04.【前駆③】
「は……?」
スペンサーは自分の耳を疑った。それは、人と機械がぶつかったときにしていい音ではなかった。
リーパーが部屋の真ん中で停止している。踏み出した足を地面に降ろすことができず半身を浮かせ、不自然な姿勢で硬直していた。
各部からは火花が上がり、モーターの焼け焦げる匂いが漂ってくる。バッテリー周辺から漏れていたわずかな高周波の音が、給電の停止と共に静まった。
ガキン、という重い音がして、ゆっくりとリーパーがくずおれる。
そこには――女が悠然と佇んでいた。
潰されるはずだった彼女の手にあるのは、リーパーの腕だ。二の腕のあたりが潰れ、荷重に耐えられなかった肩関節がへし折れている。
「壊れちゃった。持って帰れば便利だったかな」
そんなことをのたまい、リーパーの腕を軽々と投げ捨てる。
金属製の腕が重い音を立てて床へめり込む光景に、誰もが言葉を失った。
(り、リーパーの突進を止めたのか? 片手で? 生身でか……? ありえない。やっぱりヘクスを装備して……いや、だとしてもそんな力……)
スペンサーは自分でも知らぬうち、思考に耽っていた。震える指をこめかみに当て、女を見る。だが、やはりヘクスは検知されない。人間が機械以上のパワーを出すには、ヘクスによる身体強化が必要なはずだ。
スペンサーは必死になって理由を欲していた。知っている理に反する事象を目の当たりにして、どうにか自分を納得させる要因を探していたのだ。
(それともこの女、人間じゃないのか……!? オートマトンが人間のフリをしている……? だが、そんな行動や言動は
そこまで考えて、スペンサーはスキャンモードを切り替えた。
たとえヘクスを検知していなくとも、周囲の多次元経路や熱量の痕跡で、おおよその出力は調べられる。
そして、その結果を目の当たりにしたスペンサーは――絶叫した。
「きゅ、9999キロヘクスだと!?」
よろめいたスペンサーは近くの壁に背中をぶつける。アドニシアを指差して、化け物を見るように叫んだ。
「ふざっ……ふざけるな……! 軍用パワーローダーですら3000キロヘクスが限界だぞ! そんなわけがない!」
現に、今はもうガラクタと化してしまったリーパーをスキャンしてみれば、内蔵しているバッテリーを検知して1550キロヘクスを示している。
この女は人間ではない。それは確実だ。だがそれ以上に、オートマトンの領域をはるかに超えた――もはや大型戦術兵器レベルの出力を、あの細い体の中に秘めている。
「なに一人でわめいてるの?」
「ひぃっ……!」
ゆっくりと首を傾げたアドニシアに、スペンサーは悲鳴を上げる。
もはやスペンサーにとって、目の前の
それが、近づいてくる。
「来るなっ……! こっちに来るなあああああ!」
ヒステリックに叫んで、スペンサーは最大出力でシールドを展開した。
肉眼で視認できるほど強烈な電磁シールドは、生身で触れれば火傷は免れない。だが、女は躊躇なくそれに触れる。
その瞬間、シールドがバチッと指を弾くが、怯まない。
シールドそのものを鷲掴みするように指を突っ込んで、まるでビニールの薄膜でも破るように一気に振り払う。
「えいっ」
「ああぁぁぁぁ……!」
激しい閃光と音。
シールドがオーバーロードを起こして消失した。
そして、スペンサーのヘクス原体の埋め込まれた腕が掴まれる。
「い、痛い! 痛い痛い痛い痛あああぁぁぁぁぁ!」
「大袈裟だな。そんな力いれてないよ」
スペンサーはあまりの激痛に叫ぶ。脳を焼くような電気信号に、体の穴という穴から体液が滲み出るのがわかった。
大袈裟なわけがない。
アドニシアの細い指が容赦なく腕に食い込み、今もその骨をゴリゴリと粉砕しているのだ。
