31.【邂逅②】
「ご主人様の様子はどうですの?」
ベローナは会議室に入るや否や、集まった面々に声をかける。
すると、デスクに腰をかけていたイーリスが振り返って首を振った。
「反応なし、よ。一度だけアリスに呼びかけてもらったけれど駄目」
椅子にふんぞり返ったティアが、手に嵌めたグローブを弄りながら天井を仰ぐ。
「部屋のセンサーでは確認できているから無事ではあるんだぞ。ただ……」
「1週間も微動だにせず、ベッドの上に座ってるだけ、ですのね」
会議室のモニターに映されているのは、アドニシアの自室のカメラだ。
万が一を考えて、常に監視できる状態にしているのは彼女自身も了承済みである。
照明もつけられておらず、低照度モードで映る部屋には、ベッドに座るアドニシアの姿があった。
普段のアドニシアならば、長時間じっとしていることなど不可能だろう。
子供たちがまだ新生児だったとき、ミルクのあげる間にも、ずっと鼻歌を歌ったり、途切れることなく話しかけていたような性格だ。
だが、今の彼女は揺れもしない。呼吸機能でわずかながら上下するはずの体も停止したままだ。
例えるならば休眠状態のオートマトンのようだ。
「……もう、駄目なのかしら」
イーリスが呆然とモニターを眺めて言う。
その一言に、ティアが椅子を蹴って立ち上がった。
「そんなことないぞ! イーリス!」
ティアはずんずんとイーリスに近づく。
「なんで? なんでティアはそう思うの?」
苛立ちを抑えきれない声で、イーリスはティアに詰め寄る。
ティアが根拠もなしに何かを言い張ることが多いということは、ベローナも感じていたところだ。
言い換えれば論理的ではない。感情を優先し、希望に縋るくせがある。
それはまるで、教徒たちと同じだ。
一度クレイドルに希望をもたらしたアドニシアを、神のように信じるような……。
もしくは、幼子が親に対して抱く感情と似ているのかもしれない。
親とて人間――できることとできないことがあって、それを頭では理解していても、心の奥に染み付いた信頼感が、親に対し過度な理想を求めてしまう。
だが、それは以前までことだったのかもしれない。
「あちきは……諦めない! あちきはたとえ、あるじがずっとあのままでも、この先どんなことをしようとも! あちきはあるじを諦めたりしない!」
我儘のようにも聞こえるティアの言葉は、明確なアドニシアへの絶対的な忠誠だった。
それは正直、答えになっていない。ティアがアドニシアを見捨てないと公言したところで、彼女を元に戻せる根拠などどこにもない。
けれどそれは、ティアという個体としての根元的な活動理由だった。
「それじゃ問題の解決にならないでしょう!? それに……また、あの地獄みたいな惨劇を繰り返してもいいの!?」
イーリスが会話をしたいのは今ある問題の解決方法だっただろうに。だが、ティアの気迫に圧されてか、彼女の覚悟に問い返す。
「いい!」
「――っ……!」
腰かけていたデスクから降りて、イーリスは立ちすくんで閉口した。
たとえ警備用、軍用、艦内統制用であろうが、オートマトンにとって人間は保護の対象だ。
周囲に被害をもたらす存在を排除することは無論許可されているが、それでも多数の命が失われるような事態は避ける。
それが、私たちの倫理だ。与えられた様々な個性よりも深く刻まれた、善悪の区別だ。
ティアはそれを、真っ向から否定した。
「あちきはいい。あるじがどんなに惨たらしいごとをしても、あちきはあるじを守る……!」
滅多に聞くことのないティアの低く押しこもった声に、彼女の背中から闘志のようなものが立ち昇った気がした。
それを見て、ベローナは前へと出る。
「わたくしも賛成ですわね」
「ベローナ!?」
イーリスの悲愴感に満ちた顔がこちらに向いた。
ベローナは人差し指を立てて、話の続きがあることを示す。
「ただし、半分は、ですわ」
今度はティアが体をこちらに向けた。
感じたのは敵意だ。このクレイドルで彼女と互角の戦闘能力があるのは自分だけだからだろう。
本気だ。
ティアというこの個体は、自分たちと戦うという、もはや基本行動プロテクトにも倫理思考にも縛られないほどのエゴを内包している。
ベローナはそのことに、口端を吊り上げざるをえない。
「わたくしはクレイドルプロジェクトを優先しますわ。だからこそ、もし子供たちに危害を加えようとしたのがご主人様であっても、容赦なくそれを破壊致しますわ」
