2章
18.【慟哭①】
「司教様……ここのところ気温の低下が激しく、このままでは電力が足りません。どうか、もう少しだけ配分を増やして頂くことはできないでしょうか……」
ここは、プロジェクトの準備段階で特別に作らせていた礼拝堂だ。
眩く輝くステンドグラスへ向かって、教徒が首を垂れる。彼の前には、高い位置に座る4人の司教たちがいた。
その様子を、ヴィンセントは黙って見守る。
「辛いのは皆同じなのですよ。それでも、あなたの教区だけ、特別に配分を増やしてほしいというのですか?」
しわがれた老女の声に、教徒はわずかに口ごもる。
「我々もこの寒さには堪えている。先日、毛布などを配布したばかりではないか。それでは足りないというのか?」
「いいえ、司教様……! 頂いた毛布使って皆で寄り添い合い、暖を取っています。しかしながら、体調を崩す者が多く出ており、いずれ死者が出る可能性もございます……!」
低く、押しこもった別の司教の声に、教徒はさらに姿勢を低くして懇願した。床につける指は細く荒れていて、痛々しいほどにあかぎれている。
「まぁまぁ、いいではないですか。彼の教区はこの艦内でも外側に近い場所です。外気の流入もあるのでしょう。彼らの普段の努力に少しばかり報いることくらい、神もお許しになるのでは?」
全員が老年といえど、司教の中では一番若い男が穏やかに持ち掛けた。教徒は顔が持ち上げて、潤む瞳を向ける。
「……いいでしょう。ヴィンセント神父、任せます。礼拝堂の電力を少しだけ分けてあげなさい」
それまでは口を閉じていた大司教が、決定を下した。その意見に、他の司教からの異論はないようだ。
ヴィンセントはその場に一歩踏み出す。
「は……。そのように」
「ありがとうございますっ! 司教様! ありがとうございます!」
教徒は涙を流しながら何度も手を合わせて祈り、足早に礼拝堂を去っていった。
その姿を見送りながら、ヴィンセントは思う。
礼拝堂と教徒の活動している全区画のエネルギー比は7:3だ。合わせて60人前後に及ぶ教徒が3割のエネルギーを分け合って生活しているのに対して、この4人の司教たちは7割のエネルギーを使っている。
それは配給される食糧なども同じだ。
司教たちがその肥えた体を大きめの外套で隠しているのに対し、教徒は皆、痩せ細ってしまっている。
食料や物資などを「施し」という形で提供してはいるが、そもそもの配給量が足りていないのだ。
だが、それに対してヴィセントが異議を唱えることはない。
元々、教徒たちは自らで生活を成り立てようとする意識の低いものたちだ。信仰と多少の働きに対し、司教側が施しと言葉を与える。
今も昔も、そうして回っているのが教会という組織だ。
とにかく、面会の時間は終わった。
「待ちなさい。神父」
ヴィンセントが静かにその場を後にしようとすると声がかかる。
「行方不明者の捜索はどうなったのですか? あれから報告がないようですが」
行方不明者、という単語にヴィンセントは思考を巡らせた。
しばらくして、先月にここを飛び出していった2人の男女のことを思い出し、「ああ」と声を出す。
「たしか……痕跡からはクレイドルの方向へ向かったそうです。正確な居場所はなんとも」
「クレイドルだと!?」
低い声の司教が椅子を蹴って立ち上がった。
「ええ、まともな物資も残っていないでしょうから、今頃どこかで……」
「なぜそれを早く報告しないのですか?」
大司教から指摘され、ヴィンセントは頭を掻く。
彼らこそ逃げ出した教徒の安否などに興味はないだろう。何を今更、と怪訝な顔をしてみせると、立ち上がった司教が怒鳴り声を上げた。
「サイモンのやつめが痛い目を遭わされたのを知らんのか!? やったのはクレイドルの人形どもだという話だぞ!?」
「はぁ……。私めにはそんな話は来ていないものでして……」
ヴィンセントは淡々と事実を述べる。自分から報告を上げることはあっても、彼らから何かを聞かされることは稀だ。
大方、司教たちはジョナス辺りとの連絡で知ったのだろうが、ヴィンセントには伝えられていない。
「オートマトンが人に危害を加えたのですか?」
改めて詳細を尋ねると、しわがれた声の老女が首を横に振る。
「おおかた、あの無法者が欲張ったのでしょう。オートマトンは忠実にクレイドルを守る人形。外敵とでも見做されたのかもしれません」
「なにをやっておるか! 人を手掛けた人形どもに、あまつさえ我が教徒が取り込まれておるのかもしれないのだぞ!?」
「申し訳ございません」
自分に非がなくともこうして頭を下げることに、ヴィンセントは抵抗がなかった。
老人たちなど、その場でのポーズだけで納得するような思慮の浅い者たちだ。
司教たちが何やら小声で話し込み出す。
しばらく床を眺めて言葉を待っていると、大司教から声がかかった。
「……人を使ってクレイドルの様子を調べなさい」
「と、言いますと」
ヴィンセントの問い返しに、はぁ、と司教たちからため息が漏れる。
「眉唾物ではありますが、クレイドルプロジェクトを再始動しているという話もあります。直接赴き、内部の状況を調査しなさい。あそこは元々計画の中枢、人工子宮なども残したままです。人形たちだけでそれを使えるとは思えませんが、念のため我らが管理せねばなりません」
「承知いたしました」
ヴィンセントは深々とお辞儀をして、踵を返した。
面倒な話だ。オートマトンや逃げ出した教徒など放っておけばいいというものを。
そもそもここから人を出したくないのであれば、教徒たちの待遇を改善すればいいのだ。それをしないのは、司教たちが今の生活や立場を変えることを嫌がっているからだろう。
時代に取り残されているにも関わらず、わざわざ老年の体を300年もの未来に持ってきて、以前と同じ椅子に座る老人たち。
次の世代に神の教えを継ぐという名目を失ってなお、彼らは威厳を保つことに熱心だった。
ヴィンセントは後退した頭の毛を撫でながら、自室のドアを開く。
「パパ!」
すると、快活そうな声と共に、小さな体が飛びついてきた。
赤の混じった紫色の髪を両側でまとめた、第二次成長期を迎えるくらいの年ごろの女の子だ。
「よしよし、パパが帰ってきたよ、テミス」
「うーん、寂しかったのなの。パパぁ……」
テミスはヴィンセントの神父服に頭をこすりつけて甘えてくる。
彼女はジョナスから不要だと言われた上位モデルのオートマトンだ。子供型というだけで捨てられた彼女は、情緒を持つが故に心に傷を負っていた。
以来、ヴィンセントはテミスを引き取り、父親として愛情を持って接している。
「パパも少し疲れちゃったな。……テミスはパパを癒してくれるかい?」
「うん……。テミスもパパと一緒がいいなの……」
ここにいる人間は、信仰だの愛だのと口では高説を垂れる割に自分のことばかりを考えている。教徒たちも、司教たちもそれは変わらない。
それに比べて、テミスはヴィンセントが注いだ愛情に、真っ直ぐに応えてくれるとても良い子だ。
崩壊してしまったこの世界では、オートマトンの方が人間らしい感情を持ち合わせているのかもしれない。
少なくとも、今のヴィンセントとテミスの間に交わされる愛情こそ本物だ。
「パパ。来て……」
テミスがベッドに腰を下ろして、胸のリボンを解く。
その煽情的な仕草にヴィンセントは己の内の衝動を抑えきれない。
「ああ、テミス……」
そして、その小さな体に覆いかぶさりながら、わずかな罪悪感と、それを打ち消す幸福を感じるのだった。
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