「僕らの役目は終わったんだよ」


 *


 しばらくすると、白い光は消え去り、ふたりの姿も跡形もなくなっていた。

 布団の上には、安らかに眠るシズヲさんの抜け殻。

 そしてその周りには、「ありがとう」と伝えるように、小さな光玉が四つ、浮遊している。

「いっちゃったね……」

 人差し指で目尻を拭いながら言ったわたしに、

「うん」

 彩はうなずいて、首にかけた小瓶を取り出し、栓を抜いた。久しぶりの登場だ。

「今回、数多くない?」

「そうだね。ふたりいたとはいえ、四つも残していく亡者は初めてだよ。ふたつでさえ稀なのに」

 言いながら、彼女はやはり小慣れた手つきで光玉を回収していった。

 いつか聞いたのと同じく、ぽちゃん、ぽちゃんとかわいらしい音を立てながらすべての光玉が瓶の中へ沈み込んだ後、眩い光を放つ。

 しかし、前回と同様だったのはここまで。光が消えると、桜色だったはずの液体は、ラメを入れたようにきらきらとした純白に変わっていた。水量も瓶いっぱいに増えている。

 その変化に気づいたとたん、彩が小さく息を呑んだ――気がした。

「ねぇ、沙那」

「うん?」

「来週は、女子会しようか」

「女子会……?」

 小瓶の栓を閉め、胸にしまいながら彼女が口にしたまさかの単語を、一旦噛み砕いてから、思わず噴き出してしまう。

「どうしたの急に。彩、そういうの嫌いなタイプかと思ってたのに」

 笑いながら言ってから、あることに気がついた。

「でも、まだ一ヶ月経ってないよ?」

 今となっては忘れかけていたけれど、この関係は、彼女の仕事を一ヶ月間手伝うという約束で始まったのだ。

 だけど、

「ううん。もう、いいんだ」

 彩は優しく首を横に振る。――沙那にだって、じっくり考える時間が必要でしょ? と。

「そう……」

 なんだかしんみりしてしまったのが嫌で「女子会って、うちに泊まるの?」と話題を戻す。

「うん。勝手にそのつもりだったけど、ダメかな?」

「うーんとね、大丈夫だと思う」

 次の土日、ママはたしか夜勤だった。いつもと違って金曜は無理だけど、土曜の夕方に来て、翌日の朝――ママが帰ってくる前にふたりでどこかへ出かけてしまえば、鉢合わせる心配もないだろう。

 そういえばママ、今日は日勤だったっけ? 今頃とっくに帰って寝て――

 余計なことを考えてしまい、あわてて振り払おうとしたとき、借りたハンカチを握りっぱなしだったことを思い出す。

「あっ、ハンカチありがと。今度洗って返すね」

「そんな、いいよ。気にしないで」

 彩はそう言ってそのままハンカチを受け取り、ボトムスのポケットに突っ込んだ。

 そうさっぱりされてしまっては、食い下がるに食い下がれない。

「『自分が泣いちゃダメだ』って思ってた?」

「えっ? あ、あぁ、うん。まぁ……」

 突然図星を指されておろおろするわたしに、彼女はふっと和やかな含み笑いを漏らす。

「大丈夫。沙那は正常だよ」

「へっ?」

「涙もろさをアピールしたかったわけでも、人目を引きたかったわけでもないんだから、あの涙は本物だってこと。何も感じない僕が異常なだけ。慣れちゃいけないものに慣れちゃったんだ」

 僕が異常なだけ。

 自身を卑下した物言いに、どう反応すべきか計りかねていると、彼女は「よしっ」と気を取り直すように言って、軽く指を鳴らした。

「今、この部屋に『注意の魔法』をかけたから、じきに人が来る。あのふたりに似た気配がするんだ。きっと、娘さんが一緒に住んでるんじゃないかな。面倒なことになる前に、早く帰ろう」

