「あなたを生きるしかないんだよ」


 *


「そんなこんなで、予定通り、魔法を使って魔女に関する適当な噂を学校中に流した。それにいち早く反応したのが、沙那だったんだ」

 彩の話に耳を傾けるわたしは、自分でも不思議なくらい落ち着いていた。

「正直、あんまりシリアスなお願いだったから驚いたよ。来ても、『大金持ちになりたい!』とか、『好きな子と付き合いたい!』とか、そんなんばっかりだと思ってたのに」

 彼女は呆れたように笑う。わたしだって、百パーセント信じていたわけじゃなかった。言われてみれば、面白半分で遊び道具にされるほうが、自然な気さえする。

「これまでのスピードから考えて、最初の一ヶ月で薬が完成したのも意外だった。沙那と契約した後、懐中時計が他にも数件の反応をキャッチしてたから、沙那との約束を果たしたら、その人たちのところを順に回るつもりだったんだ。長居しすぎて、怪しまれるのを防ぐためにもね。ほんと、タカシさんたちに感謝しないと」

 つまり、カモフラージュになれば相手は誰でもよかったと。

 成り代わりを決意した日から今日までの歯車が、ひとつでも狂っていたら、彩はどうなってしまったんだろう。想像しただけでぞわりとする。

「みんなの期待に応えようとするから、自分がなんなのか、どこを目指せばいいのか分からなくなった。私はあの子のために生きればよかったの。あの子にとって理想であり続けるのは、大変だったかもしれないけど、苦痛じゃなかったはずだから」

 本音を吐露する彼女の声は、徐々に切実さと涙を帯び、女の子らしさを取り戻していく。

「でも、気づいたときにはそれはもうできなかったから、せめて私があの子になって、あの子みたいに身近な人を幸せにしたかった。笑っててほしかった」

 わたしは、ゆっくりと腰をおろして、そんな彼女にさらにすり寄り、

「そっか。寂しかったね……」

 頼りなげなその体を、ふわりと抱きしめた。そうしないと、今にもどこかへ消えてしまいそうで。

「でもね、彩。あなたはあなたを生きていいし、あなたを生きるしかないんだよ」

 触れ合う優しさとは反対に、力強く伝える。

「アユムくんのために生きるのは、彩のままでもできることでしょ? あなたが犠牲になる必要なんてない」

 たしかに彼女は言っていた。もっと誰かのために生きられたら、違う未来もあった、と。

 どんな亡者よりも過去に囚われていたのは、彼女だったのかもしれない。

「幸せになっていいの。アユムくんも彩のママもきっと、それを望んでると思う」

 耳もとと肩口に涙の気配を感じつつ、彼女の背中を撫で「ひとつ、訊いてもいい?」と続ける。

「彩はわたしと会うとき、モデルやってた頃みたいに、苦痛だった? 自分を取り繕ってた?」

 すると、ムキになった子供のように、あわてて首を横に振る彼女。

「なら、万事解決じゃん。わたしも、もうちょっと頑張ってみるからさ、一緒に頑張ろうよ」

 わたしの励ましに、彼女は「もう……」と涙声で切り出した。

「あの子になるのはやめるつもりだった。ほんとはずっと分かってた。私は汚いから。誰かを巻き込んでまでタブーなことしてる時点で、同じになんかなれっこないから。もしも沙那の気持ちが変わってなかったら、一緒にいなくなろうと思ってた。だから、消えたくないって言ってくれたとき、すごくほっとして。私は私を生きたかったんだって、私の人生には沙那が必要なんだって、気づいた」

 ついに嗚咽を漏らし始めた背中を撫で続けながら、またひとつ、彼女の言葉を思い出す。

 ――どうしても譲れない何かがあるなら、それだけは手放さないで大事に持っていればいいと思う。

 それは彼女にとってまさに、「譲れないもの」だったのだろう。間違っていると分かっていてもなお、止まれないほどに。

「贖罪」という言葉の意味、ダイチくんに向けていた優しさの理由、それから、タカシさんを見送った後に感じた愁いに隠されていたもの。今、ようやくそのすべてが分かった気がした。

