46.【決壊④】
テミスは驚いていた。
元々、テミスに与えられた命令は不確定要素が多く、予定通りにはいかないことを承知で行動している。
だが、その工程の中でもミニマムな命令――障害となるオートマトンの破壊という段階で、自分がここまで追い詰められることは想定していなかった。
言い訳をまとめればキリがないが、明確な要因はひとつだ。
識別番号N-SW0268/j、個体名称【ティア】の戦闘能力が予想以上だった。
つまりすでにテミスの左側の顔はめちゃくちゃだ。
人間ならばその惨状に追撃を中止するほどのダメージに見えるだろう。
だというのに、次の攻撃が来る。
今度は下顎を正面から狙ったパンチが刺さり、流体素子CPUへと直に衝撃が伝わった。
バキャッっと音がして、循環液と共に何かが床に散らばる。
歯……いや、歯茎……でもない。
下顎そのものが抉り取られていた。
衝撃により視界へノイズが走る。度重なるダメージで演算能力も低下している。
それを認識しつつも、テミスは目の前の「姉」を見た。
テミスはこれまで人心の掌握のため、様々な行動パターンをその身で行ってきた。
警備用かつマスコットとしての【キャラクター】。
捨てられた哀れな外見年齢相応の女児としての【キャラクター】。
そして、偶然そこにいた姉妹機の妹として、そして教会所属のオートマトンとして可愛がられる【キャラクター】。
猫を被ることなら他のオートマトンよりも経験が豊富だ。
うまくやって見せる自信というものがテミスにもあった。
だが、目の前の「姉」はなんだ。
つい数時間前まで自分を可愛がってくれていた明るい少女が、無表情に拳を突き出してくる。
悲しみもなく、怒りもなく、慈しみもなく、それはただただ破壊だけを目的に行われていた。
――これが、「お姉ちゃん」……?
本物の人のような愛嬌と優しさを振りまいていた存在が、自分以上に【キャラクター】を捨てていることに驚愕していた。
最初にアドニシアを悪魔を表現したものの意味が、そこでやっと理解できた気がする。
腹部に強烈な一撃を見舞われ、打ち上げられながらそう思った。
このままでは完全に分解されるまで打撃を食らうことになるだろう。
テミスは空中で再度
問題ない。
本来ならばオートマトン単機に対して使用するようなものではないが、自分が破壊されることを回避するには仕方がない。
表面を覆っていた人工皮膚は衝撃に破れた。
その下にあった装甲板も砕かれた。
故に、それが露出する。
三角形の結晶――プリズムレンズを組み合わせたような部品が展開した。
それは警備用オートマトンが装備すべきものではない。
人に模倣するためだけの消化機関などの余分なものを排除し、追加された武装が起動する。
――広域制圧用光学兵装【マルチプルディバインドレイ】。
80の方向へ同時に高エネルギーレーザーを照射する兵器だ。
テミスの全出力を注げば7コンマ8秒の使用が――理論上は可能と聞いている。
たった1体のオートマトンがこれを受ければ、逃げ場などない。
いくら反応速度や運動性能を底上げしていても、弾着予測不能の80のレーザーに囲まれれば逃げ場はない。
『お顔をぐちゃぐちゃにしてくれたお礼なの。お姉ちゃん』
喉の発声器官から直に響くその声は、まるで自分の声ではないようだった。
知らぬ間に、テミスは自身の声を「可愛い」と認識していたのかもしれない。
もしこれにティアが耐えることができたら、それは凄いことだ。
喜んで、抱きしめて、手を引いて踊ってあげたい。
妹として誇らしい。強い姉の妹として胸を張る喜びを得ることができる。
「あれ――?」
――自分はなにを考えているんだろう?
