十三
新年の頭をこしらえようという気になって、宗助は久しぶりに
しばらくストーブのはたで煙草を吹かして待っているあいだに、宗助は自分と関係のない大きな世間の活動にいやおうなしにまきこまれて、やむをえず年を越さなければならない人のごとくに感じた。正月を目の前へ控えた彼は、実際これという新しい希望もないのに、いたずらに周囲から誘われて、なんだかざわざわした心持ちをいだいていたのである。
お米の
年の暮れに、事を好むとしか思われない世間の人が、わざと短い日を前に押し出したがってあくせくする様子を見ると、宗助はなおのことこの
頭へにおいのする油を塗られて、景気のいい声を後からかけられて、表へ出たときは、それでも清々した心持ちであった。お米のすすめどおり髪を刈ったほうが、つまり気を新たにする効果があったのを、冷たい空気のなかで、宗助は自覚した。
水道税のことでちょっと聞き合わせる必要が生じたので、宗助は帰り路に坂井へ寄った。下女が出てきて、こちらへと言うから、いつもの座敷へ案内するかと思うと、そこを通り越して、茶の間へ導いていった。すると茶の間の襖が二寸ばかりあいていて、中から三、四人の笑い声が聞こえた。坂井の家庭は相変わらず陽気であった。
主人は
主人と細君のほかに、
宗助はすわって五分とたたないうちに、さっきの笑い声は、この変な男と坂井の家族とのあいだにとりかわされた問答から出ることを知った。男は
「これは
「どうか旦那、一つ買っておくれ」と挨拶をした。
なるほど
「字の書けるものは、この人ぎりなんだそうですよ」と言って細君は笑った。すると織屋も、
「ほんとうのことだよ、奥さん。読み書き
織屋はいろいろの
「織屋、お前そうして荷をしょって、外へ出て、時分どきになったら、やっぱり御膳を食べるんだろうね」と細君が聞いた。
「飯を食わねえでいられるもんじゃないよ。腹の減ることちゅうたら」
「どんな所で食べるの」
「どんな所で食べるちゅうて、やっぱり茶屋で食うだね」
主人は笑いながら茶屋とはなんだと聞いた。織屋は、飯を食わす所が茶屋だと答えた。それから東京へ
織屋はしまいに
「どうですあなたも、ついでになにか一つ。奥さんの不断着でも」と勧めた。細君もこういう機会に買っておくと、幾割か値安に買える便宜を説いた。そうして、
「なにお払いはいつでもいいんです」と受け合ってくれた。宗助はとうとうお米のために、銘仙を一反買うことにした。主人はそれをさんざん値切って三円にまけさした。織屋はまけたあとでまた、
「まったく値じゃねえね。泣きたくなるね」と言ったので、大勢がまた一度に笑った。
織屋はどこへ行っても、こういうひなびた言葉を使って通しているらしかった。毎日なじみの家をぐるぐる回って歩いているうちには、背中の荷がだんだん
「
「じっさい珍しい男です」と主人も評語を添えた。三日も外へ出ないと、町幅がいつのまにかとり広げられていたり、一日新聞を読まないと、電車の開通を知らずに過ごしたりする今の世に、年に二度も東京へ出ながら、こう山男の特色をどこまでも維持してゆくのは、じっさい珍しいに違いなかった。宗助はつくづくこの織屋の
彼は坂井を辞して、
「あなた今夜敷いて寝てください」と言って、お米は宗助をかえりみた。夫から、坂井へ来ていた甲斐の男の話を聞いた時は、お米もさすがに大きな声を出して笑った。そうして宗助の持って帰った銘仙の
「どうして、そう安く売って割に合うんでしょう」としまいに聞きだした。
「なに中へ立つ呉服屋がもうけすぎてるのさ」と宗助はその道に明るいようなことを、この一反の銘仙から推断して答えた。
夫婦の話はそれから、坂井の生活に余裕のあることと、その余裕のために、横町の道具屋などに意外な儲け
「なに金があるばかりじゃない。一つは子供が多いからさ。子供さえあれば、たいてい貧乏な
その言い方が、自分たちの
