

 愚かな子どもだもんね。


 驚いて僕を見つめるノノちゃんの瞳が和らいでいく。花がひらくように。そうして口元に笑みが浮かぶ。その桜色の唇に、おそるおそる触ってみる。いつか春の景色で見た、あの黒い枝を持った樹のことを思い出す。花が咲き乱れていた。透き通る空は水色だった。きみがわらうだけで、此処はこんなにも温かくなる。春みたいに。春みたいに。

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