44.【決壊②】

 ジョナス・ウルフスタン――6人のプロジェクトリーダーの1人でもあり、同時にプロジェクト全体を総括する役目を負っていた男だ。

 突如出てきたその男の名前に、レインは困惑しつつも立ち上がって声を上げる。


「嘘よ!」


 暗闇の中、テミスの口から語られた話を、レインは真っ向から否定した。


「子供たちはいる! 惑わされちゃ駄目! 私たちを混乱させるための嘘よ!」


 レインとてそれが嘘であるか確信はなかったが、あえて言い切る形で対抗する。

 

 このオートマトンの話は、スペンサーの死やジョナスによる別のプロジェクト、そしてアドニシアの正体などという不確なものばかりだ。

 もちろん、事実が含まれている可能性も大いにある。

 

 だが、テミスの意図は恐らく自分たちを混乱させることだ。


 今、このクレイドルで自分たちが力を尽くしているのは、人類再興という大枠な目的意識によるものではない。

 個々の意識としては、アドニシアと子供たちへの信奉、献身――それによって自分が「正しいことを行っている」という実感を得たいがための労働だ。


 レインはかねてから、このコミュニティをそう評している。

 

 たった4人の子供だけで、人類を再び繁栄させることができるかと言われれば、それは否だからだ。

 理論上、最低でも500人の人類を人工子宮から生み出さねば、人という種族は種を維持できない。


 プロジェクト開始時にそうシミュレートされていることを、皆は知っているはずだ。


 だとしても、このクレイドルで尽力することを選んだのは、彼らがこの300年越しの世界で何を成しえるのかを再び模索したかったからだろう。

 

 その意識の根幹となっているのは、アドニシアへの信頼と子供たちの存在だ。


 それが今、危うくなっている。理屈ではなく、感情という面において。

 

 テミスの物言いには不安を煽る論理のすり替えがある。

 冷静に話を整理すれば、パニックを起こすような内容ではないはずだ。


 だが、最初に流されたショッキングな映像が、彼らの本来の思考能力を奪っている。

 

「どっちを信じるかは任せるのなの。けれど、アドニシアは悪魔なのなの。次に殺されるのはみんななのなの」

「煽るわね……! 彼女が私たちを殺すつもりなら、まず最初に私が死んでるわ」

 

 レインはテミスに対し身構えつつ反論する。


「テミス!」

 

 その時、勢い良く食堂のドアが開いて、小さな体が飛び込んできた。


 ティアだ。

 彼女は凄まじい速度でテミスに肉薄し、その首を掴む。

 

「お前はぁ――ッ!」

「お姉ちゃんもテミスを壊すのなの? そう命令されたのなの?」


 つい先日、テミスを自分の妹だと紹介したのはティア自身だ。

 姉妹機同士が争いになっているこの光景も、ここにいる皆へ心理的なストレスを与えるだろう。


 それは相手の思うがままだ。

 

「ティアちゃん! この場は取り押さえるだけにするのよ!」

「くっ……!」

「スペンサーさんはなんで殺されたのなの? お姉ちゃんも一緒にいたのなの。止めなかったのなの?」

「それは――!」

 

 ティアが何かを言いかけた瞬間、背後のドアが開いた。

 皆が振り向く前に、テミスの問いに答える声が響く。

 

「私がティアの【あるじ】だからだよ」


 2週間もの間、姿を見せなかったアドニシアがそこに立っていた。

 彼女が部屋に入るや否や照明とモニターが正常に戻り、周囲は明るさを取り戻す。

 

「聖女様……!」

 

 教徒たちは縋るようにアドニシアの周りへと集まった。

 レインもジャスパーと共に彼女の下へ駆け寄る。

 

 だが、アドニシアの顔色は優れないように見えた。

 そもそもオートマトンの血色は体調に左右されることはないが、彼女特有の様々な表情の機微がそこには感じられない。

 

 いつもとは様子の違うアドニシアに教徒たちは気づかず、声を上げる。

 

「せ、聖女様……嘘ですよね!? 聖女様が……スペンサーを殺したなんて……!」

「スペンサー……? ああ……」


 何かを諦めたような表情で、アドニシアは顔を上げる。

 

 レインはその顔に、嫌な予感を覚えた。

 今は多少無理があったとしても、誤魔化すべきだ。

 でなければ、多くの情報と疑念に晒された教徒たちは、その内に抱えた感情の抑えきれなくなってしまう。

 

 ――やめて。今はそんな質問に答えられるような状態じゃないんでしょう?


