花魔女とリグレット~あなたの未練、解消します~

雨ノ森からもも

彼岸花の魔女


 あんなオカルト話、本気で信じてるわけじゃない。

 なら、どうしてこの手は止まらないのだろうと思いながら、わたしは机に広げた黒い布の中央に、小さく丸めた真っ白な綿を置いた。

 そのまま手荒く包み込んで、余った布を下のほうへ引っ張り出し、輪ゴムで止めれば、誰もが一度は見たことのあるフォルムができあがる。色が黒いから、ちょっと不吉だけれど。

 ――ねぇねぇ知ってる? 満月の夜に、黒いてるてる坊主を作ってお祈りするとね、魔法使いがひとつだけ願いを叶えてくれるんだってぇ。

 今日の昼休み、クラスの女子がそんな馬鹿げた噂できゃっきゃと盛り上がっていた。

 高校生にもなって何を夢見がちなことを、と内心で嗤いながらも、放課後に百均へ寄ってしまったのはきっと、今夜がたまたま満月で、他に縋れるものがなかったからだ。

 こんなもの、ティッシュでも使って適当に作ればいいのに。というか、いったい何をやっているんだろう、わたしは。

 無意味だと分かっているはずなのに、やっぱり手は止まらない。

 今日のわたしは、ちょっとおかしい。

 顔は描かないでおく。ネットの情報が正しければ、正式には、願いが叶った後に感謝を込めて描くものらしい。

 ――願掛けっていうより雨乞いだよね、これ。

 と思いつつ、黒い塊の首の後ろに、セロハンテープでもうひとつ輪ゴムを付ける。

 それをつまんで、開け放った出窓のレールに吊るせば、のっぺらぼうの黒てるてる坊主が、月明かりを受けて不気味に浮かび上がった。

 まだ心にまとわりつく羞恥心や自嘲を振り払って両手を組み、目を閉じる。

 ――もういっそ、オカルトでも魔法でも、なんでもいい。この、窮屈で息苦しい日々から解放してくれるのなら。

 窓から冷たい夜風が吹き抜けて、パジャマの裾を揺らした。

 鼻孔をくすぐる、秋のにおい。

 浅く息を吸ったとき、ふいに、何かがはためく音がした。

「へぇ、まさか本当に呼ばれるなんて思わなかった」

 突如聞こえた声に飛び上がって目を開け、

「えっ……!?」

 また飛び上がる。

 目の前に、見知った顔があったから。

 やんちゃにはねたボーイッシュな黒髪をなびかせ、紫がかった暗色のマントを纏い、透き通るような白いひざを抱えて窓枠に横向きに座り込む、彼女は――

ばな、さん……」

「びっくりしすぎ」

 彼女は呆れたように言って、顔だけをこちらに向けた。

 野花あや

 今年――高校最後の春に転校してきた彼女は、そのめずらしい姓に似合って、ミステリアスで独特な雰囲気を持っていた。

 二年から三年にかけてはクラス替えがないので、進級と同時に転校してきても、すでに気の合う仲間でグループが形成されている。

 だからか、彼女はいつもひとりだった。でも特に気にする様子もなく飄々としていて、休み時間はぼんやりと窓の外を眺めているか、静かに文庫本をめくっている。

 女の子なのに、以前一度だけ聞いた一人称は、それを否認するような「僕」だった。

 そんなふうだから、いつの間にか、彼女について様々な憶測が飛び交うようになった。

 なんの意外性もなく、「男の子みたい」から始まり、それがだんだん「本当は男の子なんじゃない?」「今流行りのトランスジェンダーってやつ?」となり。べつに流行っちゃいないでしょ。

 最初はみんな敬遠していたくせに、そのうち、人を寄せつけないクールさがかっこいいなんて騒ぎ始め、最近では、男女問わず告白の嵐が巻き起こっているとかいないとか。

 さすがに、魔法使いだなんて言い出す人はいなかったけれど。

「それで、君の願いは? だから僕を呼んだんでしょ?」

 落ち着いた声で訊かれ、はっとする。

 うそ。まさか。こんなことって。

 羽織ってるマントはいかにもって感じだけど、もしかしてコスプレ? いや違う。野花さんに限って、それはありえない。

「野花さんは……その、魔法使い、なの?」

 信じられないと思いながらも恐る恐る尋ねると、彼女は「そうだね」と素っ気なく答えた。

「正確に言えば、魔法使いじゃなくて、魔女だけど」

 魔法使いと魔女の違いって、なんだろう?