二人はいつものとおり十時過ぎ床にはいったが、夫の目がまださめているころをみはからって、お米は宗助の方を向いて話しかけた。
「あなたさっき子供がないと
宗助はこれに類似のことを普般的に言った覚えはたしかにあった。けれどもそれはあながちに、自分たちの身の上について、特にお米の注意をひくために口にした、故意の観察でないのだから、こう改まって聞きただされると、困るよりほかはなかった。
「なにも
この返事を受けたお米は、しばらく黙っていた。やがて、
「でも宅のことを始終淋しい淋しいと思っていらっしゃるから、ひっきょうあんなことをおっしゃるんでしょう」とまえとほぼ似たような問を繰り返した。宗助はもとよりそうだと答えなければならないあるものを頭の中にもっていた。けれどもお米をはばかって、それほどあからさまな自白をあえてしえなかった。この病気あがりの細君の心を休めるためには、かえってそれを冗談にして笑ってしまうほうがよかろうと考えたので、
「淋しいといえば、そりゃ淋しくないでもないがね」と調子をかえてなるべく陽気に出たが、そこで詰まったきり、新しい文句も、おもしろい言葉も容易に思いつけなかった。やむをえず、
「まあいいや。心配するな」と言った。お米はまたなんとも答えなかった。宗助は話題を変えようと思って、
「
「私は実にあなたにお気の毒で」とせつなそうに言い訳を半分して、またそれなり黙ってしまった。ランプはいつものように床の間の上にすえてあった。お米は
「とうからあなたに打ち明けてあやまろうあやまろうと思っていたんですが、つい言いにくかったもんだから、それなりにしておいたのです」ととぎれとぎれに言った。宗助にはなんの意味かまるでわからなかった。多少はヒステリーのせいかとも思ったが、全然そうとも決しかねて、しばらくぼんやりしていた。するとお米が思いつめた調子で、
「私にはとても子供のできる見込みはないのよ」と言いきって泣きだした。
宗助はこの可憐な自白をどうなぐさめていいか、分別に余って当惑していたうちにも、お米に対してはなはだ気の毒だという思いが非常に高まった。
「子供なんざ、なくてもいいじゃないか。上の坂井さん見たようにたくさん生まれてごらん、はたから見ていても気の毒だよ。まるで幼稚園のようで」
「だって一人もできないときまっちまったら、あなただってよかないでしょう」
「まだできないときまりゃしないじゃないか。これから生まれるかもしれないやね」
お米はなおと泣きだした。宗助もとほうにくれて、
夫婦は和合
はじめて
福岡へ移ってからまもなく、お米はまた
「どうしましょう」と
すると三度目の記憶が来た。宗助が東京に移ってはじめての年に、お米はまた懐妊したのである。出京の当座は、だいぶからだが衰えていたので、お米はもちろん、宗助もひどくそこを気づかったが、今度こそはという腹は両方にあったので、はりのある月を無事にだんだんと重ねていった。ところがちょうど
「よく気をつけないとあぶないよ」と穏やかに注意を加えて過ぎた。
とかくするうちに月が満ちた。いよいよ生まれるという間ぎわまで日が詰まったとき、宗助は役所へ出ながらも、お米のことがしきりに気にかかった。帰りにはいつも、今日はことによると留守のうちになどと案じ続けては、自分の家の格子の前に立った。そうしてなかば予期している赤児の泣き声が聞こえないと、かえってなにかの変でも起こったらしく感じて、急いで
さいわいにお米の産気づいたのは、宗助の外に用のない夜中だったので、そばにいて世話のできるという点から見ればはなはだ都合がよかった。産婆もゆっくり間に合うし、脱脂綿その他の準備もことごとく不足なくとりそろえてあった。産も案外軽かった。けれどもかんじんの
産婆は出産のあったつい一週間まえに来て、丁寧に胎児の心臓まで聴診して、至極御健全だと保証していったのである。よく産婆の言うことに間違いがあって、腹の
