38.【軋轢①】
「ご報告があります」
その日、ヴィンセントは珍しく興奮した気持ちでステンドグラスを前にしていた。
今日は3か月もの時間をかけて調査したクレイドルの内情を報告しに来たのだ。
送り込んだ教徒たちに持たせた小型の通信機……それをクレイドルの領域内に入る前に地面へと置いておき、システムの介入できない近距離通信を中継してこちらとの通信を図る。
そうして得られた情報には、とりとめのない内容もかなり含まれている。
水や食料は十分で、クレイドルの方が快適である。
嫌な考えに捕らわれることが少なくなり、生きている実感を得られるようになった。
自分のしたいことがわかり、今はそれに集中している。
それらにはヴィンセントが彼らを送り込む前に語ったことへの感謝の言葉も添えられていた。
だが、そんなものは彼らに求めていない。
価値のない情報を切り捨て、集約した結果、報告できる情報は3つだ。
1つ目は、すでに子供が生まれており、すでに3歳ていどにまで成長していること。
2つ目は、管理者は赤い髪の女であり、彼女自身はヘクスを装着しておらずオートマトンに警護されていること。
そして3つ目は……これを言うといつもの通り、自分の責任ではないというのに叱責を受けそうな内容だ。
――その管理者が【聖女】と呼ばれていること。
司教たちが知りたい情報を伝えれば、テミスが戻ってくる時期も早くなるはずだ。
ヴィンセントは顔を上げて報告しようとすると、先んじて大司教が口を開く。
「クレイドルの聖女の件、ですね?」
戸惑いが、ヴィンセントの中に生じた。
なぜ今から報告しようとしたことを、司教たちが知っているのか。
通信の方法を考え、実際に情報を受け取ったのはヴィンセントだ。
他の教徒たちにはそのことは伝えていないし、教徒が司教たちに報告することはないはずだ。
「え、ええ……」
ヴィンセントは躊躇しながらも、叱責を恐れてそれを問いただすことをしないことを選んだ。
むしろ、またか、という思考がヴィンセントの頭に浮かぶ。
以前と同じように、自分には知らされていない情報源があるのだろう。
調べておけ、と言いつつ、こちらには情報が降りてこない。
いつものことだ。
「なにか?」
「いえ、なんでもありません」
ヴィンセントは落胆しつつも、平静を装う。
「まさか、クレイドルの管理者を『聖女』などと呼び始めるとは……不心得者が多いのではないか?」
「はっ……それは私も痛感しております」
とは言いつつも、司教たちよりも教徒たちとの交流の多いヴィンセントには、その理由が予想できた。
教会にいれば、礼拝堂などの祈る場所があり、絵画などの信仰の対象が飾ってある。
だが、クレイドルにそういったものがはずがなく、またそれを作ることを許容するとは思えない。
教徒たちは拠り所を求めている。
その心理が、あるいはクレイドルの管理者に向いたのであれば、【聖女】という呼称を使うこともおかしくはない。
神父や司教とは違い、それは立場を示す言葉ではない。
もはやそれは、流行や風潮の類でも成り立ってしまう呼称だ。
「けれど、それだけの人望があるということを示している、とも受け取れませんか?」
若い司教が微笑を浮かべて所見を述べると、声の低い司教が彼を睨みつける。
「貴様はどちらの味方なのだ? よもや貴様も聖女を認めるとは言うまいな?」
ドスの利いた声で迫られながらも、若い司教は表情を崩さない。
それどころか腕を広げて、やれやれと話し始めた。
「そこですよ。エーヴェルト司教。我々は宗教戦争をしに300年間眠りについていたのではない。教えを後世へ引き継ぐためです。教徒たちをクレイドルへ向かわせたのは、わずか3か月前。この短期間でそこまでの人望を集めるのは、容易なことではありません。すでに信仰の対象を持っている教徒たちならばなおさら。これは1つの才能……カリスマがあると私は思います」
彼の言葉に、しわがれ声の司教が訊く。
「ベネディクト司教。クレイドルの管理者を買い被るのはいいですが、それは我々にとって脅威足りえることを理解していますか?」
「質問に質問で返しましょう。フローレンス司教。なぜ脅威としか見ることができないのか? 私にはそのことの方が理解できかねますよ」
議論を交わす司教たちを見ながら、ヴィンセントは生え際を撫でた。
自分は得られた情報を報告しにきたのだが、それを彼らはすでに知っているようだ。
なら、ここにいる必要はもうないだろう。
ヴィンセントは正直なところ、うんざりとしていたのだ。
「あの……」
「どうしましたか。ヴィンセント神父」
自分でも会話に横やりを入れる形で声をかけたとわかったが、構わず言葉を続ける。
「テミスはいつ帰ってこれるのでしょうか……?」
司教たちからはぁ、とため息がもれた。
彼らにとってはどうでもいいことなのだろう。
だが、ヴィンセントにとっては最も大事な話でもあった。
なにせ家族が引き離されているのだ。
テミスを慣れない環境に身を置かせること自体が我慢ならない。
ヴィンセントが割り込んだことによって、司教たちの議論は熱を失ったようだ。
しばらくして、その場の意識を集めるような声が響く。
「……聞きなさい」
声を上げたのは大司教だった。