「もう、頑張らなくていいんだよ。過去が寂しかったぶん、あったかい未来にしよ? ね?」

 彼女は今まで、どれほどの孤独を抱えてきたのか。わたしと過ごすことで、少しでもやわらいでいたのなら、それ以上に嬉しいことはない。

「許して、くれるの? 私、あなたのこと、利用したのに……」

 か細い問いかけに、思わず含み笑いを漏らした。こんなに弱気な彼女を見るのは初めてだ。

「何を許すことがあるの? あの夜、彩に出会ってなかったら、わたしは消えたいままだったよ? わたしだって同じ。わたしにとって、この一ヶ月間は必要だったの。もちろん、あなた自身もね」

 そう言ってそっと体を離し、涙に濡れた彼女の頬を、親指の腹で拭ってあげたとき、

「よく踏みとどまったね。彩」

 やわらかな声とともに、マントを着た茶髪の男性が出窓から入ってくる。

「ったく、手間かけさせんじゃねーよ」

 荒い口調で後に続いたのは、長い黒髪を頭の後ろでひとつに結った男性。

 突然の身内の登場に、呆気に取られた様子の彩だったが、

「ごめんね。うちの妹がお騒がせして」

「いえ、とんでもないです」

 初対面にしては親しげなハルトさんとわたしを見て、何か察したらしく、

「沙那、まさか知ってたの……?」

 と尋ねてきた。

「まぁ、ちょっとだけね」

 お兄さんたちに初めて声をかけられたのは、お泊り会の翌日――買い物を終えて彩と家の前で別れた、直後だった。

 すべてを知っていたわけでも、それによって自分の願いをねじ曲げたわけでもない。彩の背中を見送ったとき、わたしの心はすでに決まっていた。

 お兄さんたちからはただ、彩がいつも首にかけている小瓶で妙なことをしようとしたら、全力で止めてほしいと言われていただけだ。僕らもすぐサポートに入るからと。

 そう説明した上で、

「ごめんって。でも、ちゃんと彩の言葉で聞けてよかったよ」

 と言い加えるが、彼女はまだ不満げだ。

 そんな彼女に対し、お兄さんたちは、

「いつだったか彩が、悪霊のたまごと格闘してヘトヘトになってた日があったでしょ? あのとき、部屋まで運んでベッドに寝かせた拍子に、襟に隠してた小瓶が飛び出したんだ」

「お前が弟の血を持ち歩いてんのは知ってたけど、色がヘンだから、なんかきなくせぇなって。最近やけに行動的だったし。で、書庫にあった黒魔法の書で調べたらそれっぽいのがあったから、しばらく動向を観察してたってわけだ」

「将悟の荒っぽさがなきゃ、気づかなかったかもしれない。今回ばっかりはお手柄だったね」

「ばっかりとはなんだ、ばっかりとは。つーかそれ、褒めてんのか?」

 なんて調子で、さらに詳細を補足した。

 聞けば、魔女の個人用書の最終ページには、最初にそのページを開いてから一晩だけ、持ち主の望みに合わせた黒魔法が記されるのだという。――最後の適性診断として。

 お兄さんたちも、魔女になった当初はずいぶん葛藤したそうだ。

「彩」

 心なしか和んでいた空気は、ハルトさんの重く静かな呼び声で、またピリリと引き締まった。

 一変した雰囲気に、ふて腐れたような態度だった彩も、立ち上がって彼と向かい合い、姿勢を正す。

「たとえ未遂に終わっても、黒魔法は魔女にとっての禁忌だ。それに手を出すことがどういうことか、分かるね?」

 威厳を保った投げかけに、彩もただ、真剣な表情で深くうなずいた。

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