十四
宗助とお米とは仲のいい夫婦に違いなかった。いっしょになってから
自然の勢いとして、彼らの生活は単調に流れないわけにいかなかった。彼らは複雑な社会のわずらいを避けえたとともに、その社会の活動から出るさまざまの経験に直接触れる機会を、自分とふさいでしまって、都会に住みながら、都会に住む文明人の特権を捨てたような結果に到着した。彼らも自分たちの日常に変化のないことはおりおり自覚した。お互いがお互いに飽きるの、物足りなくなるのという心はみじんも起こらなかったけれども、お互いの頭に受け入れる生活の内容には、刺激に乏しいあるものが潜んでいるような鈍い訴えがあった。それにもかかわらず、彼らが毎日同じ判を同じ胸に押して、長の月日をうまず渡ってきたのは、彼らがはじめから一般の社会に興味を失っていたためではなかった。社会のほうで彼らを二人ぎりに切り詰めて、その二人の冷ややかな
彼らはこの抱合のうちに、尋常の夫婦に見いだしがたい親和と飽満と、それに伴う
彼らは人並以上に睦まじい月日をかわらずに
宗助は相当に資産のある東京ものの子弟として、彼らに共通なはでな
彼は生まれつき理解のいい男であった。したがって大した勉強をする気にはなれなかった。学問は社会へ出るための方便と心得ていたから、社会を一歩退かなくっては達することのできない、学者という地位には、あまり多くの興味をもっていなかった。彼はただ教場へ出て、普通の学生のするとおり、多くのノートブックを黒くした。けれども
そのころの宗助は今と違って多くの友だちを持っていた。実をいうと、軽快な彼の目に映ずるすべての人は、ほとんどだれかれの区別なく友だちであった。彼は敵という言葉の意味を正当に解しえない楽天家として、若い世をのびのびと渡った。
「なに不景気な顔さえしなければ、どこへ行ったって歓迎されるもんだよ」と学友の
「君はからだが丈夫だから結構だ」とよくどこかに故障の起こる安井がうらやましがった。この安井というのは国は
宗助はこんな新しい刺激とともに、しばらくは欲求の満足を得た。けれどもひととおり古い都の
「もうこんな古くさい所にはあきた」と言った。
安井は笑いながら、比較のため、自分の知っているある友だちの故郷の物語をして宗助に聞かした。それは
「そういう所に、人間がよく生きていられるな」と不思議そうな顔をして安井に言った。安井も笑っていた。そうして土山から出た人物のうちでは、千両箱をすり替えて
その時分の宗助の目は、常に新しい世界にばかりそそがれていた。だから自然がひととおり四季の色を見せてしまったあとでは、再び去年の記憶を呼びもどすために、花や
学年の終わりに宗助と安井とは再会を約して手を分かった。安井はひとまず郷里の福井へ帰って、それから横浜へ行くつもりだから、もしその時には手紙を出して通知をしよう、そうしてなるべくならいっしょの汽車で京都へ下ろう、もし時間が許すなら、
宗助が東京へ帰ったときは、父はもとよりまだ丈夫であった。小六は子供であった。彼は一年ぶりにさかんな都の炎熱と
彼の未来は封じられた
父の言いつけで、毎年のとおり虫干の手伝いをさせられるのも、こんな時には、かえって興味の多い仕事の一部分に数えられた。彼は冷たい風の吹き通す土蔵の戸前の
とかくするうちに節は立秋に入った。二百十日のまえには、風が吹いて、雨が降った。空には薄墨のにじんだような雲がしきりに動いた。寒暖計が二、三日下がりきりに下がった。宗助はまた
彼はこのあいだにも安井と約束のあることは忘れなかった。
たつまえの晩に、父は宗助を呼んで、宗助の請求どおり、普通の旅費以外に、途中で二、三日滞在したうえ、京都へ着いてからの当分の小遣いを渡して、
「なるたけ節倹しなくちゃいけない」とさとした。
宗助はそれを、普通の子が普通の親の訓戒を聞く時のごとくに聞いた。父はまた、
「来年また帰ってくるまでは会わないから、ずいぶん気をつけて」と言った。その帰ってくる時節には、宗助はもう帰れなくなっていたのである。そうして帰って来た時は、父の
いよいよたつという間ぎわに、宗助は安井から一通の封書を受け取った。開いて見ると、約束どおりいっしょに帰るつもりでいたが、少し事情があってさきへたたなければならないことになったからという断わりを述べた末、いずれ京都でゆっくり会おうと書いてあった。宗助はそれを洋服の
翌日も約束どおり一人で三保と
京都へ着いた一日目は、夜汽車の疲れやら、荷物の整理やらで、往来の日影を知らずに暮らした。
「世話って、ただまずい
それから一週間ほどは、学校へ出るたんびに、
宗助は着流しのまま
その晩彼は宗助と一時間余りも雑談にふけった。彼の重々しい口のきき方、自分をはばかって、思いきれないような話の調子、「しかるに」という
「それでどこに」と宗助が聞いたとき、彼は自分の今泊まっている宿屋の名前を、宗助に教えた。それは三条辺の三流ぐらいの家であった。宗助はその名前を知っていた。
「どうして、そんなところへはいったのだ。当分そこにいるつもりなのかい」と宗助は重ねて聞いた。安井はただ少し都合があってとばかり答えたが、
「下宿生活はもうやめて、小さい
それから一週間ばかりのうちに、安井はとうとう宗助に話したとおり、学校近くの閑静な所に一戸を構えた。それは京都に共通な暗い陰気な作りのうえに、柱や格子を赤黒く塗って、わざと古臭く見せた狭い貸家であった。門口にだれの所有ともつかない柳が一本あって、長い枝がほとんど軒にさわりそうに風に吹かれるさまを宗助は見た。庭も東京と違って、少しは整っていた。石の自由になる所だけに、比較的大きなのが座敷の真正面にすえてあった。その下には涼しそうな