罪は産婆にもあった。けれどもなかば以上はお米の落度に違いなかった。臍帯纏絡の変状は、お米が井戸端で滑って痛く尻持ちをついた五か月まえすでにみずからかもしたものと知れた。お米は産後の
これが子供に関する夫婦の過去であった。この苦い経験をなめた彼等は、それ以後幼児についてあまり多くを語るを好まなかった。けれども二人の生活の裏側は、この記憶のために
お米の夫に打ち明けるといったのは、もとより二人の共有していた事実についてではなかった。彼女は三度目の胎児を失った時、夫からそのおりの模様を聞いて、いかにも自分が残酷な母であるかのごとく感じた。自分が手を下した覚えがないにせよ、考えようによっては、自分と生を与えたものの生を奪うために、
彼女はそのとき普通の産婦のように、三週間を床の中で暮らした。それはからだからいうときわめて安静の三週間に違いなかった。同時に心からいうと、恐るべき忍耐の三週間であった。宗助は亡児のために、小さい
お米は宗助のするすべてを、寝ながら見たり聞いたりしていた。そうして蒲団の上にあお向けになったまま、この二つの小さい位牌を、目に見えない因果の糸を長く引いて互いに結びつけた。それからその糸をなお遠く延ばして、これは位牌にもならずに流れてしまった、はじめから形のない、ぼんやりした影のような死児の上に投げかけた。お米は広島と福岡と東京に残る一つずつの記憶の底に、動かしがたい運命のおごそかな支配を認めて、そのおごそかな支配のもとに立つ、幾月日の自分を、不思議にも同じ不幸を繰り返すべく作られた母であると観じたとき、時ならぬ
お米はこの苦しい半月あまりを、枕の上でじっと見つめながら過ごした。しまいには我慢して横になっているのが、いかにもつらかったので、看護婦の帰ったあくる日に、こっそり起きてぶらぶらしてみたが、それでも心にせまる不安は、容易にまぎらせなかった。たいぎなからだをむりに動かすわりに、頭の中は少しも動いてくれないので、またがっかりして、ついには取り放しの夜具の下へもぐり込んで、人の世を遠ざけるように、目を堅くつぶってしまうこともあった。
そのうち定期の三週間も過ぎて、お米のからだはおのずからすっきりなった。お米はきれいに床を払って、新しい気のする
天気のすぐれて美しいある日の午前、お米はいつものとおり宗助を送り出してからじきに、表へ出た。もう女は
彼女は多数の文明人に共通な迷信を子供の時から持っていた。けれども平生はその迷信がまた多数の文明人と同じように、遊戯的に外に現われるだけですんでいた。それが実生活のおごそかな部分を冒すようになったのは、まったく珍しいといわなければならなかった。お米はその時まじめな態度とまじめな心をもって、易者の前にすわって、自分が将来子を生むべき、また子を育てるべき運命を天から与えられるだろうかを確かめた。易者は大道に店を出して、往来の人の身の上を一、二銭でうらなう人と、少しも違った様子もなく、
「あなたには子供はできません」と落ち付きはらって宣告した。お米は無言のまま、しばらく易者の言葉を頭の中でかんだり砕いたりした。それから顔を上げて、
「なぜでしょう」と聞き返した。その時お米は易者が返事をするまえに、また考えるだろうと思った。ところが彼はまともにお米の目の間を見つめたまま、すぐ、
「あなたは人に対してすまないことをした覚えがある。その罪がたたっているから、子供はけっして育たない」と言いきった。お米はこの
お米の宗助に打ちあけないで、今まで過ごしたというのは、この易者の判断であった。宗助は床の間に乗せた細いランプの
「神経の起こったとき、わざわざそんなばかなところに出かけるからさ。
「恐ろしいから、もうけっして行かないわ」
「行かないほうがいい。ばかげている」
宗助はわざとおうような答をしてまた寝てしまった。
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