08.【脈動③】

「はぁっ! はぁっ! はぁっ――あっ!」


 長い間、誰の通行にも利用されていなかった廊下に足音が響く。


 耐腐食性のある素材で作られた床材はその形こそ保っていたが、どこかから流れてきた埃や汚れによって清潔とは言い難い。


 そんな床に足を滑らせて、息を切らした女性が転んだ。


「大丈夫か、レイン!? くそっ、あいつらなんでこんなところに……!」


「うっ……」

 

 レインは後ろからきた男――ジャスパーに肩を起こされ、痛む足を押さえた。

 バランスを崩した拍子に挫いたのだろう。右の足首に痺れがある。少し動かしただけでも走る痛みに、レインは浅い呼吸を詰まらせた。


「警告です。止まりなさい」


 そこに、感情という装飾のない無機質な声がかけられる。


 前を見ると、拳銃をこちらに向けた女性が暗闇から現れた。一定の速度で歩きつつも、構えた拳銃はそれ自体が浮いているかのように上下しない。その動きはFCS火器管制システムと機械の体を持つもののそれだった。


 ――オートマトンだ。

 

「識別番号C-076AS、レイン・シーウェル。および識別番号C-044AS、ジャスパー・ウォルトン。間違いありませんか」


 こちらを警戒しているだろうに、まるで公共機関の受付でもしているかのような声色だ。


 レインは、隣のジャスパーが歯噛みするのがわかった。

 

「くそっ……!」

「識別情報について確認をしています。登録されている個人に該当しない場合、外来異生物と認定――排除する権限が我々にはあります」


 レインは答えない。その質問に答えても無駄だとわかっている。

 だが、ジャスパーはこの時間を引き延ばしたいと思っているらしく、苦しげに答えを返した。


「ぐっ……! そうだ! 間違いない!」


 彼女たちは情緒のない、ただの人形だ。個人を確認するのも、人工知能に刻まれた基本的な行動を実行しているに過ぎない。たとえその確認が、そのあとの命令で意味のないものになるとしてもだ。


 レインとジャスパーは、ある場所から逃げてきた身だった。主導者の圧政に耐えられず、自由を求めてグループから離脱したのだ。この広い艦内ならば逃げ切れる。そう思っていたのに、主導者は追っ手を差し向けてきた。


 なんとか撒いたと思っていたが、こんなに離れた場所でも追いつかれてしまうとは。


 ジャスパーがレインから体を離し、ゆっくりと前に這う。


 目線があって、彼の考えていることがわかった。ジャスパーは最後まで抗う気だ。たとえ相手が銃を持っていようとも、こちらがヘクスを装備していなくとも、立ち向かう気だ。


 だから、レインは彼の袖を引いた。

 そんなことをしてほしくて、一緒に逃げてきたわけではない。最後の時まで2人でいたいからこそ、レインたちは共にここまできたのだ。


 そうして二人は寄り添い、覚悟を決める。


 

 ――しかし、オートマトンの口から発せられたのは、意外な言葉だった。

 

 

「ご協力に感謝します。ではジャスパー様、現在、このブロックより先へは立ち入りを禁止させて頂いております。早急にお引き取りください」


 レインとジャスパーを顔を見合わせる。


 お引き取りください、とは……? と困惑していると、ジャスパーが問いかけた。


「ま、待ってくれ。俺たちを殺しに来たんじゃないのか……!? 君たちはどこの所属だ!?」

「お答えする義務がございません」


 オートマトンの返答は素っ気ないものだった。だが、ジャスパーは戸惑いと期待の入り混じった声で問い続ける。


「も、もし違うんならっ……助けてくれ! 俺たちは逃げてきたんだ! 命の危険を感じて……!」

「残念ですが、我々にはクレイドルプロジェクトより離脱した人間への保護義務はございません」


 久しく聞いていないその計画名に、二人は驚愕した。


 その計画は、役目を全うできなくなった自分たちが放棄したはずだった。だというのに、今もまだその計画のために動くオートマトンがいるのか、と。

 

「クレイドル!? まだあの計画が継続してるのか!? な、なら……俺たちは協力する! なんでもするから!」


 ジャスパーは床に手をついて、本来ならば人間に奉仕するべきオートマトンに頭を垂れる。


 自分たちは好きであの計画を放棄したわけではない。そうレインは、自分に言い聞かせていた。だが一方で、人類を救うという大いなる目的から逃げてしまったという、罪悪感も感じていた。


 もし、許されるのならば自分もジャスパーと同じく協力を惜しまない。レインは痛む足を引きずって、同じように床を這った。


 だが――。

 

「いいえ。貴方がた繁殖能力を持たない人間は、現在の計画に不必要であると判断されています。また、計画の進行に支障をきたす可能性が排除しきれないため、生命の保証は致しかねます。それでは」


 ――オートマトンは淡々と言い切って、踵を返した。


 迷いも、葛藤もない。彼女たちにとってレインたちは不要で、むしろリスクの対象だった。ただ、それだけ。

 

「……」

 

 レインは静かに下を向く。


 そう。これは自分たちへの罰なのだ。力のある主導者に流され、使命を全うしなかった自分たちへの。


 もし彼女たちオートマトンに感情があったとしても、同じ答えだったかもしれない。彼女たちこそ人類の未来のため尽力してくれていたはずだ。その計画を発案した人類の方から諦めてしまったのだから、今更なにを、と切られても仕方のない話だ。


「お、俺たちだって……子供が欲しくなかったわけじゃない! できれば俺たちは2人で……家族を……」

 

 気がつけば、ジャスパーは隣で涙を流していた。


 素直な人だ。そんなこと、あのオートマトンに言ってもなんの意味もないというのに。けれど、レインはそんな彼が好きだった。

 

「該当人物への処置内容変更を受理」


 その時、歩き去るはずだったオートマトンの足が止まった。

 

 ゆっくりと振り向いて、ホルスターに納めたはずの拳銃を再び引き抜く。

 

「実行に移ります」


 オートマトンの目にわずかな光の点滅が見えた。そして――拳銃からガチリという音がする。


 その仕草に、レインは察した。

 このオートマトンのマスターが誰なのかはわからない。だが、その人物はどうやら自分たちを放置することをやめたようだ。


「……結局そうなるのね」

「レイン、逃げるぞ! はやく立つんだ!」

 

 腕を引いてくるジャスパーに、レインは首を横に振る。

 

「いいのよ、ジャスパー……。もう逃げるのも疲れちゃった……。もしここで逃げられたとしても、楽園なんてない。後になってあいつらに捕まるくらいなら、この子たちに終わらせてもらう方がいいわ」

「レイン……!」

「貴方と一緒なら……私はそれでいい」


 レインはジャスパーの手を握る。


 好きな相手をこんなことに引き込むなんて、自分は最低な女だとレインは思う。けれど、自分たちは約束した。誓い合ってここにいるのだから、きっとわかってくれるはずだ。


 ジャスパーが抱きしめてくる。


 その熱を感じながらレインはオートマトンに視線を向けた。

 

「お願い……。オートマトンである貴方たちにこんなこと言っても無駄かもしれないけれど、少しでも良心があるのなら、楽に終わらせて」


 頬に、涙が伝う。


 レインの言葉に、オートマトンの顔が少しだけ悲しそうに歪んだ。――ように見えた。

 

「……承知いたしました」

 

 銃口が自分たちを狙う。


 そして、乾いた銃声と共に、レインの意識は途切れた。










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