宗助のここを訪問したのは、十月に少し
座敷へ通ってしばらく話していたが、さっきの女はまったく顔を出さなかった。声もたてず、音もさせなかった。広い
安井は郷里のこと、東京のこと、学校の講義のこと、なにくれとなく話した。けれども、お米のことについては一言も口にしなかった。宗助も聞く勇気に乏しかった。その日はそれなり別れた。
次の日二人が顔を合わした時、宗助はやはり女のことを胸の中に記憶していたが、口へ出しては
その日曜に彼はまた安井を
この予期のもとに、宗助は突然お米に紹介されたのである。そのときお米はこのあいだのように粗い浴衣を着てはいなかった。これからよそへ行くか、また今外から帰って来たというふうな
安井はお米を紹介する時、
「これは僕の
「今までお国の方に」と聞いたら、お米が返事をするまえに安井が、
「いや横浜に長く」と答えた。
その日は二人して町へ買物に出ようというので、お米は不断着を脱ぎかえて、暑いところをわざわざ新しい白足袋まではいたものと知れた。宗助はせっかくの出がけをくいとめて、じゃまでもしたように気の毒な思いをした。
「なに
「
宗助はこの三、四分間にとりかわした互いの言葉を、いまだに覚えていた。それはただの男がただの女に対して人間たる親しみを表わすために、やりとりする簡略な言葉にすぎなかった。形容すれば水のように浅く淡いものであった。彼は今日まで路傍道上において、なにかのおりにふれて、知らない人を相手に、これほどの挨拶をどのくらい繰り返してきたかわからなかった。
宗助はきわめて短いその時の談話を、いちいち思い浮かべるたびに、そのいちいちが、ほとんど無着色といっていいほどに、平淡であったことを認めた。そうして、かく透明な声が、二人の未来を、どうしてああまっかに、塗りつけたかを不思議に思った。今では赤い色が日を経て昔の
宗助は二人で門の前にたたずんでいる時、彼らの影が折れ曲がって、半分ばかり土塀に映ったのを記憶していた。お米の影が蝙蝠傘でさえぎられて、頭の代わりに不規則な傘の形が壁に落ちたのを記憶していた。少しかたむきかけた
今考えるとすべてが明らかであった。したがってなんらの奇もなかった。二人は土塀の影から再び現われた安井を待ち合わして、町の方へ歩いた。歩く時、男同志は肩を並べた。お米は
けれども彼の頭にはその日の印象が長く残っていた。家へ帰って、湯にはいって、
こういう記憶の、しだいに沈んであとかたもなくなるまで、お互いの顔を見ずにすごすほど、宗助と安井とは疎遠ではなかった。二人は毎日学校で出合うばかりでなく、依然として夏休みまえのとおり往来を続けていた。けれども宗助が行くたびに、お米は必ず挨拶に出るとは限らなかった。三べんに一ぺんくらい、顔を見せないで、はじめての時のように、ひっそり隣の
そのうちまた秋がきた。去年と同じ事情のもとに、京都の秋を繰り返す興味に乏しかった宗助は、安井とお米に誘われて
「京都はいい所ね」と言って二人をかえりみた。それをいっしょにながめた宗助にも、京都はまったくいい所のように思われた。
こうそろって外へ出たことも珍しくはなかった。
こんなことが重なってゆくうちに、木の葉がいつのまにか落ちてしまった。そうして高い山の頂が、ある朝まっ白に見えた。吹きさらしの
医者は少し呼吸器を冒されているようだからと言って、せつに転地を勧めた。安井は心ならず押入れの中の
「遊びに来たまえ」と安井が言った。
「どうぞぜひ」とお米が言った。
汽車は血色のいい宗助の前をそろそろ過ぎて、たちまち神戸の方に向かって煙を吐いた。
病人は転地先で年を越した。絵はがきは着いた日から毎日のようによこした。それにいつでも遊びに来いと繰り返して書いてないことはなかった。お米の文字も一、二行ずつは必ずまじっていた。宗助は安井とお米から届いた絵はがきを別にして机の上に重ねておいた。外から帰るとそれがすぐ目についた。時々はそれを一枚ずつ順に読み直したり、見直したりした。しまいにもうすっかりなおったから帰る。しかしせっかくここまで来ながら、ここで君の顔を見ないのは遺憾だから、この手紙が着きしだい、ちょっとでいいから来いというはがきが来た。無事と退屈を忌む宗助を動かすには、この十数言で十分であった。宗助は汽車を利用してその
明るい
次の日三人は表へ出て、遠く濃い色を流す海をながめた。松の幹から
宗助はもっと遊んでゆきたいと言った。お米はもっと遊んでゆきましょうと言った。安井は宗助が遊びに来たからいい天気になったんだろうと言った。三人はまた行李と鞄を携えて京都へ帰った。冬は何事もなく北風を寒い国へ吹きやった。山の上を明らかにしたまだらな雪がしだいに落ちて、あとから青い色が一度に芽を吹いた。
宗助は当時を思い出すたびに、自然の進行がそこではたりととまって、自分もお米もたちまち化石してしまったら、かえって苦はなかったろうと思った。事は冬の下から春が頭をもたげる時分に始まって、散り尽くした桜の花が若葉に色をかえるころに終わった。すべてが
世間は容赦なく彼らに徳義上の罪をしょわした。しかし彼ら自身は徳義上の良心に責められるまえに、いったん茫然として、彼らの頭が確かであるかを疑った。彼らは彼らの目に、不徳義な
暴露の日がまともに彼らの
これが宗助とお米の過去であった。
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