ノノちゃんを探す旅 〈神酒の海へ〉



 だあれもいない、真っ暗な展望台では、空のゴンドラががたんごとん、と音を立てては、回転寿司のレールのように流れていく。

 ゴンドラの口が開き、やがて閉まり、線路に沿って闇の向こうへ。

 また闇の向こうから、空のゴンドラがやってくる。そうして口を開き、僕を誘う。


「途方に暮れてる?」

「うん」


 僕は青白く光る自分の五指を呆然と眺めながら返事をする。


「マルクス・マルクは僕のことが好きなんだね」

「そうだよ。だあいすき」

「きもちわる…」


 五指を掌に握り込む。拳全体が青白く発光する。もう手首まで、この光に侵されてしまいそう。


「ノノちゃんは神酒の海にいるよ」

「神さまのところ?どうして?」

「さあ。人間が嫌になったのかねえ」


 ゴトン、ゴトン、と音がする。


 絶えずたえず、音がする。


 僕はマルクス・マルクとゴンドラに乗り込んだ。この男は無駄に図体がでかいので、一緒に乗るとひどく窮屈だった。


「懐かしいね。」

「うん」


 窓の外の景色を眺めながら、僕はマルクス・マルクと神酒の海から帰ってきたことを思い出す。あのときは、ひどく疲れていて。すぐに眠ってしまった。


「あのときみたいに眠らないのかい」

「うーん…」

「ああ…夢を見るんだ?」

「…わかってるなら聞くなよ」


 悪趣味なヤツ、と吐き捨てると、男は笑った。僕に辛辣な言葉をかけられるのが嬉しいみたい。つくづく気味が悪いよね。


「僕を案内したら、マルクス・マルクはどうするの?」

「心配してくれているのかい」

「まあね、好きじゃないけど、情はある」

「ふふ。君はなんだかんだ、優しいよ。」


 倦んだ微笑みを落として、マルクス・マルクは言う。大人しく裁判にかけられるさ。ウサギどもに連れられてね。

 男は、なんだか投げやりな口調だった。この際、どうにでもなれ、と思っているのかもしれない。


「前にさ。覚えてる?別れの挨拶をしないと、消えられなくなるって言ってたよね」


 自分でも唐突すぎたかな、と思う。僕の言葉を受けて、マルクス・マルクは無言になった。自分で言ったことなのにね。


「もしかして、別れの挨拶をしなかったの?」


 ゴンドラには不気味な沈黙が流れた。

 マルクス・マルクが押し黙るなんて珍しい。

 けれど僕は気にしない。僕だって、コイツに傷口を抉られたのだもの。僕がえぐったって、誰にも非難されないはずだ。


「そうだよ」


 堪忍したふうに、または思い出すように、マルクス・マルクは口を開いた。


「君は僕にとてもよく似ていたから。だからつい、揶揄ったり、助けたり、してしまうんだよね。」


 その途切れ途切れになった言葉は、たぶんマルクス・マルクの本音だった。ふと、目の前の男を見遣る。マルクス・マルクはうつむいて、辛そうだった。言葉じゃなくて、赤い血が流れ出しているみたい。そうして、ひとり、呻いているみたい。


「辛気臭いよ、マルクス・マルク。オレと一緒に、神さまに怒られてくれるんでしょ。」


 ーーああ。神酒の海が見えてきた。


 コバルトブルーに輝くあの湖が。


 発光する雄大な山脈をとおって、ゴンドラは進んでいく。

 僕は緊張を滲ませる。


 ノノちゃんと会うのが、ひどく怖い。


「大丈夫だよ。」


 するとマルクス・マルクが、まるで赤子を抱えた母親のごとき優しい声で僕を励ます。


「君は優しい。なにもかもすべて、うまくいく。」


「…調子狂うよ」


 僕はなんだか気恥ずかしくて。そんな優しい言葉、かけてもらうのはいつぶりだろう。大丈夫だよね。一人じゃないもの。ねえ、マルクス・マルク。僕と一緒に、神様に叱られにゆこう。



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