43.【決壊①】

 ――やる。ここでやる……! 全員に伝える使命が俺にはある……!

 

 ウィーラーは他の者からは距離を取って、食堂の椅子のひとつに他の者からは距離を取って座っていた。

 自分の心臓が不安と緊張で高鳴るのがわかる。

 

 アドニシアの体調が回復したという知らせは、すぐにクレイドル中に広まっていた。

 そして、その日のうちに彼女がこちらに顔を出したいと望んでいたため、急遽教徒たちは食堂に集まることとなったのだ。


 故にアドニシアが来る前に、ウィーラーは用意していたことを実行に移さなければならない。

 

 心の準備など出来ていない。ただ自分が信じる正しい行いのために、やるだけだ。

 離れた席でレインたちと話すテミスをちらりと見ると、子供っぽい笑顔が返ってくる。


 それは肯定の合図だ。中止するのなら、すでに彼女は声をかけてきただろう。


 ――やるしかない……! これは俺だけに課された役目だ。他の誰にもできないんだ……!

 

 ウィーラーは意を決して、作業服の内側に隠した手のひら大の端末を取り出し、操作する。


 クレイドル内のシステムにアクセスすることは、ウィーラーたちには許されていない。

 権限を持たされていないし、不正な手段でアクセスしようとすればすぐに検知されてしまうだろう。


 だから、ウィーラーはシステムを介さない形で、仕掛けを施しておいた。


 要はこの部屋の照明やモニターにデータを直接流せれば良い。配線の途中に噛ませた点検用の機材を手元の端末で起動すれば、それが実行される細工だった。


 ウィーラーの視界が暗くなる。


 照明が消えたのだ。赤い非常灯は別の配線なので完全な闇にはならないが、それでも食堂内の人々の驚く声がこだました。

 

「なにかあったのかな。見てこよう」

「俺も行くぜ。……お?」


 ジャスパーとアントニオが率先して立ち上がる。

 だが、彼らはその状態から動かない。


 その視線は食堂内の天井に吊られたモニターへ釘付けになっていた。

 

『来るなっ……! こっちに来るなあああああ!』


 男のヒステリックな音声が響く。

 それはモニターに流れている映像のものだ。


 ゆらゆらとした揺れ、映す方向がカクカクと飛ぶように変わる。それは、ある種の映像の特徴だった。

 電脳端末で視界を録画したものだ。

 

 この映像が誰かの視界だったことを、ほとんど者が理解できるだろう。


『えいっ』

『ああぁぁぁぁ……!』


 問題はその映像に映っている人物だ。

 ウィーラーはここにいる全員に向けて、心の中で語り掛けた。


 ――あの女は、悪魔なんだ……!


 モニターの中で激しい閃光が迸る中、視界の主に近づいてくる赤い髪の女性――それは紛れもなくアドニシアの姿だった。

 

 

 ◇   ◇   ◇



 なんだ、これは。


 ジャスパーはそれが何であるかを理解することができなかった。

 正確には誰が自分たちにこれを見せて、そして、どういう意図があるかを推測できずにいた。


 だが、わかることはある。

 十中八九、これはクレイドル側が見せているものではない。

 

 なぜなら、そこには自分たちの知るアドニシアとは全く別の――残虐性を露にする恐ろしい存在が映っていたからだ。

 モニターに映る彼女は、視界の主の右腕をもぎ取って、嬉しそうに微笑んでいる。


 目的はその右腕にあったヘクス原体だったらしい。

 六角形の結晶体を手に、アドニシアは無邪気に笑うのだ。


「せ、聖女様、なのか……?」

 

 誰かが愕然とした声を上げた。

 この映像に映っている彼女と、自分たちが知っている彼女はあまりにも違い過ぎる。

 

 だが映像の中には、目立つ髪色と特徴的な喋り方をしたオートマトンが映っていた。ティアだ。

 そして、彼女が「あるじ」と呼ぶ存在は、1人しかいない。


 ジャスパーはこのまま映像を見ることに危機感を覚えつつも、それを止められずにいた。


 これが偽造されたものだと否定することは簡単だろう。


 あのアドニシアがこんな非道な行いをするわけがない。

 そう声を上げて、映像を止めさせることもできる。


 ジャスパーがそうしなかったのは、ここで映像を消しても皆の中に芽生えた疑念が消えるわけではないと思ったからだ。

 逆に、教会を裏切ったと陰口を叩かれている自分が前に出るのは、その疑念を後押しすることに繋がりかねない。

 