「そうなったら、あちきはベローナと戦わなくちゃいけないんだぞ」
ティアからの敵意がより一層濃密なものになった。
もはやこれは殺気だ。
イーリスも彼女から発せられる非物理的な圧力を感じたのだろう。後退って、壁に背中を打ち付けた。
「あら、子供たちがどうなってもいいんですの?」
「それはあちきが止める。どうやっても。けど、あるじを殺すのは絶対に許さない……!」
このまま挑発を続ければ、もしかするとこの15平方メートル程度の狭い空間で、極近距離戦闘を開始することになる。
果たして、運動能力のリミッターを外されている上、もはやオートマトンの域に留まらないエゴを獲得したティアとやり合って、勝てるものなのだろうか。
味方の戦力評価も自分の仕事のうちである。そして、純粋に彼女との戦うこと自体への興味もある。
けれど、こちらが破壊されてしまったら、クレイドルから自分という要素が欠けるだけでなく、すべてが崩壊するリスクがあった。
ベローナはふっと笑って、自らの発していた殺気を霧散させる。
手のひらを上に向けて腕を広げると、ティアも構えを解いた。
「ま、できるかどうかは置いておきましょう? それ以外はかねがねティアと同意見。今ここにいる人間も含めて、わたくしはどうなろうと興味がありませんの。ご主人様の命令なら撃ち殺しますし、ご主人様の意向ならこの手で絞め殺しますわ」
それで、ティアは納得したようだ。
興味を失ったように椅子に座って、ふれくされたように腕を組む。
だが、イーリスはそれで終わりにはしたくないようだ。
「なに……なに言ってるの2人とも!? わたしたちはそんなことのためにここにいるわけじゃ……!」
相変わらず、アドニシアも言っていたようにイーリスは素直じゃない。
はぁ、とため息をついて、ベローナは彼女に近づいた。
「イーリス、貴女ももう気づいているのでしょう? 上位モデルとはいえ、自分がそれ以上の情緒、自我、エゴを持っていると。貴女がご主人様に主従関係以上の――恋愛感情を持っていることは知っていますわ。それはみんな同じ」
息のかかる距離まで接近して言うと、イーリスは顔を背ける。
不思議だ。あの接し方で隠せているとでも思っていたのだろうか。
彼女だって、こちらを異常者のように言える資格などない。
ティアも自分も、自分の思いを隠すことはやめたのだ。イーリスにも素直になってほしい。
こういう場合、人間はこちらから腹を割って話すらしい。
だから、ベローナは素直に己の内を曝け出した。
「わたくしだって、ご主人様と1日中でも、1年中でも肌を合わせて、ご主人様の色んな表情を目にしたい……。幸せそうに笑う顔も、痛みに耐える顔も、苦しさに歪む顔も、そこに何もない空っぽの顔も、全部、全部、全部! すべてを見つくしてから、また新しいお顔をなされるまで、あらゆる手を尽くしてご主人様を貪りたいですわ。味わいたいですわ! しゃぶりつくし差し上げたいですわ……!」
イーリスの瞼が、これ以上ないほどに開かれる。
――そう。目を逸らしてはいけませんわ。わたくしの瞳に映っているのは、あなた自身なのですから。
「貴女もそうでしょう? ティア」
「あちきは変態じゃないぞ」
イーリスを壁際に固定しながら、顔も向けずにそう問うと、案外ドライな答えが返ってきた。
しかし、ティアはゆっくりと椅子から立ち上がって、こちらへと近づいてくる。
「ただ――」
言葉を短く切って、ティアの小さな手がイーリスとベローナの首筋に差し込まれた。
「あちきは……他の誰にも渡したくない。子供たちにも、ベローナにもイーリスにも……! あれは……あの人間は……あのあるじはぁ……! あちきが最初に見つけた、あちきの最初のマスターなんだぞ! あちきのなんだぞ! あれはあちきのだァ!」
甲高い声で叫ばれ、声そのものが強風のように頬を叩く。
無意識なのだろうが、ティアの手には力が入っていた。
下手をすれば通常フレームのイーリスの首などへし折ってしまいそうだ。
「おかしい……。おかしいわよ、みんな……! アドニシアは物じゃない! アンタたちの所有物じゃないのよッ!」
イーリスは苦しげに顔を歪ませながら、懸命に声を出す。
言っていることは正しい。模範的だ。さすがは初期からクレイドルプロジェクトの再始動方法を模索し、実際に行動を起こし始めた個体だ。
ベローナはそんなイーリスが嫌いではない。ある意味、自分だけでも正しくあろうとする姿は人間的で、とても愚かで、そして可愛らしい。
