20.【慟哭③】
泣く、というのは意外と体力を使うらしい。
ティアは廊下を歩きながら、眠気を感じて泣き腫らした目を摩った。
眠いのはこの代り映えしない風景のせいでもあるだろう。
現在のクレイドルは一部を除いて隔壁を閉じているので、同じような廊下を毎回歩く羽目になっている。
メインルームに近い廊下には子供たちと一緒に直接絵を描いてしまった壁もあるが、散歩ルートとなるといかんせん広すぎるのだ。
艦内放送用のモニターが一定間隔で天井に取り付けられているので、そこに映像を流すことも検討したのだが電力消費の多さと表示するコンテンツの問題で取りやめになった。
教育番組を見る時間は別に設けているし、廊下で流すと子供が立ち止まってしまう。
イーリスの持ってきた自然映像などはまだ子供には早い内容ばかりだった。ハイエナが草食動物を捕食するシーンとか、ライオンの交尾とかだ。なんてものを持ってきているんだろうとティアは思う。
自分が退屈なのだから、子供たちはもっと退屈だろう。
子供たちに振る会話を天井を仰ぎながら考えていると――。
「てぃあ~……」
――下から不安そうな声が聞こえる。
見ればベルが泣きそうな顔でこちらを見上げていた。
「ん!? な、なに泣いてるんだぞ!?」
さっきまで泣いていた自分のことはさておき。ティアは突然悲しみだしたベルに驚いて、その体を抱き上げる。
子供たちが赤ん坊だったときの癖で、ティアはつい愚図り出すとこうやって抱っこをしてしまう。
あまりやっていると大きくなっても抱っこをせがむようになってしまいそうだ。と、思いつつも、これが中々やめられない。
下手にティアの力が強いせいで、抱っこが負担になっていないというのもあるのかもしれない。
「なんだぞー? 何かあったのかー?」
ティアはベルの背中をポンポン、と叩いて、訊いてみる。ベルは4人の中でも一番の甘えん坊なので、こういう場合、基本は大したことではない。
「てぃあもいなくなっちゃう……?」
「むぐ」
そんなことはなかった。
先ほどの弔いの場では泣いていなかったベルだが、少し落ち着いた今になって悲しいことを理解したのだろう。
ギャン泣きとはいかなくとも、ボロボロと涙が落ちてくる。慌ててティアはハンカチをベルの顔に当てた。
こういう感情は周りに伝播する。特にアリスは散歩の始めからぼーっとしているが、ベルが泣いているところを見たら泣くかもしれない。それにコーディとディアナが釣られて……という未来が簡単に予想できた。
泣くのはいいのだが、今ここにはアドニシアがいないのだ。子供たちになんと伝えて、どう言葉をかければいいのか、ティアは正直わからなかった。
だから――。
「いっ――いなくならないぞー! ティアはずっとみんなと一緒だぞー! わはぁー!」
ティアは思いっきりベルを持ち上げて、全力で明るい声を出す。
そのままちょっと廊下をかけ、くるりと回り、怪我をさせない程度に強く抱きしめた。
「ほんと?」
耳元で訊かれて、わざと大きめの声でティアは答える。
「当たり前だぞ! ベルがおじいちゃんになってもティアはたぶんいなくならないぞ!」
実際、メンテナンスさえできればティアの耐久年数は人間の寿命を超えるだろう。
嘘は言っていない。ベルを床に降ろし、その瞳を受け止めて本当だと念押しする。
「そうなの? せかいいち」
すると、後ろの方でディアナが問いかけていた。【世界一】というのはピクシスの一人の名前だ。
リンゴの名前が由来だと聞いているが、なんて名前をつけてくれたんだとティアは思う。何が世界一なのかわからないが、自信に満ち溢れすぎて逆に名乗りづらい名前だ。
ただ、当人は気にしていないようなので、文句を言えないのが悩みの種でもあった。
「はい。私も過度な損傷を受けない限りはディアナと共にいます」
【世界一】は胸に手を当てて優しく微笑んだ。まるで上位モデルのような仕草と表情だ。
弔い中もこの個体は静かに泣いていたのを覚えている。
まるで情緒を獲得したかのような動きは、元々のものではない。
アドニシアや子供たちに近いオートマトンにだけ見られる変化だ。
【世界一】は【あかね】や【あさひ】と共にプレイルーム付近に常駐することが多く、子供たちとの接点も多かったのだろう。
「れいぶんも?」
「はい」
それを見て、アリスが真似をし出した。今日初めて会うはずのストリクスの一人である【レイヴン】の名前を、しっかり覚えている。
返ってきたのは素っ気ない一言だけだが、アリスはそれで満足したらしい。むしろご機嫌で彼女の手を握っていた。
その奥でコーディがオートマトンの青い制服の裾を引っ張っている。
何かを言いたげだが、言葉が出ない。そんなもどかしいような顔をしていた。
「コーディ。前にも言いましたが私の名前は【ネモフィラ】です」
「えもいら」
「【ネモフィラ】」
「ぬ、ねもいら……」
コーディはうまく言えないらしい。それもそうか、とティアは思う。ティア自身も子供たちからは「てあ」と覚えられている節がある。