「あ、あるじ! やめっ……! やめるんだぞ!」
少女型のオートマトンが、慌てて女にすがりつく。
「なにが?」
「そ、その男のヘクス原体を取るだけだって約束したぞ! さっさと取って、はやく帰ろう! 子供たちが待ってるぞ!」
「ああ……そっか。そうだね。うん」
ニコっと女は笑う。すると、腕を掴む力が緩んだ。
痛みから解放される。そう思ったスペンサーは心の中で安堵した。
だが――。
ベリッとテープを破るような音が聞こえて、スペンサーは尻もちをつく。
「あっ……?」
解放された安堵感よりも、強烈な違和感がスペンサーを襲った。
体のバランスがおかしい。なぜ左側に傾いでしまうのだろう。それに、今まで体に巡っていた活気のようなものが、急速に失われていく感覚がある。
恐る恐る、スペンサーは自分の腕に視線を向ける。ある種の希望だ。そうではないと信じたくて、けれど本当はわかっていることを確かめる行為。
――そこに右腕はなかった。
「ああっ……あひゃああああああ!? 僕の腕ええぇぇぇぇ!?」
上腕が乱暴に千切られていた。噴水のように血が噴き出し、砕かれた骨が肉に埋まり、引き千切られた腱がぷらんと垂れ下がっている。
「あ、あるじぃぃぃ!」
「うん。今取るからちょっと待ってね」
女は我儘を言う子供をたしなめるように言って、もぎとった腕に手を当てた。すると、淡い光が放たれ、六角形の結晶がポロリと落ちた。
「よし。ヘクス原体げっとげっと」
だらんと力の抜けた腕を左右に振って、女は満足そうに喜ぶ。
スペンサーは痛みも忘れて、その笑顔に恐怖していた。
――この女は悪魔だ。
そこにいた誰もがそう思っただろう。
スペンサーはヘクス原体さえあれば自分は誰も負けないと、誰よりも上に立てると思っていた。いや、そう思うようにしていただけだ。実際にはもっと力のある人間から目を逸らして、自分より弱いものを周囲に集めていただけだ。
だから、悪魔に狙われれば自分のような矮小な存在はひとたまりもない。
スペンサーは腕から出ていく血の量を見ながら、自分の死を予感していた。
(そうだ。幼少の時から
霞み始めた視界の中で、女の顔と思しきものが近づいてくる。
そして、他の誰にも聞こえないほどの小さな声で、囁かれた。
「――ありがとう。僕のヘクス、返してくれて」
「ひぃっ!? おま、お前……はっ……!? やっ……ぱり……」
その声は――女性のものではなかった。聞き間違えるはずがない。それは、今はもうこの世にはいないはずの存在の声だったのだから。
「これ、置いとくね?」
女は微笑む。女性らしい柔らかな声で、そっと傍らに腕を置いた。
それを見て、スペンサーは思う。
(悪魔を呼んだのは、僕自身だったのかもしれないな……)
だが同時に、なにを今更自分は開き直っているんだろう、という思考も浮かび上がってきて、それが滑稽だった。
「は、はは……はははは……」
部屋に、スペンサーの乾いた笑い声が響く。
「ふふ、ふふふふふ……」
すると、もう一つの笑いがそれに乗じた。
悪魔が笑っている。それもこの惨状に愉悦を感じたような邪悪なものではない。もっと純粋な――たとえば、大人たちが楽しそうにしているところを見て、子供が理由もわからず笑顔を共にするような、そんな無邪気な笑いだ。
彼女はスペンサーと一緒に笑ってくれているのだ。善意も悪意もない。透き通るように無垢な、感情の共感によって。
気がつけば、笑い声は止んでいた。
スペンサーから流れる血も暖かさを失っている。
その血と同じ色をした髪を揺らして、悪魔が立ち去っていく姿を見ながら、スペンサーの思考は永遠に停止した。
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