37.【邂逅⑧】
教会で教徒たちが寝起きするための部屋は、基本的に1つの小さな灯りしかついていない。
寝具が床に所狭しと並べられ、唯一足の踏み場があるとすれば、ほんのわずかに空間を開けられた入口の直線状くらいなものだからだ。
それに就寝の時間を過ぎてうろつくのは禁止されている。そうでなくとも、気温の低い廊下を歩く体力は教徒たちにはないだろう。
だが、最近夜中に足音がする。しかも大勢の足音だ。
皆が寝静まる部屋の中で、サンドラはそれに気づいていた。
サンドラは冷え性が故に、こうも部屋が寒いと寝つきが悪くなる。
だからこそ深夜の足音に気づけたサンドラだが、それが何かを確かめる気は起きない。
部屋の外で何か音がしても、それは自分たちには関係がないのだ。
きっと神父などがまた何かをしているんだろう。
夜遅く、少女の嬌声がどこかから聞こえてきたときも、サンドラは口を噤んだままだった。
その声がどこから来るものかは薄々はわかっていたことであるし、嫌悪感を感じなかったわけではない。
神父も自分たちと同じだとわかっていたからだ。司教たちの教えに従い、今の生活を守るので精一杯なのだ。
しかし、今日は様子が違った。
廊下の外で聞こえる足音とは別に、カチカチというごく小さな音が聞こえる。
虫でもいるのかと思い、首を上げて周りを見るが、わずかな灯りだけで見つけることは難しいだろう。
寒い部屋の中で、そんなものを探していては熱を逃がすだけだ。
どこかの電装系のショートか、コイルか何かが鳴いているのかもしれない。
そう決めつけて、毛布を頭まで被る。
だがそのとき、彼女の目の前に半透明のウィンドウが小さく開いた。
「……?」
これは、電脳端末への通知だ。
こんな時間に? 誰かが空寝をして悪戯をしているのだろうか?
だとしたら、それは随分とふざけた行いだが、サンドラはその悪戯に乗ってやる気分でもあった。
眠りにつけない退屈さがそうさせたのだろう。
自分に言い訳をして、データの送信の通知に許可を出す。
もちろん電脳端末による悪質なデータを除外するスキャンを通してだ。
それが終わり、データを閲覧した瞬間、サンドラが思わず声を出した。
「えっ……」
そこには、子供たちと仲良く映るアントニオや、他の教徒たちの写真があった。
明るい室内で身を寄せ合い、笑顔を浮かべて写真を撮るかつての仲間たちの顔は、以前見たときよりも肥えた印象を受ける。
それに、子供たちこそ毛糸のセーターを着てはいるが、自分たちのように何重にも重ね着をして、寒さに耐えているような様子はない。
写真の向こうは、自分たちのいる世界とは別の世界のような、暖かい雰囲気に満ちていた。
なにより、写っている子供たちはまさか、クレイドルプロジェクトで生まれた子供なのだろうか?