しかし、子供たちはアドニシアの影響なのだろうか、オートマトンたちの名前をしっかりと覚えようとしていた。
個々の特徴を見て、次に会った時に名前で呼ぶことを意識している。
それをオートマトンたちも自然と受け入れ、必要があれば補足したり再度名前を伝えることも珍しくない。
ティアはこのクレイドルがだんだんと家族という形式になっていくのを感じていた。
……それにしても、なぜ自分の統制下のピクシスだけ名前がおかしいのだろうか、と疑問を持たざるをえない。
イーリスのところもそうだが、ベローナ統制下の【ストリクス】は格好の良い名前が多い。【レイヴン】など、とてもティアの心をくすぐる響きだ。
制服に使われている黒色を連想させるもの全般から名付けているだけあって、硬派なイメージのものが多いのかもしれない。
少しばかり不公平だ。
今日新設される【コーネリアス】は白色の制服らしい。
先日からアドニシアが名前を考案に頭を捻っていることを、ティアは知っている。
きっと、あれだけ悩んでいるのだから、変な名前の1つくらいは混じっているに違いない。
【綿菓子】とか、【どぶろく】とかだろう。
それを自分が厳しく指摘し、その珍妙さに気づいてもらう。そして、次にピクシスが補充されたときには直談判してカッコいい名前をつけてもらうのだ。
完璧な流れだ。
ティアはそんなイメージトレーニングに耽りながら、泣き止んだベルの手を引いて散歩を再開するのだった。
◇ ◇ ◇
「話と違うんだぞォォォォ!」
メインルームでくつろいでいると、突然、隣のティアが奇声を上げた。
ピンク頭を抱えて、もがき苦しんでいるオートマトンに私は驚く。
「な、なに……なにが?」
「名前! イケてる! 全部! なんで!」
ティアが単語だけで話し始めた。どうしたのかな。
ちょっと言語野に異常があるのかもしれないと思い、頭に軽く斜め45度の角度でチョップしてみた。
「あうっ……ってあちきは壊れてないぞー!?」
このネタは伝わるんだ。息が長いなぁ。
とにかく、なんのことかわからないので話を聞いてみる。
「【コーネリアス】の名前、絶対変なの混じってると思ったのに! なんで【どぶろく】がないんだぞ!?」
どぶろくってなんだっけ。お酒の名前だっけ。たしか白く濁ったお酒だ。
私は呆れながら手を振ってそれを否定した。
「嫌だよ~。そんな名前、つけるわけないじゃん」
「うちの【ピクシス】の名前見て、おんなじこと言えるのかー!?」
「え~? どれも愛嬌があると思うんだけどな~?」
私としてはおかしな名前をつけた記憶はないんだけど、どうやらティアはそれが不満らしい。
「じゃあ、あっちの髪の長い個体の名前は!?」
遠くで整備用具を運んでいる髪の長い子を指差してティアが言う。
「【紅玉】だよ。可愛いでしょ」
「じゃあこっちのは!?」
さらに、近くにいたポニーテールの子をわざわざ引っ張ってきて押し出してきた。
私は仕方なくため息をつきながら答える。
「【すわっこ】だよ」
「お゛がじい゛ぞぉ゛ぉ゛~!」
ティアがダミ声を上げてその場に崩れ落ちた。いつもだけど今日のティアは特にすごいなぁ。感情ジェットコースターだ。楽しそうでなりよりです。
けれど、そこまで悲しまれると名付け親としては些か思うところはある。
私は床にへばりつくティアから視線を外して、横の本人に訊いてみた。
「別に【すわっこ】は自分の名前、嫌じゃないよね」
「ええ、マスターマム。子供たちからの覚えも良く、特に不満はありません」
【すわっこ】はわずかに微笑みながらそう答える。ほら、見てみなさい。
「あるじのネーミングセンスはちょっとズレてるんだぞぉ~!」
「【どぶろく】も中々のもんでしょ。どっから出てきたの。逆に感心しちゃったもん」
「ひどいぃー!」
とうとうティアが泣きわめき始めてしまった。部下の【すわっこ】に頭を撫でられて、慰められる始末だ。
まぁ、たしかに自分のグループだからといって、【コーネリアス】の名前にはこだわってしまった節はある。
【ミルキー】とか【パール】とか、まぁちょっとオシャレすぎたかもしれない。
と、ちょっと考えている間に、ティアは【ピクシス】どころか、通りがかった様々なグループのオートマトンに頭を撫でられていた。
すごいなぁティアは。これはこれで人望というやつだ。子供にだってオートマトンたちはこんなに気軽く接していない。
私はそんな彼女を膝に座らせて抱きしめる。温かくて湯たんぽ代わりになりそうだ。最近寒くなってきたし。
「抱っこで機嫌を直すと思った大間違いだぞ……」
「わかったって~。今度から相談してから決めるから~」
ティアの頭に顎をぐりぐりと乗せて答えると、逆に体を摺り寄せてきた。猫みたいだ。
とりあえずリンゴの名前からはいったん離れるか~、と思いながら、私はしばしの休憩を満喫するのだった。
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