39.【軋轢②】
アドニシアが部屋に籠もり切りになってしまったから、2週間が過ぎた。
彼女がいないことによって起きる問題について、イーリスにはおおよそ見当がついていた。
だが、そのことへの対処方法は実際のところない。
なぜなら、子供たちにとっての【ママ】は唯一無二、アドニシアしかいないのだから。
「やだぁ! ママに会いだい! 会いだいぃぃぃぃ! ベローナじゃないいぃぃ! ママあぁぁぁぁ!」
子供の関心は数分、ものによっては数秒刻みで様々なものへと切り替わるものだ。
それまではなんとか言い宥めて、忙しなく遊びや学びに意識をアドニシアから避けさせていたものの、限界が来た。
始まりはディアナの発作的な癇癪だ。
末っ子に当たるこの子は特に、アドニシアへの依存度が高い。
地団駄を踏みながら泣き散らすディアナの「ママ」という言葉と、彼女の泣く声を聞いた子供たちは次々に泣きじゃくり始める。
「あぁぁぁぁ……!」
「うぅぅ……うわぁぁぁぁぁ!」
「アリスも、ママのお膝がいい~……」
それまで「ママはお休みしているから」という理屈で理解していたアリスさえ、この始末だ。
もちろんそれなりに時間を共有した【コーネリアス】たちに、子供たちが懐いていないわけではない。
彼女たちもなんとか膝の上にベルやコーディを乗せてあやしているが、すでに幼児期である子供たちはそれが誰の膝か判別がつく。
求めているのは、【ママ】の顔で、香りで、声で、その全てなのだ。
だから、イーリスが抱え上げたアリスも、若干の落ち着きを取り戻しつつも嫌々と体をのけぞっている。
ベローナに至っては、もはや飲み物を口にしながら眺めているだけで、優雅に子供たちの泣き声をBGMとして楽しむ境地に至っていた。
先ほどまで構っていたディアナから完全拒絶されて傍観する側に回ったらしい。
気持ちはわからなくもないが、もう少し粘ってほしいとイーリスは思う。
もはや絶叫に近いアリスの声に聴覚センサーを掻き乱されながら部屋を歩き回っていると、ドアが開いた。
そこにいたのは赤髪のマスター――アドニシアだった。
「みんな」
声を張ったわけでもない彼女の声に、子供たちが一斉に反応する。
「ママ……?」
「ママぁぁぁぁぁ!」
アリスが釣ったばかりの魚のように、ぐねぐねとイーリスの腕から脱出し、アドニシアに駆け寄った。
同じように他の子供たちも求めていた存在の下へ飛びつくように集まる。
「あ、あなた……大丈夫なの?」
突然現れたアドニシアに驚きながらも、イーリスは彼女の顔を覗き込んだ。
「うん。ごめん。ずいぶん長い間眠ってたみたい」
アドニシアはいつも通りの朗らかな笑顔を返してくる。
「眠っていた」という表現に若干の不安を覚えつつも、それを指摘することで再び不安定になるのは避けたい。
飲み物をテーブルに置いたベローナが近づくと、アドニシアの顔に触れる。
「ご主人様、一度検査を致しましょう。あれからの経過を見させて頂く方が賢明ですわ」
「ううん。もう、いいの。ベローナ。私は大丈夫。それよりも、みんなと一緒にいたいから……」
そう言われてしまうと、ベローナも強いることはできない。
イーリスはふと、鼻についた香りを感じ取って、アドニシアに訊いた。
「……あなた。なにか香水つけてる?」
「ああ、うん。さっきシャワーは浴びたんだけど……ほら、ずっとほったらかしだったし」
人間とは違い、オートマトンは肌の表面から老廃物を排出しない。
もちろん放置すれば埃を被るが、シャワーで取り切れないほどの体臭が発生するとは思えなかった。
意識の問題――そうイーリスは判断する。
「そ、そう」
「よくないかな」
あまり強い香りは子供たちに良い影響を及ぼさないが、軽く香る程度の香水なら問題はないだろう。
これまで香水などつけていなかったアドニシアの意外な行動に戸惑いつつ、イーリスは首を横に振った。
「そんなことないけれど……まぁ、わたしが言えた立場じゃないわね」
イーリスは以前、負傷した際にアロマを焚きすぎて怒られた記憶を思い出す。
あれと比べれば些細なものだ。
そんなことを考えていると、ティアから音声通信が入った。
『あ、あるじが目を覚ましたんだぞ!?』
『ほんとなの!? テミスも行くの!』
『テミスはこれ以上、立ち入り禁止なんだぞ! 仕事の続きをしてるんだぞ!』