すでにチャージを終え、【マルチプルディバインドレイ】を発射する直前、テミスは眼下のティアを呆然と眺めるのだった。
◇ ◇ ◇
『敵兵装対象脅威度クラス5、広域制圧用光学兵器と予測。回避不能。一時撤退を推奨』
イーリスの無機質な声が状況を伝えてくる。
テミスの胸に見えるあのキラキラとしたものは、どうやらそこら一帯を焼き尽くすようなレーザー兵器らしい。
ティアが主に戦闘に使用しているのは【ゼロレンジコンバット】と呼ばれる格闘ソフトウェアだ。
元は警備用として製造されたティアが、銃やナイフを使用する敵を無力化するための武器だ。
それはあくまで人間レベルの敵に対して使用されるもので、広域制圧用の兵器を対抗する術はない。
テミスまでの距離は約57.6メートル、発射まではあと1秒もないだろう。
だが、ティアは前に走り出した。
『撤退を拒否。ここでテミスを破壊する』
無理だ。不可能だ。
そんな通信が大量に飛んでくることをティアは無視し、演算処理能力をヘクスへと注力した。
先ほどのサマーソルトキックが出来たのだ。
ならば自分にできないことはない。
ティアの意識は、ある種の万能感に支配されていた。
いや、何かに背を押されているような、接続されているような感覚もある。
だからこそ、それを実行する決断をティアは下した。
「出力無制限解放――あちきの全部を見せてやるぞ。テミス」
ティアは構える。
これから行うものは技でも、機能でも、機構でもない。
奇跡だ。
ティアはそう信じる。
それまで誰でも成しえなかったことを可能にする力が自分にはある。
ヘクスを通じて感じる、今の自分がいる世界とは違う世界。
それが明確にどういったものかはわからない。
けれど、エネルギーを取り出す経路だけのはずがない。
ならばできるはずだ。
「あちきはここにいる」
それは楔だ。またここに戻ってこれるよう、縁という道筋を違えぬように。
「おまえもここにいる」
それは目印だ。あの敵の下へたどり着けるよう、暗闇の中を走り抜けられるように。
「あちきの主も、またここにいる!」
それは祈りだ。自分の戦う意味――自分自身の存在理由を、この世界へ刻むために。
テミスの胸部がわずかに発光した。
放たれればその瞬間にティアは焼かれる。
「【
ティアは――次元を超えて世界を駆け出した。
照らす物すべてを溶解させる眩い光が放たれる。
だが、そこには――その一瞬には、ティアという存在はこの世にはいなかった。
◇ ◇ ◇
『――!?!?!?』
目の前で起こった事象に、テミスのCPUが文字通り悲鳴を上げる。
80のレーザーのうち、ティアの回避パターンを塞ぐよう、目標周辺に40方向のレーザーを照射した。
そして、ティアの電磁シールドを貫通、ボディを融解させるため40のレーザーを彼女に向けて殺到させた。
そのうちのいくつかは機能不全で不発となったが、完全にティアのボディを捉えたはずだった。
だというのに――。
「――なんでッ! なんで動いてるのなのなのなのォ!?」
赤い影を纏ったティアが、空中を吹き飛ばされているテミスの下へ突進してきていた。
あり得ない。あの位置から、どんな速度で動こうとも回避することは不可能だったはずだ。
直撃は免れられないはずだ。
テミスは焦りという感覚を始めて味わいつつも、攻撃パターンを変える。
長く照射すればこちらのエネルギーと熱容量が持たない。
短く、ばら撒くようなレーザーの散弾を、超短周期で目標に向けて放った。
だが、テミスの戦闘用の網膜ディスプレイにはいまだティアの識別番号が映る。
テミスは慌ててゼロコンマ数秒前の自分の映像視界を確認した。
そこに映っていたのは、ただ真正面に走り込んでくるティアの姿だけが映っていた。
しかし、よく見れば、彼女はレーザーが直撃する瞬間、赤い影のみとなっている。
「なに!? なんなの!? なんなのなの!?」
テミスをそこまで動揺させたのは、ティアのその姿ではない。
その映像を見た際、この目標の名前、識別番号、破壊目的をテミスは判別できなかった。
だが次に姿を現したティアを見れば、それは確かに「お姉ちゃん」と呼んでいた個体で、破壊目的も明確に判別できる。
これはなんだ?
ティアの纏う赤い影――それはテミスの
自分以外のその他から、存在自体を識別させなくすることなど、最盛期の時代であってもあり得ない能力だ。
それを元警備用のオートマトンが成している。
今のティアの状態を言い表すならば――この世界から、自分の存在を消している。隠している。
ヘクスによる多次元への干渉により、別の次元、次元の裏側、並行世界、そんな風に呼ばれるどこかに自分自身を隠匿すれば可能かもしれない。だが――。
――そんなことができるのはもはや、人でも機械でもないなの。
ティアの姿が目前に迫る。
テミスは残ったエネルギーを使い、正面へ全てのレーザーを収束させた。
赤く燃え上がるような影を背に、ティアの拳が眩く光る。
「【
ゼロレンジコンバットにおける最大威力の術式と、【マルチプルディバインドレイ】のレーザーがぶつかりあった。
せめぎ合いになどならない。それは一瞬だ。
大型機動兵器の装甲を撃ち抜くために一点に集中させた斥力波が、レーザーを捻じ曲げる。
近距離で激しく飛散する熱エネルギーがティアの人工皮膚を焼いた。
だが同時に、眩い奔流の中心を貫いた一撃によって、テミスの小さな体が撃ち抜かれる。
――これがお姉ちゃん……。
照明の灯っていない暗い区画に吹き飛ばされながら、テミスは思った。
こんなにも強い姉が自分にいたことへ「幸せ」を感じた。
幸せを感じる心を、自分が持っていたことに驚きながら。
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