家族に会いに行こう
*
家族に会いに行こう。
次の日の朝、わたしと彩はそう言ってダイチくんを連れ出し、三人そろって再び折原家へ向かっていた。
今日は大っぴらにできない魔法を使うのか、彩から魔女姿でとの指示があった。
何をする気だろう。今度は強引じゃありませんように。
ちょっぴり不安に思っていると、
「沙那、すっかり懐かれちゃったね」
ダイチくんを挟んで左側を歩く彩が、こちらに顔を向けて呟いた。
「いいの。かわいいから」
わたしはダイチくんを見て微笑む。
たった二晩一緒にいただけだけれど、彼はわたしにずいぶんと信頼を寄せてくれているようだった。
サナねえちゃん、サナねえちゃんと甘えてくる姿はほっこりするし、さながら姉弟気分だ。
今も、彼たっての希望で手をつないでいる。
といっても、やっぱり触れ合わないのだけれど。……こういうのは気持ちが大事だ。気持ちが。
自身に言い聞かせている間に、「折原」の表札が見えてきて、わたしたちは足を止める。
どうするのだろうと様子をうかがっていると、彩は周囲に人目がないことを確認するように辺りを見渡してから、マントのフードを目深にかぶり直し、ダイチくんの前にしゃがみ込んだ。
「左手、出して?」
促されたダイチくんは、不思議そうにしながらもわたしから離れて彩の正面に立ち、言われた通り左手のひらを差し出す。
「じっとしててね」
一言断りを入れると、彩はダイチくんの左手の上に、自分の右手を重ねた。
あの満月の夜のように。
すると、薄く透けて曖昧だったダイチくんの体が、みるみるうちに人間らしい骨格と血色を取り戻していく。
これは――
「うわっ、なんかからだがおもくなった。すげー! アヤねえちゃん、なにしたの!?」
両手をグーパーしたり、飛び跳ねたりして、興奮気味にはしゃぐダイチくん。
そんな彼をしずめるように、彩はすっと自分の唇の前に人差し指を立てた。
「あんまり騒いじゃダメだよ。今見たことは、三人だけの秘密」
ダイチくんに話しかけるとき、彩の顔つきや声色は、いつもより優しくなる。
ちいさな子だからとか、表面的な理由じゃない。
もっと深いところで、彼を
「秘密……うんっ、わかった!」
秘密という言葉が子供心をくすぐったのか、ダイチくんは噛みしめるように繰り返した後、大きく元気よくうなずいた。
彩はふっとやわらかな吐息を漏らして、立ち上がる。瞬間、風に煽られてフードが脱げた。
「行っておいで」
そっと背中を押すような彩のひと声に、ダイチくんは我が家を振り返り、そしてまた彩を見つめる。
「でも……」
「大丈夫。今度はちゃんと、気づいてもらえるから」
ゆっくりと、説得するように言葉をかける彩。
しかし、なおもためらうように、今度はわたしに「ほんとう?」と問いかけてくる。
「うん。わたしたちが保証する」
わたしはきっぱりと答えてダイチくんに歩み寄り、フードを脱ぐと、ボトムスのポケットからクッキーの入った包みを取り出した。
昨日作って余ったぶんだ。紙袋こそないが、ラッピングも意図的に同じにしてある。――フウマさんに気づいてもらえるように。
「これ、あげる。みんなで食べて」
幽霊は食べられないのかな、と思って渡そうか悩んでいたのだけれど、今なら問題ないだろう。
「……ありがと」
か細いお礼とともに包みが彼へと渡る瞬間、やっと触れ合った小さな手は、かすかに震えている気がした。
表情は、まだ晴れない。
「ボク……ボク、なんていっておうちにはいればいいのかな?」
「いいんじゃない? ただいまー、って言えば」
あえて軽い口調で答える。彼の瞳が、驚いたように揺らいだ。
安心して。きっと笑顔で迎えてくれる。
お兄ちゃんがひとりしかいないのが、唯一の心残りだけれど。
今のご時世だ。ビデオ通話くらいできるはず。
「けったん、するんでしょ?」
視線を合わせて尋ねれば、ようやく決意したようにうなずいた。
かと思ったら、わたしに顔を近づけ、そっと耳打ちしてくる。
「ボクがないたこと、アヤねえちゃんにはないしょだからね?」
「おーけー」
小声で答えたわたしに、彼はにかっと笑うと、玄関まで走っていって、くるりとこちらに向き直り、
「おねえちゃんたち、ありがとー!」
