そんな相手がそばにいてくれるだけ、いいじゃないか


 *


 それから、沙那と手分けしてあちこち探し回ったけれど、亡者の姿はどこにも見当たらず。

 再びコンビニの前に戻ってきたときには、山の峰に黄金色こがねいろの夕陽が輝いていた。

「しかたない。もうすぐ日が暮れるし、今日はもう諦めよう」

「でも……」

「このまま続けてたって、僕らの体力が奪われるだけだよ。まだ明日もあるから」

 そう言って、今ひとつ割り切れていない様子の沙那を半ば強引に引き連れ、小鳥遊家へ向かう。

 目的地に到着し、いつものように出窓から入ろうかと考えていると、ふいに沙那が何かに気づいた。

「……どうしたの?」

 尋ねると、無言でくいと袖を引かれ、勝手口のほうへ連れていかれる。

 そこには――ひざを抱えて寂しげにうずくまる、亡者の姿があった。

「いたっ!」

 沙那が大声で叫んでも、逃げる様子はない。

 探し回る僕らの気配を感じ取っては、そのたびに逃げ惑って、ここで観念したのか。

 それとも、盲点をついて、最初からこのあたりに身を潜めていたのか。

 詳しいことは分からないが、なんだか一気に脱力してしまった。

 今までの捜索に割いた時間と労力は、いったいなんだったのだろう。

「――った」

 亡者がひどく消沈した声で、何やら囁く。

「えっ?」

 沙那が訊き返すと、勢いよく立ち上がった。その体の輪郭は、先ほどの比ではないほど黒々とした紫色に染まり、荒れ狂う感情に打ち震えている。

「コンビニのお菓子が高いなんて言う人じゃなかったのにっ!」

 ……はっ?

 気の抜けるような一言に、一瞬、気を取られたのがいけなかった。

 そのわずかな隙をついて、亡者の体から放たれたおどろおどろしい黒紫色の球体たちが、こちらめがけて飛んでくる。

「きゃっ!」

「沙那っ!」

 とっさにマントで遮ろうとしたけれど、すんでのところで視界が真っ暗になった。


 気がつくと、濃い闇に閉ざされた空間にいた。

 これは――ますます厄介なことになったようだ。

 顔をしかめながら立ち上がって辺りを見渡すと、少し離れたところに、沙那がうつ伏せで倒れていた。

 あわてて駆け寄って、そばにしゃがみ込み、

「沙那、沙那」

 呼びかけながら、二、三度肩を揺らす。

 じわりと不安がにじり寄ってくるが、

「ん……」

 やがて彼女は控えめにうなり、薄目を開けて起き上がった。ほっと胸を撫でおろす。

「大丈夫?」と尋ねれば、首だけで小さくうなずいた。

「ごめん。マントでガードしようとしたんだけど、一歩遅かった」

 謝罪すると、彼女は状況を把握するようにきょろきょろと辺りを見回してから、

「どうなっちゃったの?」

 怯えたように尋ねてくる。

「呑まれたね。大量のやみだまに」

「闇玉?」

 聞き慣れない単語に、今度は小首をかしげた。

「光玉の逆。不幸な最期を悟った亡者が残していくものだよ」

 すると、怯えた表情に悲しみの色が混じる。

「じゃあ、ハルカさんはもう……」

 しゅんと俯く彼女に、僕は優しく首を横に振った。

「ううん。たぶん、まだ成仏はしてない」

 だからいいってわけでもないんだけど。

 そんなことを考えつつ、再び立ち上がり、数歩進んで闇に手をかざしてみる。

 目を閉じて耳を澄ませば、かすかに聞こえてくる――亡者のすすり泣き。

 まだ、ずいぶんと濃い。闇玉の量と濃さは、亡者の負の感情に比例する。今回は特に攻撃的だし、下手に刺激しないほうがいいだろう。

「これ、強引に取っ払えないこともないんだけど、あんまり無茶するともっと面倒なことになりかねないから、もうちょっと待ってて」

 心の中で思ったことを今一度沙那に告げると、彼女は「分かった」とその場でひざを抱えて丸くなる。

 まったく、とうんざりしながら僕も彼女の向かい側に背中合わせで座ったとき――ふと、その体が小さく震えていることに気がついた。

「怖いの……?」

 怪訝に思って尋ねると、彼女は隠し事がバレた子供みたいに、ぴくりと肩を跳ね上がらせた。

「あぁ……ごめん。わたしこういう、いかにも暗闇って雰囲気のとこ、ダメで。最近やっと、寝るときは真っ暗でも大丈夫になったんだけど、閉塞感があると、いまだに……」

 さっきから妙に怯えていると思ったら、極度の暗所恐怖症だったらしい。

「昔、まだ両親が離婚する前――十歳くらいの頃にね、友だちの家に遊びに行ったとき、どうしても帰るタイミングが掴めなくて門限を一時間以上破ったことがあるの。うち、父がものすごく厳しい人だったから、いつもいけないことしたら真っ暗な物置部屋に閉じ込められてたんだけど、そのときは家の中にすら入れてもらえなかった」

 彼女の声に耳を傾けながら、僕には無縁な話だな、と冷めたことを思った。うちの母――ママは、芯の強い人だったけど、そういう厳しさはなかったから。

「自分が悪いんだっておとなしく玄関の鍵開けてもらえるの待ってたんだけど、陽も沈んで、真冬で雪も降ってたからか、体が冷えたみたいで、途中でものすごくトイレに行きたくなっちゃって」

 当時を思い出したのか、彼女の声が苦笑を帯びる。

「結局、破った倍の二時間以上も閉め出されて、小学校中学年にもなってトイレには間に合わないし、次の日から高熱出して三日も寝込むし、もう散々で」

 災難だったね。とっさにそんななぐさめの言葉が浮かんだけれど、今の僕が言ったところで、ひどく他人行儀で空々しく聞こえてしまう気がして、黙っておいた。

「それで、父も母も大喧嘩。『あなたのやり方は古すぎるんです!』『古かろうがなんだろうが、これが俺のやり方だ』『だからって女の子にあんな恥をかかせるなんて!』『もういい。気に入らないなら出てってやる』みたいな感じで。前から仲は良くなかったけど、離婚の決定打は、そこだったかな……」

 そういえば、沙那の口から両親について聞くのは初めてのような気がする。これも、彼女が消えたいと願った一因なのだろうか。

「親権が母に決まったとき、ほっとしたはずなの。『あぁ、もうあのお仕置きを受けなくていいんだ』って。だけど、いつからだろう。今は母のことも、あんまり好きじゃないんだ。おかしいよね」

 彼女の声色が、また自虐を含む。人間は、いつだって少し贅沢だ。

「だから、暗闇ってダメなんだ。ただ怖いってだけじゃなくて、トラウマ? いろんなことがフラッシュバックするから」

 幼い頃の記憶は、やけにはっきりと覚えているものだ。それが苦いものであるなら、なおさら。

 愛することは難しい。いくら想っているつもりでも、本人が望んでいない形だとしたら、それはもはや愛ですらないのかもしれない。

 それでも、そんな相手がそばにいてくれるだけ、いいじゃないか。

 ――沙那が羨ましいよ。

 僕はそんな本音を呑み込んで、相反する気持ちを押し殺すように、沙那の震える片手に、自分のそれをそっと重ねた。

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