 今やるべきことは、誰がこの映像を流しているかを探ることだ。


 ジャスパーはその場で周囲を見回し、皆の様子を窺う。

 モニターの光と非常灯だけに照らされた室内は薄暗いが、怪しい動きをしている者がいればわかるかもしれない。


 だが、そうして様子を窺っていたのは、自分だけではなかった。


「ジャスパーさんは、あれがなんなのかわかるのなの?」

「――っ!?」


 突如、背後から声をかけられて、ジャスパーはテーブルに体を打ち付ける勢いで振り向く。

 いつの間にかにテミスに背中を取られていたのだ。


 皆の視線が、こちらに集まる。

 テミスの声は明らかに周囲に向けて発せられていた。

 

 ジャスパーは目の前の少女型のオートマトンに邪気を感じながら、絞り出すように答える。

 

「……わからないな」

「あれはスペンサーさんの電脳端末に残っていた映像なの」

「スペンサー……?」


 クレイドルプロジェクトに参加していて、その名前を知らぬ者はいない。

 6人の各セクションリーダーの1人、スペンサー・プリチェットのことだろう。視界の主が彼ならばヘクス原体を所持していたことも説明がつく。


 それを知っているということは、この映像はテミスによるものなのだろう。

 このオートマトンはヴィンセント神父と共に生活していたことをジャスパーは知っている。


 だとすれば、教会の思惑か。

 

 ジャスパーは結論づけて、目の前のオートマトンを睨みつけた。

 

「テミスはアドニシアさんの正体を知ってるのなの」


 暗闇の中でテミスの口が横に広がり、歯を見せる笑顔を作る。


「エレン・マースデン。クレイドルプロジェクトの主任技術者にして、今ここにあるヘクス原体の本来の持ち主なの」

 

 

 ◇   ◇   ◇

 


『エレンは恨んでるのなの。自分のヘクス原体を奪ったプロジェクトリーダーだった6人を。だからスペンサーさんは殺されたのなの』


 食堂の監視システムで集音された音声に、ティアは歯噛みする。


「テミス……!?」


 アドニシアと共に教徒たちの下へ向かう途中、それは起きた。

 突如、食堂のモニターが乗っ取られ、アドニシアがスペンサーを殺したことをテミスが話し始めたのだ。


 イーリスとベローナが侵入者へ対応している今、テミスを止められるのは自分しかいない。

 ティアはアドニシアの警護を【コーネリアス】たちに任せ、食堂へと走る。

 

『そして、エレンはみんなのことも憎んでるのなの。だから、本当に人工子宮が動いているのかも怪しいのなの』

『君はアドニシアさんたちが嘘をついていると言いたいのかな』


 その間にもテミスの話は続いていた。対しているのはジャスパーだろう。

 彼は唐突な話にも冷静に対処している。


 ティアにとってはそれが歯痒い。

 自分のマスターを貶める発言を、ティアは今すぐにでも止めたかった。

 

 テミスの言葉は虚構と真実が入り混じっている。それ故にタチが悪い。

 

 アドニシアがスペンサーを殺したことは事実だ。教徒たちに見せた映像も実際のものである可能性は高い。

 スペンサーが拠点としていた場所は後日、もぬけの殻になっていたことを【ポーターズ】が確認している。


 彼の部下がデータを抜き出したか、それとも別のグループが死体を回収したか。

 どちらにしても彼の死については隠し通せないことはわかっていた。

 

『テミスは伝えに来たのなの。クレイドルプロジェクトはもう崩壊してるって。あのアドニシアを名乗ってるオートマトンは壊れてるって。テミスのマスターからみんなへの伝言なの』

『ヴィンセント神父から、ということかい』

『違うのなの』

 

 テミスの否定に「え?」とティアは声を漏らす。

 それはジャスパーにとっても同じだったようで、戸惑いの空気が音声から感じ取れた。

 

 そして、テミスは食堂にいる全員へ届くように、その名を口にした。

 

『――ジョナス・ウルフスタン』

「は!?」

 

 ティアは思わず足を止める。


『それがテミスのマスターなの。そして、テミスたちはこのクレイドルプロジェクトとは別に、人類再興を進めてるのなの』


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