 そう声をかける前に、彼女は少しだけ頬を緩めてはっきりと言った。

 

 

「本当ですよ。私が殺しました」



 食堂の中を静寂が支配する。

 やがて、一斉に教徒たちはアドニシアに対して声を上げ始めた。

 

「そ、そんな……俺たちを騙していたんですか!?」

「私たちはなんのためにここまで頑張ってきたと思ってるの!?」


 人を殺すことは重い罪だ。

 今のこの世界に法律などないが、人としての倫理は失われてはいない。


 特に教徒たちはそういった行いには敏感だろう。

 彼らは常に正しいことを求めている。正義の側でありたいという願望を持った人々だ。


 だが、ここでアドニシアが糾弾されれば、テミスの――いや、ジョナスの思惑通りになってしまう。

 

 レインはジョナスという男をよく覚えている。

 プロジェクトリーダーという立場でありながら、プロジェクトの続行が不可能と決断されると優秀な人材を引き抜き、1番最初にクレイドルを去っていった男だ。


 そんな男が、今更自分たちのため警告しにくるわけがない。

 

「ま、待ってみんな! 子供たちがいないって嘘と決まったわけじゃない!」

「そうだ! 皆落ち着け!」

 

 レインがアドニシアの前に立つと、ジャスパーとアントニオも肩を並べてくれる。

 

「黙れよ異端者! お前は先にここで楽な生活を送ってたんだろ!?」

「おいおい! なんかズレてんぞ! まずはアドニシアさんの話を聞くべきじゃねぇのか?」

「人殺しの話を聞いてどうするっていうの!?」

 

 そこに他の者たちも加わって、糾弾しようとする者たちとそれをなだめる者たちとで、その場は半々に分かれた。

 激しい言い合いが始まる。

 

 下手をすれば乱闘になりそうな雰囲気だ。

 ジャスパーはそれを感じ取ったのだろう。レインは腕を掴まれて、後ろへと引っ張られた。


「レイン、下がって。アドニシアさんを連れて外へ出ていたほうがいい」

 

 そう言われて振り向くと、アドニシアはドアに背を付けて俯いたままだ。


「アドニシア……落ち着く場所で私と話をしましょう。一緒に外へ」

「でも、私は皆さんに……」


 彼女の顔を両手で包むと、光のない瞳がこちらを見た。

 その目の色に、レインは既視感を抱く。


 思い至ったのは、自分の姿だ。


 教会での暮らしに希望を見出せず、すべてを考えるのが嫌になって、終わることすら望んでいた自分だ。

 逃げたことに罪悪感を覚え、その結果として未来に絶望し、生きることからも逃げることで楽になろうとしていた。

 

 自らを罰するという体の良い魅力的な言葉を口にして。


 それを自棄を起こしたと表現することは簡単だ。

 だが、幾つもの罪悪感という紐が心の中で絡み合って解けなくなってしまった苦しみは、本人にしかわからない。


 他人が与えられるものは、ゆっくりと解すための時間と、ヒントとなる言葉だけだろう。

 それをレインは知っていた。

 自分はこのクレイドルで、それらを与えられたのだから。

 

「そうやって自分ひとりで抱え込んでいても何も進まないわ」


 レインはアドニシアの肩を持って、後退させる。

 力なく従う彼女の体の軽さに、先ほどの映像はやはり何かの間違いなのだろうと思った。


 その時、視界の端にウィーラーがいることに気づく。


「え?」


 最初、彼は何かをこちらに差し出しているように見えた。

 両腕を伸ばし、手に持った何かを突き出すその仕草は、まるで緊張しながら贈り物をするかのような姿勢だ。

 それはアドニシアに向けられていて、レインは彼の行動に違和感を覚える。

 

 違う。彼が両手で握るそれは、工具の一種だ。


 それらについてレインは詳しくないが、少なくともこの場でアドニシアに向ける物としては不穏なものだ。


「――アドニシアッ!」

 

 レインは咄嗟に、アドニシアに自分の体を押し付ける。

 次の瞬間、ビシッという軽い音と共に背中へ激痛が走った。


「う゛ぁ――ッ! がはっ……!」

 

 それはすぐさま胸へと伝播し、襲ってきた異物感がレインを激しく咳き込ませる。

 

 気がついたときには、アドニシアの胸の中にいた。

 力の入らない体を支えられながら顔を上げると、彼女の顔は赤い液体で汚れている。


 血だ。


 それが自分の吐いた血だと、レインはすぐさま理解した。

 呼吸のたびに痛みの走る胸と、鉄の味のする口内がそれを示している。


 撃たれた。きっと肺をやられたのだろう。出血の量からして、太い血管が傷ついてしまったかもしれない。


 そう考えつつも、レインは再びアドニシアの顔を見た。


 そこにあったのは、彼女の顔だ。

 喜びに口端を歪めているわけではない。怒りに歯を食いしばっているわけではない。血で汚れた白い顔に、表情と呼べるものはない。

 

 だが、自分の顔を映す、その瞳の奥に感情が滲んでいた。


 一目見れば喜怒哀楽がわかるほどの素直な瞳――それが彼女の一番の魅力だ。

 だから、表情を消して取り繕ってもわかる。


 自分が傷ついたことに、こんなにも悲しんでくれていることを。

 

「悪魔にはここで壊れてもらうなの」


 そのとき、幼い声が背後から降ってきた。高い声に、似合わぬ殺気を含んで。


「させない」


 同じく幼い声がして、頭上で甲高い音と、激しい閃光が奔った。

 彼女を守るための存在が、脅威を払い除けたのだろう。

 

 アドニシアが開いたドアから廊下へと下がる。

 