ティアはしっかりとテミスの監督をしているらしい。
ルール通り、テミスがこちらに来ることを拒んでいる。
テミスに区画間のロックを外すことはできないが、ティアが共連れしてしまえば侵入は可能だ。
『ひ、酷いの! テミスだって会いたいの!』
『絶対駄目だぞ! お姉ちゃんの言うことを聞くんだぞ! じゃないとあちきは怒るんだぞ!』
1人増えるだけでこんなにも騒がしくなるものなのかしら、とイーリスは辟易する。
さすがは姉妹機だ。相乗効果で騒がしさが増しているのかもしれない。
『うぅ……仕方ないなの……。テミスは寂しく1人でお仕事するのなのなの……』
独特の語尾を繰り返しながら、テミスは諦めたようだ。
それまで子供の相手をしながら会話を聞いていたアドニシアが、こちらに問いかけてくる。
「なに? あの子」
その問いにはベローナが前に出て答えた。
腰を折って、管理者が不在中の勝手を謝罪する。
「ご主人様、申し訳ございません。教会から、上位モデルのオートマトンを1体、譲り受けたんですわ。重要区画への立ち入りは禁止、ティアに常に監視させている状態ですの」
「そう。なら、教徒の人たちと会うときに会えるね」
アドニシアはそのことを咎める気はないようだ。
その点ではいつも通りの彼女だ。少なくとも言動に違和感はない。
だが、子供たちと触れ合う彼女の行動に、どこか引っかかりをイーリスは感じていた。
「はい。けれど、その場合は【コーネリアス】を連れてくださいまし」
「うん。――アリス? ちょっとスノウのお膝に乗っててくれる?」
「やだ! ここがいい!」
アドニシアは先ほどから顔を背中に押し付けてくるディアナが気になったのだろう。
膝の上を占領したアリスを【コーネリアス】の1人に預けようとして、駄々をこねられた。
持ち上げてパスしようとしてもアドニシアの服を掴んで離さない様子に、スノウも呆れた様子だ。
それを見ていたイーリスは、それまでの違和感に気づく。
アリスを抱き上げるアドニシアの両手は、長い袖の中に隠されていたのだ。
「……あなた? 手、どうかした?」
「ん……?」
問いかけたものの、イーリスはその答えをある程度予想する。
1番可能性が高いのは「手が冷たいから」、次点で「なんとなくそうなっちゃった」だ。
それならばいい。人の行動の1つ1つに理由を求めても詮無きことだろう。
アドニシアは私の問いにすぐ答えることはせず、ベローナに声をかける。
「ベローナ。コーディがおトイレ行きたそうなんだけど、いい?」
「お任せあれですわ~。さぁ、コーディ、雉か鷹を狩りに参りましょう?」
そのどっちももう絶滅してるでしょ、と思いつつも、ベローナがコーディを連れてトイレへ行くのを見送った。
そして、顔を伏せてようやく私の問いに答える。
返ってきた言葉は、イーリスの予想したものではなかった。
「……汚れてるから」
「え?」
子供たちに気取られないほどの小さな声。視線を合わさず呟いた彼女の言葉の意味を、イーリスは図りかねる。
すると、アドニシアはこちらを静かに見据えて――。
「私の手……汚いから」
――空洞のような目でそう言った。
「っ!?」
イーリスは驚愕して悲鳴を上げようとしたが、わずかに後退っただけでそれは叶わない。
封じられているのだ。マスターとしての力によって。
それよりもイーリスは彼女のその目から視線を外せないことに苦痛を感じた。
これまでの3年間で、イーリスはアドニシアの様々な目を見てきた。
困惑した目、疑う目、楽しそうな目、悲しそうな目、怒った目はあまり見たことはないかもしれない。
けれど、今の彼女はそのどれでもない。
空っぽだ。
そこに感情はなく、そうすることが己の存在価値のような――オートマトンよりもオートマトンらしい目だった。
「ふっ……!」
イーリスは見えない力に縛られていた体を解放される。
見ればアドニシアはいつも通りの表情で、ベルとディアナを両手で抱きしめていた。
彼女の中で何かが変わった。この2週間で、決定的な何かが。
だが、その実態はイーリスには図りかねる。
経過を見ることしかできないのだろう。
彼女の中にあるものを、理解することはできない。
なにより、彼女を信じることしか、イーリスはできないのだから。
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