33.【邂逅④】
「テミス……!?」
ヴィンセントの双眸がこれ以上ないほどに見開かれる。
第二次成長期前の人間を模した小柄なオートマトン――テミスは、ベローナを礼拝堂まで案内した教徒に連れられ、周囲を不安そうに見回している。
すると、ヴィンセントのやや曲がった背中がわなわなと震え始め、溜まっていたものを一気に吐き出すように叫び始めた。
「……あなたがたはァ! どこまで他人のものを奪えば気が済むのですか!? 水も! 食料も! 電力も! あまつさえ家族まで奪うのか!? それが神への信仰を説くもののやり方か!?」
「おいおい……。これは少々、事を荒立て過ぎでは? 客人もいるというのに」
若い司教が、他の司教たちとヴィンセントを交互に見ながら口添えするのが聞こえる。
ヴィンセントの暴言とも取れる言葉に声の低い男は眉間に皺を寄せていたが、指示した大司教はその無表情を崩さない。
「パパ!」
やがて、テミスがヴィンセントに向かって駆け出した。
ヴィンセントは腕を広げて彼女を受け止め、司教たちに背を向けながら紫色の髪を撫でる。
「安心しなさいテミス。お前は私が絶対に守ってあげるから……」
察するに、この神父はテミスを相当溺愛していると見えた。
場合によっては荒事になることを考慮し、ベローナは彼と司教たちの間からさりげなく距離を取る。
ただ、戦闘が発生したとしても小規模なものになるだろうと、軍用モデルとしての頭脳が冷静に観察していた。
ヘクス原体を奪ったとされるヴィンセントだが、その体には通常のヘクスしか装着されていない。
生体情報をスキャンしても、彼が常人以上の戦闘能力を有している可能性は低いように見えた。
スペンサーのように自分の体に埋め込んで利用しているわけではなさそうだ。
ベローナが事を冷めた目で見守っていると、ヴィンセントがゆらりと立ち上がる。
司教の誰かが息を飲むのがわかり、場の空気が冷たいものへと変わった。
だが――。
「いいなの。パパ」
テミスがヴィンセントの神父服をぎゅっと掴んでいた。
「え……?」
困惑し、気勢を削がれたヴィンセントは体を硬直させてテミスを見下ろす。
「今、パパがテミスのために怒ってくれたなの。それだけで、テミスは胸があったかくなったなの。だからテミスは、もうパパに怒ってほしくないなの……」
「テミス……? 何を言ってるんだい? 」
顔を上げたテミスは、ヴィンセントを見据えた。
なにかを決意したかのような表情で、ゆっくりと言葉を口にする。
「テミスがクレイドルに行けば、みんな幸せになるなら、テミスは行くなの。それが神様のお導きかもしれないなの」
「ああ……テミス、お前は……」
「ずっと離れ離れになるわけじゃないなの。なのなの? 司教様?」
愛おしそうに髪を撫でられながら、テミスは司教たちに向けてよく通る声をかけた。
すると、大司教は静かに肩を上下させて、妥当だというふうに頷く。
「もちろん、いずれ神父の元に帰れるよう計らいます」
「ね! なの! パパ!」
その答えに満足したように、テミスはヴィンセントに笑顔を近づけた。
似ている。
ベローナはテミスというオートマトンに、今はクレイドルで全体の警備を任せているピンク色の髪の同僚を思い浮かべた。
ヴィンセントはその顔が決め手となったのか、テミスを包み込むように抱きしめる。
比較的大きめの神父服の背中が、ため息と共に小さくなったように見えた。
人間とオートマトンという種族を超えた家族愛。クレイドルでの日常を過ごしてきたベローナにとって、それは肯定すべき在り方だろう。
――だが、そんなことは今、ベローナには関係がない。
「お盛り上がりになられているところ申し訳ございませんわー! 別にこちらにその子が来たところで、なんのメリットもないのはおわかりですの?」
しんみりとした空気をあえて無視するように、ベローナは話を交渉の段階へ戻す。
クレイドルにとって、このテミスというオートマトンは今のところ価値がない。