 彼女はとても不完全で、何かが抜けていて、もしかすればテミスの言う通り何かが壊れてしまっているのかもしれない。

 けれど、レインにはそれが愛おしいと思った。

 だからこそ、彼女は愛されるのだ。人間として、その未来を感じさせる存在として眩いのだ。


 

 ◇   ◇   ◇


 

「きゃああああ!?」

「ウィーラーを取り押さえろ! こいつ……!」

「アドニシアさん! 部屋から出てレインを……!」


 教徒たちから悲鳴が上がる。

 レインが撃たれた。ウィーラーが隠し持っていた工具を改造した銃によって。


 ティアはその後ろから見ているだけだった。

 それが自分の与えられた役目だったからだ。

 

 テミスが首の拘束から急激な加速で逃れ、教徒たちの頭上から対象脅威度クラス4術式【衝撃波ショックウェイブ】を放とうとしたのだ。

 

 アドニシアを直接狙ってくる可能性がある。

 

 そう予見されていたティアは前もって知覚速度を加速させていた。

 

 だからこそ間に合った。


 ティアは空中で攻撃を放つテミスに対し、全く同時に【衝撃波ショックウェイブ】をカウンターとして放ったのだ。

 後継機といえどティアは出力の差で負けることはない。負けられない。負けるはずがなかった。


 理由なんて1つだけ。

 すぐ後ろにアドニシアがいるからだ。

 

 ならば、自分は絶対に負けない。


 その自信の通り、テミスはティアの放った【衝撃波ショックウェイブ】により後方の壁に吹き飛んでいった。

 だが、あれで終わりではないだろう。


 テミスは自身のマスターをジョナスだと言った。

 彼がヘクス原体を使い、そのエネルギーを供給しているのならば、テミスは並みのオートマトンの性能をはるかに凌駕する。


「ティア……――あとはお願いね」


 テミスが激突してあけた穴を壁を睨んでいると、背後から声がかかった。

 アドニシアが、レインを抱えて廊下へと避難するところだった。


 それを見送って、ティアはシステムを介し、イーリスへ通信を送る。


CP指揮所へ。傷害事案発生。個体名称【テミス】による扇動行為およびマスターへの攻撃行為を確認。ROE交戦規定デルタ発令を求む。同時に個体名【テミス】を敵性存在と断定、これより排除行動に移る』


 電脳端末での音声を伴わない伝達は、必要な情報のみがやりとりされる。

 冷たく機械的なやり取りとなってしまうが、非常時においては迅速なやり取りが可能だ。

 

『了解。クレイドル全域にてROE交戦規定デルタを発令。こちらより応援を派遣可能――要否を求む』


 イーリスから返答があった。

 通信にはこちらを気遣うような感情が混じっている。さすがは情報処理能力の高い彼女だ。

 

 ROE交戦規定デルタは、教会からの人間を保護し始めた際に新たに制定されたものだ。

 規定内容は「クレイドル内で生活する人間の中に敵性人物が紛れていた場合、全ての人間を対象に、その脅威度に応じて攻撃を許可する」こと。

 

 できれば発令されることがないように、と皆で願いつつ定めたことをよく覚えている。

 だが、そうはならなかった。

 

 周囲に取り押さえられたウィーラーはほんの始まりに過ぎないかもしれない。

 他にもアドニシアを破壊しようとするものがいるかもしれない。

 

 ここでの「日常」はもう終わった。

 

 テミスを後ろに従え、人々と言葉を交わす時間はとても新鮮なものだった。

 短い期間だったが様々な人がいて、色々な話を聞かされた。

 この人たちの知識や経験は、子供たちにとっても良い刺激になる。

 

 そんな希望を覚えた時間、ここでの楽しかった思い出はもうやってこないのだろう。

 

 ティアはイーリスの提案を拒否した。

 

『必要ない』

『……了解。情報支援は可能なため、これより随時、そちらの状況をモニターする』

『了解』


 ティアは右の拳をバチンと左の手に打ち付ける。


『マスターからの直接命令のため、これより当機は識別番号【N-SW0269/j】の破壊任務を遂行する』


 先ほどまでアドニシアに怒りを差し向けていた教徒たちの気持ちがよくわかる。

 

 妹だと思っていた。

 優しい子だと思っていた。

 ずっと姉と慕ってくれると思っていた。


 他人に裏切られるということは、胸の奥をぎゅっと掴まれるように苦しいことなのだ。

 けれど、それは自分以外の存在に期待を押し付けていたということだ。

 

「あちきは、ちょっと欲張りすぎたんだぞ」


 アドニシアという大好きなマスターがいれば十分だった。そして仲間がいて、子供たちもいる。


 その上で自分だけの妹が欲しいだなんて思ってしまった。

 自分はテミスのことをなにひとつ理解してあげられなかったというのに。

 

 ドアが再び開いて、銃を構えた【コーネリアス】たちが食堂に入ってきた。


 ここでの対処は彼女たちに任せよう。


 ティアは身体機能を戦闘状態に維持したまま、穴に向かって飛び込むのだった。


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