 眉をひそめたら、まるでわたしの心を読み取ったみたいに、野花さんも少し上を向いてあごに手を当て、考える素振りをした。

「目の前にリンゴがあっても、魔法のスティックがないと何もできないのが魔法使い。スティックがなくても魔法が使えて、場合によってはリンゴまで生み出せちゃうのが魔女、かな」

 分かるような分からないような……と思っていると、突然、彼女が軽快に指を鳴らした。

 すると、窓に吊るされたてるてる坊主が、一瞬にして白に変わる。

 息を呑んだ。

「やっぱこっちのほうがかわいかったかな。でも、つまんないしな」

 気だるげに呟いてもう一度指を鳴らせば、いとも簡単に黒へと戻る。

 これが、魔法。これが――魔女。

 言葉を失うわたしをよそに、彼女は「まあ、僕のことはいいから」と窓枠に両手をついて脚だけおろし、急かすように身を乗り出した。

「ほっ、本当になんでも叶えてくれる……?」

 震える声で問うと、彼女は黙ってうなずく。

「君に何かしらの影響を及ぼすことなら、特に制限はないよ」

「自分自身の存在を、否定するようなことでも?」

 そう返したとたん、彼女の瞳が鈍く光った気がした。

「それはたとえば……死にたい、とか?」

 包み隠さない物言いに、一瞬怯んで、でもゆっくりと首を横に振る。

「ううん。そうじゃなくて……」

 もちろん考えたことがないわけではなかった。だけどそんなことをしたら、ママは間違いなく、底知れない悲しみに狂ってしまうだろう。

 そもそもそれができるなら、魔法なんかに頼っていない。

 疑いしかないのに、こんな非現実的なものに手を伸ばしてしまったのは、自殺ではダメだと思ったからだ。

「――消してほしいの」

 意を決して口にすれば、彼女の表情に、かすかな驚きが滲む。

「私、もう疲れた。でも、自殺は絶対に誰かを傷つけるから。全部終わりにしたいけど、そのために他人ひとの人生を壊すのは嫌。だから、全部最初からなかったことにしてほしい。私が生まれたことも、今日まで生きてきたことも、誰の記憶からも消し去って、忘れられて、私自身、きれいさっぱりなくなっちゃいたいの」

 この方法なら、誰も傷つけなくていい。誰も、悲しませなくていい。

 ひと息に続けると、野花さんはなぜかくすりと笑った。

「君って、結構ワガママなんだね」

 ワガママ。たしかにそうかもしれない。

 こんな私利私欲の塊みたいな願い、いくらなんでも聞き入れてもらえないだろうか。

 そう落胆しかけたとき、

「うん」

 意外にも明るい、承諾の一言が届いた。

「いいよ。面白そうだし」

「本当?」

 思わず声を弾ませるわたしに、彼女は妖艶に微笑んで、「でもその前に」と言って窓枠からおりる。

「テストをしよう。君にちゃんとした覚悟があるかどうか確かめるための、テスト」

 言わんとすることが分からずきょとんとすれば、彼女はおもむろにこちらへ歩み寄り、自分が着ていたマントをわたしに羽織らせた。

 そして、マントの下に着ていた黒いTシャツ姿で、左手のひらを差し出してくる。

「右手、出して?」

 言われるがまま彼女の左手に右手をのせると、さらにその上から彼女の右手が重ねられた。

 なんだか、あたたかいのに、つめたい。

「君は今日から花魔女見習いです」

 そう呟いて彼女が右手を離すと、包み込まれていたわたしの右手の一部、小指の爪が、淡く赤い毛糸のような、火花のような模様で彩られていた。

 爪の根元から茎らしき細い線が伸び、そこから燃えるように赤が広がっている。

 これって……

「彼岸花……?」

 ぽつりとこぼすと、「そう。よく分かったね」と野花さんはまた淡く笑った。

 今頃はちょうど、通学路が彼岸花で華やかになる時期だから、印象に残っていたのだ。

「僕と同じ、彼岸花の魔女」

 その言葉に視線を移すと、彼女の右手薬指にも、同じ文様があった。

 暗くてはっきりとは分からないけれど、なんとなく、わたしのそれより濃い気がする。

「彼岸花の、魔女……」

 静かに繰り返すと、野花さんは藍色の夜空にぽっかりと浮かぶ満月を見つめながら、言った。

「今日から一ヶ月後、十月の二十五日が、また満月なんだ。その日まで僕の仕事を手伝ってみて、それでも気持ちが変わらなかったら、お礼に君の願いを叶えてあげる」

「仕事?」

 訊き返して詳細な説明を求めると、

「僕たち、花魔女の使命は、この世にとどまる亡者もうじゃの魂の未練を解消して、成仏させてあげること。僕の場合は特に、彼岸花の花言葉にちなんで、『再会』に関する案件が主になる」

 彼女は簡潔に答えて、わたしの両肩に手を置いた。

「というわけで、詳しくはまた後日話すからさ。よろしくね、小鳥遊沙那たかなしさなさん」

 やっぱり、不思議な人だ。

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