これがヴィンセント神父自身や、教徒たちにとっての偶像的存在であればメリットはあっただろう。
おそらく上位モデルとはいえ、教会のオートマトンを譲ると言われても、クレイドル内でうろつかせるデメリットの方が大きい。
「けれど、人質にはなりましょう。いかがですか?」
「今の茶番が人質としての保証になると仰りたいのですの? こちらはその子を持って帰って、さっそくスペアパーツとして分解して差し上げてもよろしいのですわよ?」
首を捻じって上目遣いに威圧すると、大司教は落ち着き払った態度で言葉を返してきた。
「そんなことはしないのでしょう。少なくとも、あなたならば」
大司教の言葉は、他者の善性につけこんだものだ。
それは本来、道義を持つ人間相手にのみ有効な交渉手段だろう。
だが、今のベローナには多少なりとも効果のある手段でもあった。
この大司教は相手を理解する能力に長けている。
真にオートマトンという存在を人間として認めるわけはないだろうが、少なくともこの場ではベローナの自我を否定していない。
「人形風情と蔑みつつ、情に訴えかけるのですわね。随分ご立派な信念をお持ちのようですわ」
皮肉を言うと、この掛け合いを楽しんでいるかのように、初めて大司教の口元が緩んだように見えた。
「300年を冷たい棺の中で持ち越したこの老体……なれどいまだこの脳は変化に耐えうることができると、そう理解してもらえれば嬉しく思います」
「……いいですわ。多少頭が柔らかいところを信用することの、担保としてその子を連れて帰りますわ。もちろん、彼女もわたくしたちにとっては同胞。どこかの祈るだけの神父様だけとは違い、手足を切り下ろすようなことは致しません」
司教たちにそう宣言すると、彼らは言葉を返すことなく、無言で目を伏せる。
彼らは知っているのだろう。いや、事実であることが再び確認できたとも言える。
300年前、エレンという少年に行った倫理より外れたおぞましい蛮行のことを。
「ヴィンセント神父様?」
「ひあっ……!?」
声をかけると、ヴィンセントの体がビクっと跳ねた。
見れば、彼はテミスの手を握りながらも顔を青くしている。
どうやら罪悪感という感情は持ち合わせているようで、ベローナは心の内の燃え上がる怒りを抑えることができた。
「ご自分の罪は濯ぎ終わりましたの? お人形遊びにご熱心のようでしたけれども」
「な、なんのことか……」
そう言いつつも彼の額には大粒の汗が浮かんでいるのが見える。
まさか、300年前の自分の行いをベローナが知っているとは思っても見なかったのだろう。
先ほどとは逆に、彼は自分よりも数段小さいテミスへと縋るように後退った。
「でしたら今のうちに懺悔……懺悔とかするんですの? このお方は? まぁいいですわ。くれぐれも天罰とやらに当たらぬよう、お体にお気をつけて」
彼らの宗教に、天罰だの地獄行きだのという概念はあるのだろうか。
だとすれば、このクレイドルプロジェクトが始まった時点で、そこに参加した全員が罪を背負うことになるだろう。
1人の少年を犠牲にした罪。
知らされていなかったこととはいえ、その犠牲の上に立つ幸せを生活を享受していた罪。
そして、その犠牲も目的すらも忘れ、己が存在を維持し続けるために事実を隠し続けた罪。
彼らがいずれ天罰を受けるなどという都合の良い未来などには期待していない。
しかし、それが一粒の種のような罪悪感であっても、いずれは心を侵食し、活力を吸い取る病根となりえる。
それが芽吹いたとき、彼らがどうなるのかだけには興味があった。
自分の主人の中にも同様のものが巣食っているがために、彼女の心を崩壊させないためにできることも見えるかもしれない。
ベローナは目には見えない病に侵されたヴィンセントからテミスを受け取り、ゆっくりと礼拝堂を後にするのだった。
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