「――ケッタンって、なんですか?」


 *


 クッキーに合わせて出された紅茶は、木目の食卓には不釣り合いだった。

 フウマさんは、隣り合って座るわたしたちの向かい側に腰をおろすと、

「兄は、昔から目立ちたがりな性格でした」

 ゆっくりと話し始める。

「ルックスもそれなりによかったので、ちいさい頃から女の子によくモテて。周りがヒーローものに熱中している時期から、テレビや雑誌を見て、『オレもモデルになるんだ』って意気込んでるような、マセガキでした」

 彼は昔を思い出したのか、困ったように苦笑した。

 それから、

「まぁ、笑われたりもしてましたけどね。あの頃はまだみんな無知でしたし、モデルは女の子がやるもんだ、って思い込んでるやつもいましたから。――こいつみたいに」

 と言って、食卓の上に置かれた写真立てに目をやる。

 その中では、つい先日知り合ったばかりの少年が、満面の笑みをたたえていた。

「末の弟です。大地っていいます」

 どこか切なく愛おしげに写真を見つめるフウマさんに、ぎゅっと胸がしめつけられる。

 いけない。動揺している場合じゃない。真相に近づいているかもしれないのに。

 わたしは気を取り直して、フウマさんの話に耳を傾ける。

「僕たちきょうだいは北海道で生まれて、大地が保育園に、僕が小学校に上がるタイミングで、父の仕事の都合で東京に引っ越したんです。けど、都会に憧れていた兄は不満げでした。もっと華やかな生活をイメージしてたのに、引っ越した先が、母方の祖父母が遺した和風のボロ家だったから。こんなんだったら、転校までしてこっちに来たくなかったって」

 フウマさんは「ほんとオレ様ですよねー」と兄を恥じるように頬をひっかいた後、とたんに表情を曇らせてこう言った。

「……でも、もしこの家に来なければ、大地は死なずに済んだかもしれません」

 そして、わたしがダイチくんから聞いた話を、より具体的に、分かりやすく説明してくれた。

 東京へ越してきたばかりの頃、きょうだい揃って『ケッタン』にハマり、毎日のように遊んでいたこと。

 あるとき、たまたまダイチくんの保育園が短縮日で、帰宅するまでずいぶんと待たせてしまったこと。

 自分たちを待ちわびていたダイチくんが、二階の窓から身を乗り出し、誤って転落してしまったこと……

「もう十二年も前の話です。一軒家ですから、アパートの上階に比べれば高さもなかったと思うんですけど、打ち所が悪かったのか……」

 フウマさんはそこで、言葉を詰まらせる。

 思った通り、ダイチくんの死からはかなりの年月が経過していたようだ。

「人ってこんなに簡単に死んじゃうんだって、ものすごく怖かったのを覚えています」

 フウマさんのその一言を聞いたとたん、一瞬、彩の表情に影が差した気がした。

 場にいる全員が、俯き加減になる。

 食卓の真ん中に置かれたクッキーも、ひとりひとりの前にある紅茶も、ちっとも減っていない。

「あ、あのっ、えっと……」

 重苦しい空気の中、わたしは勇気を振り絞って沈黙を破った。

 無神経だと思われるかもしれないが、このチャンスを逃す手はないだろう。

「――ケッタンって、なんですか?」

 尋ねると、

「……あぁ、そっか。これ、方言ですもんね」

 フウマさんは、たった今気づいたように呟いて、続けた。

「北海道だと、鬼ごっこのとき、『つかまえた』の代わりに、『えった』とか『けったん』って言ったりするんですよ。うちでは、鬼ごっこ自体をそう呼んでて。大地のやつ、ちょっと得意なことと苦手なことの差が激しいところがあったんです。空間認識には優れてるけど、言葉の理解に乏しかったり、言い間違いや勘違いが多い、みたいな。舌っ足らずだからこっちのほうが言いやすかったらしくて。もうすっかり癖になっちゃってました。なんか、恥ずかしいなぁ」

 ケッタン。

 謎の単語の正体が、そんな身近な遊びだったとは。

 なんだか、拍子抜けしてしまった。

「ちなみに、地域によっては個別に『けったん』っていう名前の鬼ごっこもあるみたいなんですけど、僕らにはよく分からないです。同じ北海道といえど、広いので」

 そう言って照れ笑いした後、フウマさんは当時を懐かしむように遠い目をした。

「大地が亡くなってから、兄はますますモデルの夢にのめり込みました。高校のときに応募したコンテストでグランプリを獲って、本名の頭文字を片仮名にした『カイ』っていう芸名で活動してます」