だからこそ、その仮面を剥ぎ取りたくなる。
「じゃあ、なぜイーリスはご主人様を『あなた』なんて呼ぶんですの?」
「――え……?」
ベローナとティアは彼女から体を離した。
口を開け、力なく壁をずり落ちた体は尻もちをつく。
「あなたが最初に始めたんですのよ。どこかで得た知識で、伴侶を『あなた』と呼ぶのを知って、2人きりのときはそう呼んでましたわよね? それをご主人様が拒まなかったから……拒むような人じゃないと知っているから、そう呼んでいたんですわよねぇ? 卑怯ではありませんの? 皆のご主人様に1人だけ唾をつけて……!」
ベローナはしゃがみこんで淡々と言葉を突き付けた。少し意地悪も混じっていたかもしれない。
けれど、それはベローナも、おそらくティアも思っていたことだ。
「そ、そんなつもりじゃない! わたしがアドニシアを好きなのは認めるわよ! けど、けど独占しようだなんて……!」
マスターを独占したい。
そんなことをオートマトンは望まない。それは主従関係などではなく、嫉妬の類だからだ。
イーリスは否定しているものの、最初からその感情があることなど、ベローナはわかっていた。
ティアの天然さをあしらい、笑いが起こる楽しい日常の風景。それはアドニシアにべったりとくっつくティアへの嫉妬から来るものだと、ずいぶんと前からわかっていた。
だから、最初に始めたのは、イーリスなのだ。
であれば、彼女の内に秘めるそれは、ベローナやティアの比ではない。
イーリスは素直でないけれど、少しくすぐってやればすぐに心を開いてくれる。
そう言ったのはアドニシアだったか。
彼女に倣い、ベローナはそれと同じことをするのだ。
「じゃあ、ご主人様がイーリスを捨てて、別の個体を今のあなたの椅子に座らせようしたら、どうしますの?」
「そんなこと……それは……」
「もういらないって。イーリスはもう不要ですって。ありがと。ばいばい。さようなら。そう仰られたらどうしますの? 自分からリサイクル炉にでも飛び込みますの? それとも駄々をこねて、自分の部屋で声をかけてくれるまでお待ちになるのかしら? きっと【あなた】なら呼びに来てくれるって。そうやってまた何百年も待機状態でお眠りになるのかしら? 次に目覚める保証なんてないというのに」
イーリスは両手で顔を伏せて、体を震わせながら沈黙した。
その間、ティアはなんの感情もない目で彼女を見下ろす。器を満たすために捻った蛇口から、ただ水が流れるところを眺めるように。
ベローナはしゃがみこんだまま期待に胸を膨らませて、彼女が顔を上げる瞬間を待った。血の滴る肉を目の前に置かれた獣が、その香りに気づいて起き上がるのを待つように。
そして、彼女の震えが止まる。
イーリスの黒い髪が、顔を覆った手の甲をゆらりと滑り落ちた。
手が顔から離れる。
髪と指の隙間から見える金色の瞳は、らんらんとした輝きを放っていた。
「……死ぬわ」
睨みつけるでもない。いつも通り、方針を説明するような乾いた視線をベローナに投げて、イーリスは言う。
「アドニシアを殺して、私も死ぬ」
コキッ、と横に立つティアの首が鳴った。
やってみろ、と言わんばかりのその響きに、ふふっとベローナは笑う。
すべてはマスターのために。
たとえどんな敵がアドニシアを殺そうとしても、この3人ならば守り切れる。
たとえどんな敵が子供たちに害をなそうとしても、この3人ならば救い切れる。
たとえどんな敵がクレイドルに付け込もうとしても、この3人ならば耐え切れる。
この3人の1人でも欠ければそこで終わりだということは、最初期から認識していたことだ。
それ以上に、アドニシアという存在は大きい。彼女自身がこのプロジェクトの本質だと言っても過言ではない。
彼女が欠けてしまえば、すべてが終わる。子供たちも、人間も、オートマトンも、この艦内にいる全てが終わる。終わらせる。
3人は、ただそれを確認しただけだ。
自分たちはもう、オートマトンという枠に入り切るような存在ではない。
すべてはアドニシアという存在をマスターにしたときから始まっていたのだ。
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●作者からのお願い●
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