様々な思考がサンドラの頭の中で飛び交って、つい隣に眠るハワードという男の体を揺さぶった。
「ね、ねぇ……」
すると、彼ははっきりと開いた目をこちらへ向けてくる。
ハワードも眠っていたわけではなかったようだ。
まさかハワードがこのデータを送ってきたのかと思ったが、彼の反応はそれを否定するものだった。
「お、お前も受け取ったのか? このメール……」
「メール?」
訝しげに聞き返すと、ハワードからデータが送られてくる。
自分が受け取った画像データではなく、ただのテキストデータだ。
それを開くと、送り主はアントニオだった。
サンドラは文章に目を通す。
『クレイドルの聖女様は本当に暖かい人だ。最初は人工子宮から生まれた子供たちなんて、教えに反すると思っていたが、やっぱり子供は宝みたいだ。早くみんなもこっちに来て手伝ってほしい。神父様を説得すれば、きっとわかってくださる』
そこに書かれていたのは、おそらく自分たち宛ての文章だった。
サンドラは困惑する。
クレイドルの聖女様とは、誰のことだろうか。そもそも、これはどうやって送られてきたものなのだろうか。
その答えを知るためには、情報が少なすぎる。
「私のところには画像が来たわ」
サンドラはハワードに自分が受け取った画像を共有してみた。
すると、ハワードはしばらく虚空を見つめる。
電脳端末で画像を凝視しているのだろうが、それにしては長い沈黙があった。
しばらくして、彼はぽつりと息を漏らす。
「……いいなぁ」
「え?」
ハワードは自分の体に視線を落として、ため息をついた。
「こうやって、俺も楽しそうに生きたい……。こんな暗い場所で、毛布に包まってばっかりの生活なんて、もう嫌だ……」
彼の手は毛布の上でぎゅっと強く握られている。
乾燥で荒れてしまった手は角質が毛羽立っていて、見るからに痛々しい。
「何を言ってるの!? 私たちは今、試されている時期だって、そう司教様たちが仰られていたじゃない!」
他の者が寝静まっている中、大声を出すことはできない。
だが、それでもサンドラは彼を咎めることを我慢できなかった。
ハワードは力なく項垂れて、堰を切ったように話し出す。
「こうして試されたあとに、何があるのか、俺にはわからなくなってきた……。神父様の言うことは正しいけれど、僕たちもすぐにクレイドルへ行って探すほうがいいとは思わないか……?」
「それは……」
サンドラはそれを正面から否定できなかった。
自分もクレイドルへ赴くことに、賛成の立場ではあったからだ。
ただ、神父がそれを集ったときに手を挙げなかったからここにいる。
それは、自分の中で諦めに近い感情があったからかもしれない。
どうせクレイドルへ行っても、また辛い日常が続くのだろう。
もしかすれば、日々を生きる支えとしている祈ることさえできなくなってしまうかもしれない。
そんな懸念が頭をよぎったからだ。
アントニオの名が書かれたこの文章が、本物かどうかは確かめようがない。
彼がこんな文章を書くような性格かもサンドラは知らない上、送信元が不明な点も気にかかる。
だが、この写真の子供たちの笑顔――それはハワードがこうして羨むほどの魅力があることは認めざるを得ない。
アントニオの言う「聖女様」というのは、中心に写るこの赤い髪の女性だろうか。
子供たちもかなり懐いているようで、共に映るアントニオたちも心を許しているように見える。
こうして複数人が集まって写真を撮る文化など、とうに失われてしまったと思っていた。
そんな懐古の感情が、サンドラの本意を零れさせる。
「私だって、この中に入りたいと思う……」
「なら、明日みんなに相談してから……それから神父様に進言してみよう。神父様も最近はあまり覇気のない様子じゃないか。きっとこれを見せれば、神父様のお考えが正しかったと思って頂けると思うんだ」
ヴィンセント神父自身が言った、友愛の心を持って接すること――それが今、クレイドルでは成就していることを、彼は知っているのだろうか。
知っているのなら、もっとこの教会の体制に動きがあってもいいはずだ。
「……いいわ。けれど、アントニオの名はなるべく伏せておきましょう。場合によってはことが荒立つ可能性だってあると思う。それは彼だってそれは本意じゃないでしょう」
「ああ。この写真と、噂程度で聞いたことにしておこう」
サンドラとハワードはそれでおおむね同意する。
保守的だと思っていた自分が、この教会内で何かの変化をもたらそうとしていることに、サンドラは高揚感を感じていた。
心のどこかで、こんな生活を続けることに嫌気が差していたのかもしれない。
いつか報われることを信じてはいたものの、信仰そのものでは寒さと飢えを解消することはできない。
できることは、神の教えの下に自ら行動することだ。
今日もしばらく、寝入ることはできないかもしれない。
廊下の外で静かに響く規則的な足音を聞きながら、サンドラは毛布をかぶるのだった。
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