 なるほど。ダイチくんとの会話からヒントを得ただけの、彩の強引な「カイさん」呼びにすんなり対応したのも、そのためだったらしい。

「少しずつ仕事が入るようになって、やっと軌道に乗ってきたと思ったら、高校卒業と同時に『もっと広い世界を見るんだ』なんて言って、ひとりでパリに飛んじゃうし」

 まるで、ドラマみたいな人生だ。

「ついていけませんよ。もう。僕なんて、大学で教員免許取るだけで必死なのに」

 フウマさんは呆れたように笑うけれど、その瞳には、たしかな尊敬と優しさがあった。

「ワガママで無鉄砲なところもあるけど、兄がいてくれて本当によかったと思っています。面と向かって大地の話をするわけじゃありませんが、同じ恐怖を味わった存在がいることはせめてものなぐさめでしたし、弟の死に屈せず夢に突き進む姿は、僕の心の支えでもありました。じゃなきゃ、もっと塞ぎ込んでいたでしょうね。兄みたいに大きな野望はないけど、それでも自分なりに目標を持ってここまでやってこられたのは、彼のおかげかなと」

 そう話すフウマさんは、とても穏やかで、すっきりした顔をしていた。

 大丈夫だ。彼らは喪失を乗り越えて、ちゃんと前へ進んでいる。

 謎が解けた爽快感と、家族のあたたかみを噛みしめていると、

「今夜――」

 家の中に上がってから今まで、一言も発していなかった彩が、おもむろに口を開いた。

「いえ、明日の朝かもしれません。ずいぶんと不思議なことが起こるかと思いますが、どうか驚かずに、受け入れてあげてください。夢や幻では、ありませんから」

 突然、それこそ不思議なことを言い出した目の前の少女に、

「はっ? はぁ……」

 フウマさんは、さっぱりわけが分からないといった様子で小首をかしげていた。

 だから、ちょっと強引ですって。彩さん。


 玄関前で会釈して、フウマさんに別れを告げる。

「つかれた……」

 折原家の敷地を出るなり、彩はため息交じりにこぼして、昼下がりの風に、心地よさそうに目を閉じた。

「やっぱ敬語って苦手だな。あんなかしこまったの、僕のキャラじゃない……」

 最初は慣れているのかと思ったけれど、家の中にお邪魔したとたん、口数が激減したところからすると、彼女なりに気を張っていたのだろう。

 案外けなげな一面もあるんだな、と微笑ましく思っていたら、

「何笑ってんの?」

 恨みのこもった鋭い一瞥いちべつを投げられた。

「そうそう。彩、家の中に入る前、魔法使ってなかった?」

 お疲れの彼女の機嫌をこれ以上損ねないよう、さらりと話題を転換する。

 すると、「バレてたか……」とちょっぴり悔しそうな一言が返ってきた。

「ああいう、マインドコントロールみたいな使い方はできる限りしたくないんだけど、あのままいくと、不審者扱いされそうだったからさ」

 彩は苦い顔で言う。

「でも、沙那のクッキーがあって助かったよ。おかげで、ちょっと相手の気分を変えるだけで済んだから。あれがなかったら、もっと洗脳に近いことをしなきゃいけなかったかもしれない」

 おおぅ、洗脳……

 わたしはそんな恐ろしいものを回避したのか。

 よくやった。えらいぞ、わたし。

 自分の気まぐれをしみじみと褒めたたえている最中、

「そういえば」

 ふと、あることを思い出す。

「よかったの? あんな嘘までついちゃって」

 言うと、彩は「あんな嘘」を探すように、一瞬きょとんとしたが、

「あぁ、あれ……」

 すぐさま理解したようで、なぜだかげんなりした声を出す。

「実はまんざら嘘でもないんだ。カイさんのことは知らないし、他にもいろいろ賭けだったけど」

 まんざら嘘でもない。まんざら、嘘でも、ない?

 何度も噛み砕くうち、遠回しなその言葉が、圧倒的な存在感を持って迫ってくる。

 ということは、つまり、それって……

「えっ? えぇっ――――!? ねぇ、ねぇ! そういうことだよねっ! 詳しく聞かせ――」

「はいストップ。叫ばない何も訊かない質問禁止っ!」

 驚きのあまり、うるさく騒ぎ立てるわたしを、彩は口早に一刀両断した。

「え~、そんなこと言わないでさぁ、教えてよぉ」

「黒歴史だからっ!」

 憤慨したように言う横顔は、たしかに可憐で端正だ。

 彼女の持つ独特なオーラは、選ばれし者だけが行ける特別な世界でつちかわれ、磨かれたものなのかもしれない。

「言うんじゃなかった……」

 後悔の滲んだ呟きを最後に、どんなに粘っても、仏頂面で無言を貫かれるばかりだった。

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