🌕最終夜 僕と私の後悔

翳り


 次の土曜の夕方、わたしは約束通り、彩を自宅に招待した。もちろん、ちゃんと事前に打ち合わせて、ママが仕事に出かけてから。

「いらっしゃい。彩」

 エプロン姿で出迎えたわたしに、彼女はちょっぴり照れくさそうに「おじゃまします」と頭を下げた。

 いつも出入りはしているけれど、きちんと玄関から出迎えるのはこれが初めてなので、気恥ずかしいのかも。

 ふたりでの初任務のときと同じ、白黒の迷彩パーカーにジーンズという格好で、深緑のボストンバッグを肩にかけている。

「ねぇねぇ、パンケーキ作ろっ!」

 そんな彼女の手を取り、さっそくダイニングへと引っ張っていく。

「パンケーキ? 今から? ちょっ、その前に荷物、部屋に置いてこないと」

「そんなの後でいいから。夕飯のデザート! 早めに作って冷やしておくのっ!」

 いつになく張り切るわたしに戸惑いながら、彩はやむを得ずといった様子でバッグを出入り口付近に置いた。

 彼女が手を洗ったら、ダイニングテーブルの上に、電気式ホットプレート、昨日の学校帰りに買っておいたホットケーキミックスに、フルーツやホイップクリームなどを用意。

 ボウルにホットケーキミックスと卵、それと、よく膨らむよう、牛乳の代わりに炭酸水を入れて混ぜ合わせ、ホットプレートに丸く流し込む。

 両面二,三分ずつ焼いてカラメル色の生地ができたら、皿に盛り、フルーツやホイップで飾りつけていく。

 変わり種にグミなんかも使ったりして、おしゃれに二段重ねにすれば、さながらカフェのパンケーキだ。

 ふたりぶん作って冷蔵庫へ入れた後は、付属のたこ焼きプレートで、少し早めの夕飯にする。

「沙那、前もクッキー焼いてたよね。お菓子作るの、好きなんだ?」

 じゅわじゅわと食欲をそそる音が響く中、彩が竹串で器用にたこ焼きをひっくり返しながら口を開いた。

「うん。ほんとは、高校卒業したら本格的に学びたいくらいなんだけどね……」

 言葉を濁すと、「お母さん?」と尋ねられ、小さくうなずく。

「言ってみたの?」

「言ってみたことは、ない、んだけど……」

 キッチンに立つことすら許してくれないママが、すんなりOKしてくれるとはとても思えない。

 何より、自分の好きなことを真っ向から否定されるのが怖かった。

「そう……」

 答えた口調はあっさりしていたけれど、彩はわたしと違って強い人だから、心のどこかで「意気地なし」と思われているんじゃないだろうか。

 そんなことあるはずがないのに、一度考えてしまったらなんだか気まずくて、目を泳がせていると、あることに気がついた。

 彼女の首もとが煌めいていない。つまり――

「今日はあの小瓶、持ってきてないのね」

 わたしの言葉に、彼女も「あっ、うん」と自分の首もとに視線を落とした。

「任務じゃないから置いてきた」

 何気ない一言に、ふっとむなしさを覚える。

 彼女との不思議な関係が始まって、約一ヶ月。

 身勝手で孤独な願いを叶えるためとはいえ、この経験を通して少しでも自分を変えられたら、なんて意気込んでいたところもあったのに、結局わたしは何も変わっていない気がする。

