ノノちゃんを探す旅 〈身勝手なママ〉



 月では疲労を感じない。だから歩きすぎて足がパンパンになることも、息が切れることもない。

 ただ頭上に広がる広大な宇宙と、そこに瞬く星が、絶えず僕たちを包んでは見守っている。または、嘲笑っている。


 桂の樹へも行った。広場も行った。そこでは誰もノノちゃんを見たと証言する人はいなかった。

 あとは、どこだろう。

 ノノちゃんが行きそうな場所は。


 一先ず冷静になろうと、手近な隕石に腰かける。ゴツゴツしていて、お尻が痛いけれど、それが逆に心地よい。


 河童おじさんがくれたライターと、吸いかけのタバコはパジャマのポケットにあった。僕はその二つを取り出して、煙草に火をつける。ーーと、そのとき。タバコをぽろりと、落としてしまいそうなくらい僕は動揺する。


「指先が…光ってる」


 タバコを挟んだ僕の指先が、青白い光を放っているのだ。

 僕は展望台のおばさんに20時間を代金として支払っている。だから、僕が消える時間と、ノノちゃんが消える時間はほとんど同じくらい、もしくは、ノノちゃんが少し早い。

 急がなきゃ。慌ててタバコの火を隕石に押しつけて消してしまうと、またポケットに入れて歩き始めた。



○●



 ねえママ。僕の年相応な、あの甘えるような、気持ちの悪い声がする。

 なあに、ルル。とびきり暗く、とびきり嫋やかな声で、ママが返事をする。これを飲んだら死ねるんだって僕に説明してくれた、あの薬をダイニングテーブルの上でよりわけながら。

 僕の涙は枯れ果てて。否、もう泣いても無駄なんだと思って。僕の存在は、ママの人生において、なんら影響を及さなかった。水面に映る木立の影と同じだね。ママの人生に僕が干渉できるのは、そんな幻くらい。僕はママの息子でありながら、いつまでたっても、ママという泉を構成する水にはなれないの。ママはそれが当たり前なんだと言う。僕はそれを受け入れられないでいる。

 けれど頭では分かっている。そうだよね。しょせん、別の人間だもの。


 哀しくて、からだの底がふるえた。

 哀しくて、頭がまっしろになった。

 哀しくて、こなごなになりそうだった。


 哀しくて。

 もうみんな死んでしまえって思った。


 ねえママ。「ママがしんでも、また明日には同じ朝がくるの? この世界は、変わらないの?」学校もいつも通りあって。子どもたちがはしゃいで。信号機は赤と青と黄色だけで。早朝には小鳥が囀って。ねえママ。そんなの僕、耐えられないよ。


 さあ分からないわ。ママはそのときには遺体だもの。ママは細く生気のない指で薬を摘むと、錠剤を飲み込みながら言った。


「ママを失った世界で、僕はこれからも、生き続けるの? ママがいた時みたいに?」

「そうよ。あなたがそれをのぞむなら」


 さあ、ねんねのお時間よ。ママは病むように笑む。いとおしい、愛おしい、ママのルル。とこしえに、おやすみなさい。



「哀しみの重量が規定の21gを超えました。すみやかに月の街へ移動して下さい」


 ねえマルクス・マルク。


 この世界には夢などない。絵本のような物語などない。僕は冷たい窓を閉める。金色の三日月が、じっと、僕を見つめている。マルクス・マルク。また来てよ。僕をノノちゃんのところに、連れて行ってほしいんだ。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る