「そうだね」

 返答して、念のために一度フードを深く引き下げてから、足早に部屋を出る。

 玄関へ向かう途中、彩の予言通り、あの和室のほうに走っていく娘さんらしき髪の長い女性とすれ違った。

 その後ろ姿に、これから彼女が直面する現実を考えると、ぎゅーっと胸が押し潰されるような感覚に陥る。

 そんなわたしを救ってくれたのは、彩の手のぬくもりだった。

「行こう。僕らの役目は終わったんだよ」

 そうだ。わたしたちにできることは、すべてやった。これ以上干渉するのは、単なるお節介だ。

 誰にだって、自分の力で乗り越えなければならないときがある。人はそうやって、強くなっていくのだろう。

 そう思った矢先、「お母さん!?」と悲鳴に近い呼び声が聞こえてきて、やっぱり苦しくなった。


 民家を出たとき、時刻はすでに十時過ぎだった。風は一層冷たさを増し、辺りは深い闇に覆われてしんと静まり返っている。

 この二日間で二往復もしたおかげで、徒歩だと片道一時間程度かかることが分かった。帰ったら、十一時を回るのは確実だろう。

 さして重要でもないことに思考を巡らせながら歩くわたしの隣で、

「僕たちが来てからシズヲさんが息を引き取るまで、かなり時間があった。すぐに月魔女に引き渡して適切な処置をすれば、まだ生きられたかもしれない」

 彩が独り言のように呟いた。

「でも、彼女はそれを望まなかっただろうね」

「うん。わたしもそう思う」

 星が瞬く濃紺の夜空を見上げながら、彩に同意する。

 きっと、ああして一緒に旅立つのが、ふたりにとっての最善だった。

 悲しい未来に心を痛めてばかりいないで、まずはそれができたことを誇るべきなのかもしれない。

「私の愛は増すばかり」

「えっ?」

 唐突な彩の呟きに、きょとんと訊き返す。

「南天の花言葉だよ」

「……そっか」

 なんだか、あのふたりにぴったりだ。

 人は死んだら星になる、などとよく言うけれど、本当のところはどうなのだろう。自分が実際に死んでみないと分からないし、死んでしまったらその事実を誰にも伝えられない。

 だから、この謎に限っては、これからどれだけ技術が発展しても解明されないんじゃないか、なんて考えたりする。

「――にしても、タカシさん、喘息だったとはね。辛かったと思う」

 彩のうれいを帯びた声と言葉に、わたしは横目でちらりと彼女の顔を見やった。

 どうしたのだろう。

 さっきの女子会の提案といい、自虐的な発言といい、今日の彼女はなんだか変だ。らしくない。

 拭えない違和感を覚えながらも、彼女が纏う影に、むやみやたらに詮索することはできなくて。

 するとそのとき、頬のあたりにふと冷たさを感じた。

 怪訝に思って見上げると、突然暗雲が垂れ込めて夜空を覆い隠し、ぱらぱらと粒を落とし始める。

「おっ? なんか、いきなりきたね」

「うわ~、嫌いなんだよね。雨」

 心底嫌そうに言って、両手でフードを押さえた彩。

 そんな彼女に並んで、みるみる雨脚が強まる中、わたしも小走りで帰路を急いだ。


 *


 軽く息を切らしながらわたげ荘に戻ってダイニングを覗くと、めずらしく兄たちが揃って出迎えてくれた。

「おかえり。久しぶりに遅かったね。うまくいった?」

「うん。まぁなんとか無事に」

 呼吸を整えながらハル兄の問いかけに答えつつ、彼の口調が案外穏やかだったことに心の隅でほっと安堵する。

 壁の時計が指すのは十一時半過ぎ。

 日曜なんだからもっと早く帰ってきなさいっ! とかなんとか叱られるかと思ったが、杞憂だったようだ。

 今日は朝から忙しく駆け回っていたことを知っているし、約束を破った罰とはいえ、面倒な案件を押し付けた手前、あまり強く言えないのかもしれない。

「それはよかった。体、冷えたでしょ? 昨日に引き続き、そんなに毎回濡れたままだと風邪引くよ? もう時間も時間だし、まずはお風呂入っておいで。夕飯、温め直しておくから」

 基本的に、任務の前は高校から出た課題を終わらせて仮眠を取るだけと決めている。

 直前に体が温まったり、満腹になったりすると、いつまでも眠気が取れず動きたくなくなってしまうのだ。

 かといって任務後がいいかといえば、前回の案件のように気力と体力を使い果たしてヘロヘロになることもままあるのだけれど。

 今日も本当は入浴も夕食もパスして今すぐに眠りたいところだったが、せっかく穏便に済みそうだし、ここはおとなしく従っておこう。

「分かった」

 了解して、着替えを取りに行くため、自室へ向かおうとしたとき、

「あっ、そうだ」

 次週のことについてまだ許可を取っていなかったと思い出し、立ち止まって振り返る。

「あのさ、次の土日、任務休んでいい? 案件も一段落したし、友だちの家に泊まりに行ってくるから」

「ふぁ!?」

 僕の発言に、ダイニングテーブル前の椅子に陣取っていたショウ兄が、素っ頓狂な声を上げた。

「おい、お前どうし――」

「将悟」

 さらに言葉を続けようとした彼に対し、ハル兄はじっとりと睨みの利いた視線を投げる。それ以上言ったら怒るよ、というように。

 これには、ショウ兄も気まずそうに口をつぐんだ。

 でも、驚くのも無理ないだろう。

 水が苦手なくせに川に入って濡れて帰ってきたり、亡者のために他の魔女と交渉したり。

 ましてや、好んで他人の家に宿泊するなんて、ちょっと前の僕ならありえなかった。

 最近の僕は僕らしくないと、自分でもそう思う。

 ショウ兄が黙ったのを確認してから、ハル兄は打って変わってにこりと微笑んだ。

「しょうがないなぁ。この頃頑張ってるみたいだし、ご褒美ね」

「ありがと」

 短く礼を言い、「なんだよ。素直すぎて気持ちわりい」というショウ兄の一言を背中で聞き流して廊下へ出ると、二階へ向かう。

 辺りが静かなせいか、自分の足音と、時折階段が軋む音が、やけに大きく響いて感じた、

 てっぺんまでのぼって二階にたどり着くと、自室まで待ちきれず、胸の内側から慎重に小瓶を取り出す。

 片手に収まる瓶の中は、宝石のように輝く白い液体で満たされていて。

 その事実をあらためて認識した瞬間、手が小刻みに震えだしたから、たまらず瓶を胸の前でぎゅっと握りしめた。

 間違いない。

 ついに完成した。完成してしまった。

 これを使えば僕は――あの子になれる。

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