 今日、火を使わずに済むメニューばかりにしたのだって、先日の親子喧嘩が頭の片隅に残っていたからだし。

 そんなことを考えて、また落ち込んだ。


 夜は、わたしの布団とお客様用布団を並べて、背中合わせに寝そべった。

 いつもはひとりきりの部屋。だけど今日は、すぐそばに誰かの気配。

 どうにも落ち着かなくて掛布団を顔のあたりまで引き上げようとしたら、自分の右手小指が目に入った。

 爪を彩る彼岸花は、もうほとんど消えかかっている。

「そういえばさ」

 背後を振り返って呼びかけると、黒地に白いラインの入ったジャージ姿の彩が、「んー?」と同じようにこちらを振り向いた。

 ピンクのふわもこ系を着ているわたしとは違って、相変わらず寝間着もボーイッシュだ。

「小指の彼岸花、日に日に薄くなってるんだけど、なんで?」

 尋ねたわたしに、

「あぁ、それ」

 彼女は、短く返して再び背中を見せ、

「一ヶ月、だから」

 ぽつりと、言った。

「その彼岸花が消えたら、君は魔女じゃなくなる」

 すぐに、彼女の言葉が示す意味を理解して、わたしも背を向けた。

「そっか……」

 決めなきゃいけないのか。次の満月までに。

「――わたしって、やっぱりワガママなのかな」

 決断の時を実感するとともに、彼女に出会った夜から今日までのことを思い返していたら、そんな一言が口をついた。

 仲良しなきょうだいとの約束を果たせなかった人。

 大好きな彼との未来を叶えられなかった人。

 愛する人を置き去りにしてしまった人。

 大切な存在に会いたくても会えない人がたくさんいる中で、自分の望む愛し方をしてくれないからと拒絶するわたしは、とんだ贅沢者なのかもしれない。

「自分の意志を貫くためのワガママなら、べつにいいんじゃない?」

 彩の返答に、また考える。

 初任務の終わりに言っていたのと、同じこと。

 でも、そんな覚悟、わたしにはきっとない。ただのワガママ。彼女のようには、生きられない。

 だからいつも、眩しく見えるんだ。

 飽きもせず勝手に落胆するわたしに、

「沙那はさ、偽りの誠実と、不誠実な本音、どっちがマシだと思う?」

 彩は突然、脈絡のない質問を投げかける。

「それって、結局一緒なんじゃ?」

 偽りである時点で、それはもう誠実ではない。

 そう主張すると、彼女も「たしかに」と同意する。

「じゃあ、言い方を変えよう。多少自分の気持ちを押し殺して周りから求められる道を行くのと、嫌われる覚悟で自分の信じた道を行くのと、どっちがいい?」

 言われて、まさにわたしと彼女みたいだなと思った。

「うーん、どうだろ……」

 どちらが正解か不正解かという問題ではなく、答えはそれぞれの境遇や価値観によって変わってくるのだろう。

 誰かのために努力することに喜びを感じる人もいれば、自分の掲げた目標を達成することに喜びを感じる人もいる。

 そして、状況次第ではどちらも同じくらい辛いのだ。きっと。

「わたしは完全に前者だから、後者みたいな生き方ができたら、かっこいいなぁって思う」

「僕は前者を尊敬するかな。今まで後者寄りで自己主張抑えられなくて散々失敗してきたし」

 失敗。モデル時代の話だろうか。

「それに、もっと誰かのために生きられたら、違う未来もあったかなって」

 ないものねだりというやつかもしれない。

 自分と周囲の気持ちがうまく合致、あるいは調和が取れればいいのだろうが、どんな物事も、言葉にするほど簡単にはいかないものだ。

「わたしたちって、正反対なようで似た者同士なのかもね」

 わたしの一言に、彼女も、

「そうだね」

 と笑った。


 先に寝ついたのは、彩だった。

 初めて聞く彼女の寝息は、案外穏やかでかわいらしくて。

 こっそり耳をそば立てているうち、緩やかに眠気が訪れる。

 従ってまぶたを閉じたそのとき、ふと、彼女の息遣いに、鼻をすするような音が混じった。

 やがてそれは濡れて震えだし、切なさを帯びる。

 わたしはたまらず目を開けた。

 ――ひょっとして、泣いてる?

 それでも、背後を確認することはできなかった。

「アユ……」

 次第に激しさを増す泣きじゃっくりの隙間からこぼれた、知らない名前。

 以前から感じていた、彼女が時折見せるかげり。

 ねぇ彩。あなたはいったい、何を抱えているの……?

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