二十
障子の外で野中さん、野中さんと呼ぶ声が二度ほど聞こえた。宗助は半睡のうちにはいとこたえたつもりであったが、返事をしきらないさきに、早く知覚を失って、また正体なく寝入ってしまった。
二度目に目がさめた時、彼は驚いて飛び起きた。縁側へ出ると、宜道が
「おはよう」と挨拶した。彼は今朝もまたとくに参禅をすました後、こうして
「今朝もつい寝忘れて失礼しました」
彼はこそこそ勝手口から井戸端の方へ出た。そうして冷たい水をくんでできるだけ早く顔を洗った。延びかかった
紹介状をもらうときに東京で聞いたところによると、この宜道という坊さんは、たいへん
この
この庵を預かるようになってから、もう二年になるが、まだ本式に床を並べて、楽に足を延ばして寝たことはないと言った。冬でも着物のまま壁にもたれて
「ようやくこのごろになって少し楽になりました。しかしまだ先がございます。修業はじっさい苦しいものです。そう容易にできるものなら、いくら
宗助はただ
「けっして損になる気づかいはございません。十分すわれば、十分の功があり、二十分すわれば二十分の徳があるのはむろんです。そのうえ最初を一つきれいにぶち抜いておけば、あとはこういうふうに始終ここにおいでにならないでもすみますから」
宗助は義理にもまた自分の
こんな時に宜道が来て、
「野中さん
提唱のある場所は、やはり一窓庵から一町も隔たっていた。蓮池の前を通り越して、それを左へ曲がらずにまっすぐに突き当たると、屋根瓦をいかめしく重ねた高い軒が、松の間に仰がれた。宜道は懐に黒い表紙の本を入れていた。宗助はむろん手ぶらであった。提唱というのが、学校でいう講義の意味であることさえ、ここへ来てはじめて知った。
やがて老師が現われた。畳を見つめていた宗助には、彼がどこを通って、どこからここへ出たかさっぱりわからなかった。ただ彼の落ち付きはらって曲彔による重々しい姿を見た。一人の若い僧が立ちながら、紫の
このとき堂上の僧はいっせいに合掌して、
「我に三等の
やがて提唱が始まった。宜道は懐から例の書物を出して、ページをなかばずらして宗助の前へ置いた。それは
「ありがたい結構な本です」と宗助に教えてくれた。
中途から顔を出した宗助には、よくも
「このごろ室中に来たって、どうも
一時間の後宜道と宗助は
「ああして提唱のある時に、よく参禅者の不心得を
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