二十三
月が変わってから寒さがだいぶゆるんだ。官吏の増俸問題につれて必然起こるべく、多数の噂にのぼった局員課員の淘汰も、月末までにほぼかたづいた。そのあいだにぽつりぽつりと首をきられる知人や未知人の名前を絶えず耳にした宗助は、時々
「
月が改まって、役所の動揺もこれで一段落だと
「まあ助かった」とむずかしげに言った。そのうれしくも悲しくもない様子が、お米には天から落ちた滑稽に見えた。
また二、三日して宗助の月給が五円のぼった。
「原則どおり二割五分増さないでもしかたがあるまい。やめられた人も、元給のままでいる人もたくさんあるんだから」と言った宗助は、この五円に自己以上の価値をもたらし帰ったごとく満足の色を見せた。お米はむろんのこと心のうちに、不足を訴えるべき余地を見いださなかった。
あくる日の晩宗助はわが
「やあごちそうだなあ」と言って勝手からはいってきた。
梅がちらほらと目に入るようになった。早いのはすでに色を失って散りかけた。雨は煙るように降りはじめた。それがはれて、日に蒸されるとき、地面からも、屋根からも、春の記憶を新たにすべき湿気がむらむらと立ちのぼった。
「ようやく冬が過ぎたようね。あなた
「うん、思いきって行って
小康はかくして事を好まない夫婦の上に落ちた。ある日曜の
「まだ鳴きはじめだからへただね」
「ええ、まだ十分に舌が回りません」
宗助は
「ほんとうにありがたいわね。ようやくのこと春になって」と言って、はればれしい
「うん、しかしまたじき冬になるよ」と答えて、下を向いたまま鋏を動かしていた。
門 夏目漱石/カクヨム近代文学館 @Kotenbu_official
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