35.【邂逅⑥】
「暴徒鎮圧用パワーローダー、通称【リーパー】だ。これならばそのオートマトンに対しても引けは取るまいよ!」
「え?」
眼鏡をかけた細身の男が、勝ち誇ったように声を上げる。
気がつけば私はティアと共に広いロビーの真ん中で、銃を持った男たちに囲まれていた。
そして、ひときわ目を引くのは壁の穴から身を乗り出す大型の機械だ。
人の2倍くらいの大きさで、金属製の骨格や太いケーブルで構成された人型のロボット――パワーローダーだ。
私はこの光景を知っている。
たしか、スペンサーさんのところにヘクス原体を譲ってもらいに来たときの光景だ。
夢……? フラッシュバックというやつだろうか。どうして今更、こんな記憶を思い返しているんだろう?
「殺せェ!」
スペンサーさんが叫ぶ。
その命令に応じて、パワーローダーが私に向けて走り出してきた。
「あるじッ!」
ティアの焦ったような声が聞こえる。
でも、大丈夫だ。記憶の通りなら、私はなんの怪我も負うことはない。
彼は女性をこんな機械で轢き殺すような人じゃなかった。
だから、このパワーローダーは私の前で止まってくれる。
重い体を駆動させるモーターの音を猛々しく響かせながら、パワーローダーがぐんぐんと私へ突進してきて――。
「わっ……」
――止まった。
やっぱり夢と同じだ。
そのことに私はほっと胸を撫で下ろす。
このあと、たしか根負けしたようにスペンサーさんがヘクス原体を返してくれるのだ。
元々、ヘクス原体は私のものなんだから、当然だって。
ただ、周りの男の人の威圧感が凄くて、ティアが早く帰ろうと駄々をこねたから、さっと帰ることになったのだ。
最後はスペンサーさんと笑い合って別れて――……。
……あれ? ヘクス原体って私のものだっけ?
記憶に違和感を感じたとき、私の腕が何か冷たいものに持ち上げられた。
「あ」
見ると、パワーローダーが私の腕を掴んでいる。
3本しかない指が私の細い腕に食い込んでいて、少し痛い。
何か嫌な予感が頭をよぎった瞬間、ベリッという音がした。
頬に生暖かい液体がかかって、私は顔を逸らす。
なんだろう。今の音は。それよりも早く腕を放してほしい。だんだんと掴まれているところが痛くなって――。
――と、視線を戻すと、私の腕は前腕の途中から無くなっていた。
「ああッ!? あぁぁぁぁぁぁぁ!? 痛っ……痛い! 痛い痛い痛いいぃぃぃぃぃぃ!?」
血が噴き出して、砕けた骨がポロっと落ちる。腕の先からぶら下がっているのは腱か何かだろうか。
私は激痛に叫びながら後退り、その場にうずくまった。
「あぁぁ……」
手を失ってしまったという事実の喪失感が、痛みよりも強く胸を刺す。
子供たちの頭をなでたり、体を抱え上げたり、手を握ってあげたり、料理を作ってあげたり――。
そんな当たり前のことが、こんなにも簡単にできなくなってしまった。
息が荒くなり、心臓がはちきれそうなほどに動悸がする。
「なにを痛がっているんだい?」
そんな私に、スペンサーさんが声をかけてきた。
好きになれなさそうな微笑を浮かべて、痛みにもがく私を見下ろす。
「わ、私の腕ぇ……!」
私は助けを求めるように自分の手を見せた。
だが、スペンサーさんは首を振って呆れたようにため息をつく。
「痛いのは当たり前だろう? 君が僕にやったことと同じなんだ。僕がそんな風にのたうち回っていたのを覚えていないのかい?」
「私、そんなことぉ……――!」
――したよね?
「ぐぅ!?」
頭の中で誰かの声が響く。
声だけではない。
自分が、スペンサーの右腕を小枝のようにもぎ取った記憶が、脳裏に再生された。
「違ううぅ……私、酷いことっ、酷いことしないってぇ……! ティアと約束ぅぁぁ……!?」
――もしスペンサーと会っても、酷いことしないって、約束してくれるんだぞ?
