月にゆくまで

0日目

初めまして、月の使者


○●



 この世界は哀しい。誰かがそう言っていた。それはママかもしれないし、失踪したあの子かもしれないし、物語の登場人物かもしれない。もしかしたら今より幼き頃の僕かもしれない。


 けれど僕は、この世界が大小さまざまな哀しみで成り立っているものだとは思わない。

 なぜって、地球にいた時のことはもう殆ど忘れてしまったから。



○●



 夜風に吹かれカーテンがはためく。青みがかった漆黒の夜空には金色の三日月が浮かんでいた。


 僕は少しつかれていた。だから柄にもなく月を見上げていたのだと思う。


 学校なんてうんざり。

 ノノちゃんなんてどうでもいい。

 あそこに住んでみたい。


 でもあそこに人は住めない。鳥も、魚も、虫も植物も、なあんにもないところなんだ。


 僕はちいさなため息と共に絵本を閉じた。そうして体を伸ばして窓を閉める。夜の秋風は体に障る。


 まぶしい。


 明かりを落とすと、部屋に真っ暗な闇が満ちた。僕も溶けてしまいそうなくらい深い闇。


 ベッドに潜って目を閉じる。どうしたことか、体がすこし震えている。瞼の裏では黄金色の三日月が皓々と輝いていた。それはお告げのように僕の瞼から消えてくれない。


 まぶしい。


 アンドロイドが喋りだしたのはその時だった。


「哀しみの重量が規定の21gを超えました。速やかに月の街へ移動してください」


 何事かと僕は息を詰める。


 目を開いて上体を起こすと、卓上ライトの側に置いたスマホが白く発光していた。誰も操作していないのに。


 ベッドから降りて画面を覗き込む。そこには「通告」という文字が浮かび上がっていた。


「哀しみの重量が規定の21gを超えました。速やかに月の街へ移動してください」


 感情も情緒もないアンドロイドの声に、僕の肩が一々跳ねる。


 なんだあれは。そもそも、音が大きすぎる。夜眠る前に聞く音量ではない。心臓に悪い。あれを止めなくちゃ。


 気味の悪さに身震いしながら、僕は部屋の明かりをつけようと壁際に近寄る。スイッチに手を伸ばすと突然手首を掴まれた。


「その必要はないよ。もうここを出るから」

「…だれ?」


 強がっていたけれど僕の声はわずかに震えている。その怯えに気付いた大人が微笑みの気配を見せる。


「マルクス・マルク。月の使者だよ」


「哀しみの重量が規定の21gを超えました。速やかに月の街へ移動してください」


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