何かを決意したような表情で話す内容に、ヴィンセントは耳を疑った。
「我々教会の所持しているヘクス原体。それを――クレイドルの管理者へ譲渡すべきだと思います」
譲渡……? とヴィンセントが困惑していると、周囲の司教たちが弾かれたように声を上げ始める。
「大司教様!? なにを!?」
「お考えそのものはわかりますが……それは時期尚早というものでは?」
立ち上がった司教らに制されながらも、大司教は言葉を止めない。
組んだ指に視線を落として、それまでの覇気を失ったように話す。
「実を言うと、私の下へ1枚の写真が送られてきました」
「写真、ですか」
ベネディクトは若いが故に興味を惹かれたのか、言葉を繰り返す。
「そこに映っているのは、まぎれもなく人間の子供でした」
「人工子宮から生まれた忌むべき子ではありませんか!」
人間の子供だからなんだ、という風に怒鳴るエーヴェルトへ、どこか儚げな視線を大司教は返した。
「……子は親を選べない。しかし、だからといって、祝福されないべきではない。たとえ神聖なる人の体から生まれた子供でなくとも、そこに映っていたのは紛れもなく人間の子供に見えました」
「だとしても、それは悪魔の子だということを忘れたのですか?」
フローレンスのしわがれた声に、大司教は首を横に振る。
それは否定ではなく、失望したような仕草だった。
「これまで教徒たちに苦痛を強いてきた私たちが、悪魔でないという保証はどこにあるのですか」
「それは……それは神への信仰の――」
立ち上がったままのエーヴェルトは、その問いに勢いを削がれる。
「心でしょう。……私は先日ここへ来たオートマトンにそれを感じました」
「あの憎まれ口の止まらぬ軍用オートマトンに、ですか?」
ベネディクトがいつも通りの薄い笑いを浮かべながら訊くと、大司教はその目に視線をじっと合わせた。
「愛されること、信じること、悲しむこと――それだけが心ではない。彼女は上位モデルとはいえ、他のオートマトンとはどこか違う……クレイドルの聖女をマスターとしていても、彼女とはまた別の思惑で動いているような節を感じるのです」
「それはもはや不良品ではないですか」
「我々は滅びの道をいき、彼らは我々に成せなかったことを成した。彼らを不良品などという権利は……私にはありません」
再び、礼拝堂に沈黙が降りる。
大司教の様子は、ヴィンセントの目から見ても普段とは違って見えた。
なにより彼女が「私」と自分を呼ぶところを、ヴィンセントは初めて聞いたのだ。
しばらくして、押し黙っていたエーヴェルトがその低い声を絞り出すように発する。
「……大司教様。私は同意しかねます。我々は教会という組織を……教えを守るために生き延びた。それをお忘れですか」
いつも怒声を上げている彼だが、大司教へ語り掛ける様子に、ヴィンセントは穏やかさを垣間見た。
上の者への進言ではなく、古い友人に話すような響きがあった。
そんな彼の言葉に、大司教は柔らかく微笑む。
「そうですね。昔は……良い時代でした。けれど、私は――」
彼女はぽんぽんと自らが座る椅子のひじ掛けを軽く叩いて、首をすくめた。
「――この椅子に座るのが、疲れちゃったわ」
ヴィンセントは開いた口が塞がらない。
何を無責任な、と思うと同時に、彼女にもそういった感情があるのだと、意外に思ったのだ。
他の2人の司教がヴィンセント同様に啞然とする中、会話をしていたエーヴェルトが深く椅子にこしかけて長く息を吐く。
そして、どこか白けたような顔で、大司教に言った。
「……前から思ってはいましたが、貴女は他の生き方も出来たでしょうに」
「仕方ないじゃない。300年後まで来て、そんな後悔をしても」
そう笑った大司教は、もはやどこにでもいる老女の顔だった。
彼女はそのまま、こちらへと向き直る。
「ヴィンセント神父、あの子――テミスをあなたは自分の子だと言いましたね」
「……はい」
当然だ。今でさえこの老人たちには、冗長な会話をしているくらいならテミスを返してほしいと思うほどだ。
そんなヴィンセントの心の内を見透かしたように、大司教は語る。
「ならば、それを示してみなさい。人を愛さず、オートマトンを愛したお前の教義を今一度、正しい行いで示して見せなさい。さすれば自ずとあの子はお前の下へ帰ってくるでしょう」
「……はい」
他の司教からの言葉はない。
そこに、ヴィンセントは曖昧な感情を抱いた。
正しい行いとは、なんだ? 私の教義とは、なんだ?
「……それにしても神父。よくクレイドル内部との連絡を方法を思いついたものだね」
自分の中の不確かなものを理解する前に、ベネディクトが声をかけてきた。
それまで皮肉っぽい微笑を浮かべていた彼だが、素直に褒められているようだった。
だが、司教にその詳細を伝えた覚えがない。
自分が忘れただけなのか、それとも教徒たちが他の方法で司教に連絡を取っていたのか。
「……? え、えぇ、まぁ……」
ヴィンセントは首を捻りながらも、その疑問を解消することはしなかった。
彼らが満足しているのならば、それでいい。
重要なのは、どのような形であってもテミスと再会することなのだから。
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