ここへ来る前に、ティアと交わした約束があった。
それを私は今まで忘れてしまっていた。
ティアは早く帰ろうなんて駄々をこねてたんじゃない。
私が約束を破ったから、私を止めたかったから涙を流してまで縋りついてたんだ。
帰り際、悲しそうに立ち止まったのも、私がティアを裏切ってしまったからだ。
私はそのとき、何をしていたか。
血がべったりとついた靴で廊下を歩いて、飛び散った肉片を頬につけたまま、「よかったね」などとスキップしていたのだ。
「あ、あぁ……ティアぁぁぁ……」
名を呼ぶと、それまで周囲の男たちに対峙していたティアが振り返った。
その目は氷のように冷たくて、地面にのたうつ私を気に掛ける様子などない。
「あぅぅ……」
私はティアに見限られてしまったのかもしれない。
だとしたら自分のせいだ。自分が酷いことをしたからだ。
私は腕を抱えて床に突っ伏す。
「どうしたの? あなた」
「はっ……!?」
後ろからかかった声と共に、風景が一変した。
床にうずくまった私の姿勢は変わっていないのに、夢から覚めたような衝撃が体全体を震わせる。
見てみると腕が戻っている。
それにこの声は――イーリスだ。きっとイーリスが夢から起こしてくれたに違いない。
私は振り返って、彼女に助けを求めた。
「い、イーリス! イーリスぅ! 私、私の怖い夢――ひぃっ!?」
――そこには顔の潰れた黒髪の少女がいた。
下半身がなく、背中を反るような形で、後ろに内臓をひきずっている。
「どうしたの……? あなた……?」
わずかに残った唇と思しき部位が動き、私に問いかけてきた。
「い、イーリス……かお、顔がぁ……! 死んじゃやだぁ……!」
それでも、彼女がイーリスであるとわかる。私は彼女に縋りつくように近づくと、片方だけ残った眼球がこちらに向いた。
「顔……? 死ぬ……?」
そして、不思議そうに首を傾げる。
下に向いた片耳から血がポタポタと垂れ、床に赤い点々を描いた。
やめて。そんな風にしたら血が無くなっちゃう……!
そう言おうとしたが、彼女のわずかに残った唇は半月状の形に変わった。
「ふふふ……」
イーリスが笑う。
品のあるはずの彼女の声が、今は不気味に感じる。
――それだけではない。
「あははは!」
「アハハハ!」
「ははははは」
私の周りで、様々な笑い声が生じ始めたのだ。
見れば――そこには皆がいた。
ベローナが両腕をおかしな方向に曲げた状態で、打ち捨てられた人形のように倒れている。
首がねじり折れ、脊椎の一部を露出させながら、だらんと頭をぶらさげているティアの姿がある。
【ピクシス】、【ポーターズ】、【ストリクス】のオートマトンたちが、その体の一部を欠かし、その体のどこかに空洞を伴いながら、血の海に浸っている。
そうして皆が、笑っていた。
「やめて……」
止まない。笑い声は止まらない。私はこんな風に笑わせるために、皆を笑顔にしたいと思ったわけじゃない。
だから――。
「――もうやめてぇッ!」
「あなたがやったんでしょう?」
私の叫びに、イーリスが顔を近づけて答えた。
血生臭い顔をこすりつけるような近さまで突き付けられて、私は息を飲む。
「こんなに遊び散らかして。楽しかったんでしょう? 自分を裏切った人たちをバラバラにして、恐怖に陥れて、尊厳まで奪い捨てて……」
「違う違う違う! 私はそんなこと思ってない! 私はイーリスを守りたくて……! 私はやりたくてやったわけじゃない!」
仕方ないから私はやったんだ! あのままじゃイーリスは殺されてたから! もっと酷いことをされてた!
だから、私は任せたんだ! 私だけじゃどうしようもないから! 私は何もできないから! 何もないから! 何も持ってないから!
だって私は――!
「やっぱりあなたがやったんじゃない」
「あっ……」
目の前にいたはずのイーリスの声が、後ろからした。
顔を上げると、そこには黒いコンバットスーツを着た男たちの、無数の骸が散らばっていた。
見覚えがある。私はそれを見ている。私はここにいたことがある。
なぜなら――。
「私が……やったから……?」
右手を見る。
そこには血だらけで、そして何かの肉片が付着した自分の手があった。
爪の間に黄色い脂肪が挟まって、砂粒ほどに砕けた骨が乾いた血で張り付いている。
自分の体を見下ろすと、その白い制服は赤く染まっていた。
ひどく鉄臭く、そして刺激臭の混じる生物の内臓と思しき匂いが鼻をつく。
それは周囲を取り巻く骸からではなく、自分の体から発せられていた。
「あ……あは……」
私は、皆の香りが好きだ。
ティアのお日様のような香り、イーリスの石鹸の香り、ベローナの甘い香り、子供たちの汗とミルクが混じったような香り……その全部が私は大好きで、抱きしめるとつい香りを嗅いでしまう。
皆も私に抱き着くと、お腹や胸、首筋に鼻を押し付けて匂いを嗅いでいた。
だから、私自身の香りもそんな大好きな香りの1つのように思っていたのに。
これが、私の匂い。
臭い。吐き気がする。他人に近づいちゃいけない。ここにいちゃいけない。子供たちには一生感じさせたくはない匂いがする。
こんなもの、シャワーを浴びたところで取れるわけがない。
だって、これは私がしたことで染み付いてしまった、死の匂いなんだから。
「あはははははは……! あはははははは……!」
笑いながらも、私の頬を涙が伝う。
泣く権利なんて私にはないのに、それは溢れて止まらなかった。
私は人殺しだ。悪魔だ。
【ママ】の資格なんて、【聖女様】なんて呼ばれる存在じゃない。
私はもう何も見えなくて、何も聞こえない暗闇の中で、悲鳴を上げることしかできなかった。
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