思いきり叫んで、クッキーを持ったままの右手を、大袈裟なくらい一生懸命に振る。
わたしは同じくらい大きく、彩は控えめに振り返す。
それを見届けると、彼は家の中へ入っていった。もちろん、とびきりの「ただいまー!」を添えて。
ダイチくんが去った後、
「よかった。正直、結構大がかりなことをするから夜のほうが好都合だったんだけど、それじゃあまた不安にさせちゃいそうな気がして、この時間帯にしたんだ。正解だったみたいだね」
彩は独り言のようにこぼした。
「うん。――本当によかった」
不覚にも目尻が熱くなるのを感じつつ、わたしは心からそう返す。
と、そのとき、
「……ん?」
閉められた引き戸の付近で、何やら綿のように白くて丸いものが、光を放ちながら浮遊していることに気がついた。
「何あれ?」
口をついた疑問に、
「
彩がすかさず答える。
「亡者が幸せな最期を確信したとき、その思いが結晶になって現れるんだ」
淡々と説明する彩に目をやると、彼女は首にかけたチェーンに手をやり、襟の内側から何かを引っ張り出した。
昨日からわたしが気にかかっていたもの――その正体は、小さなガラス瓶だった。
陽の光を反射して、きらりと輝く。
コルクで栓がされ、容器の六分目くらいで、淡い桜色の液体がたゆたえていた。
先日の懐中時計といい、彩の身の周りは独特な美しさを纏うものであふれている。
彼女は栓を抜き、ふわふわと漂いながらこちらへ向かってくる、光玉と呼ばれたそれを、慣れた手つきで誘導して瓶の中に収めた。
ぽちゃんとかわいらしい音がして、小瓶が一瞬眩い光を放つ。その輝きが消えたときには、光玉はすっかり中の液体と溶け合っていた。
心なしか、桜色が薄くなった気がする。
彩は手早く栓をして、再び小瓶を胸にしまう。
そしてわたしたちはしばらく、折原家をぼんやりと見つめた。
声は聞こえてこないけれど、今頃、感動の再会をしているだろうか。
「それにしても、鬼ごっこがしたくて十二年も待ち続けてたなんて。何も知らない人が聞いたら、『なんでそんなことのために……』って思ったりするのかなぁ」
何気なく言ったわたしに、返ってきた彩の言葉は意外なものだった。
「物事の価値は自分が勝手に決めるし、自分の価値は相手が勝手に決める。いろんなことを考えて悩んだ上で、どうしても譲れない何かがあるなら、それだけは手放さないで大事に持っていればいいと思う。誰に笑われたって、関係ない」
強い眼差しで告げたかと思えば、彼女はさっとフードをかぶり、
「そろそろ帰ろう。誰かに見つかる前に」
そう言って踵を返すと、わたしを置いて歩き出してしまう。
「わわっ、待ってよ!」
わたしもフードが風で飛ばないよう手で押さえながら、小走りで後を追う。
「なんか僕、ダイチくんに信頼されてなかったっぽいな」
追いついて肩を並べたとき、彩がぽつりとぼやいた。
信頼?
自分の言葉で踏み出してくれなかったことを、残念がっているのだろうか。
「沙那とふたりで内緒話して、楽しそうにしてるし」
なーんだ、そっちか。
「拗ねてるの?」
「なっ、べつに……」
分かりやすく閉口する姿がかわいくて、つい笑ってしまう。
それはそうと、まだ一番重要なことを訊いていなかった。
「ねぇ、ダイチくんに、どんな魔法をかけたの?」
彩と手を重ねた後のダイチくんは、とても生き生きして見えたし、わたしと触れ合うこともできた。
わたしの解釈が間違っていなければ、幽霊が体を取り戻して、人間になったのだ。
いったい、どんな手を使ったのだろう。
「うーん、あれは魔法っていうより……」
彩は適切な表現を探すように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「僕の命をあげた、って感じかな」
「い、いのち!?」
あまりに予想外な返答に、声が裏返ってしまう。
「そう。寿命の一部を譲り渡したんだ。とはいえ一日ぶんだけだから、明日の朝まで持つかどうかってところだけど」
あっけらかんと言うけれど、そんな大事なもの……
言葉を失うわたしに、彼女はただ呟いた。
これも
その瞳の奥に、何か仄暗いものを見た気がした。
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