「いい加減、自己中心的すぎるって気づきなよ」


 *


 どれほどそうしていただろう。

 暗闇の向こう側に、うっすらと夜の明かりが透けて見え始めた。もう陽が沈んでいる。

 亡者の泣き声も、ずいぶんと近くなった。っていうか、いつまで泣いているんだ。

 心の片隅で呆れつつ、

「さて、そろそろかな」

 僕が呟いて立ち上がると、背後で沙那が「うおっと!」とあわてたような声を上げた。

 ずっと座ったままだったから、そのうち眠くなって、こっくりこっくりしていたのかもしれない。

 僕に続いて立ち上がった沙那の気配を後ろに感じながら、腹を括る気持ちで深呼吸する。

 また、やらなきゃならないのか。

 できるなら、もっと他の方法を探したい。けっして後味のいいものじゃないし、消耗する魔力も体力も、半端じゃないから。

 だけど、今回の相手は強敵だ。きっと、他に打つ手はない。こうするしか、ない。

 何度も自分に言い聞かせるが、

「あんまり使いたくないんだけどな……」

 やっぱり消せない愚痴をこぼして、懐中時計を腰から取り外す。

 と、沙那が隣に歩み寄って、興味深げに覗き込んできた。

「いよいよこれを使うのね?」

 尋ねた口調には、高揚感が滲んでいる。

 げんなりするが、彼女に罪はない。

「そう。ちょっと眩しいと思うけど、我慢してね」

 僕はそう言って懐中時計を開け、赤い文字盤に右手をかざした。

 目を閉じて、意識を集中させる。

 ――よしっ、いける。

 確信して目を開けた瞬間、凛と澄み渡った音が響き、彼岸花の花びらとともに、懐中時計から一筋の白い光が放たれた。

 その光は瞬く間に広がって、闇を覆い尽くす。そして、密集していた大量の闇玉が、次々と剥がれるようにして懐中時計の中へ吸い込まれていく。

 光の白と、彼岸花の赤、それに闇玉の黒が混ざり合って降り注ぎ、幻想的な光景を作り出していた。

「すごい……」

 沙那が、子供みたいに感嘆を漏らす。

 僕からしてみれば、うんざりするほど見飽きた単なる現象でも、彼女にとってはものすごく不思議で、刺激的なものなのだろう。


 しばらくして闇玉の回収が終わり、懐中時計の光がやむと、花びらも消え去って、視界がゆっくりと晴れていく。

 目が慣れてくると、闇玉の襲撃に遭った場所よりいくらか遠くに、相変わらずひざを抱えて洟をすする亡者の姿を見つけた。

 ここからが本当の勝負だ。言うなれば彼女は――ラスボス。

「いつまでメソメソしてるつもり? 悲劇のヒロインさん」

 開きっぱなしの懐中時計を握ったまま近づきながら、挑発するように問いかける。

 すると、亡者は立ち上がって振り返り、こちらをきつく睨みつけた。

「何それ。バカにしてるの?」

 悲しみに薄れていた紫が、再び濃くなる。

「本当のことを言っただけだよ」

「ちょっと、彩……」

 背後でたしなめようとする沙那を、僕は「下がってて」と静かに片手で制した。

 ピークを越えたから、これでいいのだ。ここからは、内に秘めているより、なるべく放出してもらったほうが、処理する側としては都合がいい。そのぶん、負担が減る。

「あたしはね、自分を犠牲にしてまで彼を守ったのよ? なのに……なのにっ!」

 亡者はいきり立って声を荒らげる。

 僕はため息をぐっとこらえた。

「命を懸けて守った人が、あなたの死を乗り越えて幸せになってたんだ。彼に対する愛情が本物なら、よかったって思うべきなんじゃないの?」

 本当に、うんざりだ。愛と私欲をはき違えるのは、一番嫌いだ。

「もう、あなたが彼に愛され続ける権利も、彼があなたを愛し続ける義務もないんだよ」

 畳みかけると、亡者は「っ……! 分かってる……」と言葉を詰まらせた。

「分かってるわよ。あたしだって、今さら彼と結ばれるなんて思ってない。とっくの昔に死んでるんだもの。だけど、お互いに気持ちの整理がつくまで、待っててくれたっていいじゃない。幸せになるのは、あたしときちんとお別れしてからでいいじゃない」

 涙に濡れ、情けなく震える声。よどんで揺れる紫。

 それほど切実な姿を見てもなお、やっぱり呆れ以外なんの感情も沸かない僕は、人として何かが欠けているのかもしれない。

「お別れならちゃんとしたはずでしょ。死んだ恋人が会いに来るなんて、誰が考えると思うの? それに、もう十年も経ってるんだよ? 結婚して子供がいたって、全然おかしくない。いい加減、自己中心的すぎるって気づきなよ」

 求め続けていた彼と感動の再会を果たし、涙して抱き合いながら成仏する。

 そんなドラマチックな展開を夢見ていたのだろうか。いかにも彼女が考えそうなことだ。

「残念だけど、こうなった以上、あなたには消えてもらうしかない」

 冷たく言い放って、懐中時計を向けると、

「ちょっ、ちょっと、何する気……?」

 彼女は、恐怖に表情を硬くした。携えた紫も、さらに濃く、暗くなる。

 僕は構わず、再び意識を集中させた。ややあって先ほどと同じ澄んだ音が響き、今度は真っ白な光線だけが亡者へと向かう。

「なっ、何よこれ。体が……」

 真っ白な光に包まれた彼女の透けた体は、足もとから徐々に闇玉へ変化して崩れながら、懐中時計に吸収されていく。

「ねぇ、やめて。やめてよ……」

 ……きつい。

 回収が全然進まない。現世に対する未練が強いから、それだけしぶといのだろう。

 抵抗が激しく、ほぼ綱引き状態。うっかり気を緩めたら、また呑まれてしまいそうだ。

「分かった。分かったから。最後にもう一度だけ、彼に会わせて。そしたらすぐに、成仏するから。お願い……」

 まだそんなことを言っているのか。もういくら頑張っても、あなたの望む最期は、訪れないのに。

 僕だって好きでやっているんじゃない。でも、この世の幸と不幸のバランスを乱すものを、いつまでも野放しにしておくわけにはいかない。

 この大量の闇玉が、何よりの証拠だ。たとえ本体を取り除いたとしても、これをひとつでも回収し損なえば、そこから悪霊が生まれる可能性だってある。

 頼むから、おとなしく消えてくれ――!

 渋滞並みの速度ではあるが、亡者の体は少しずつ吸い込まれていった。残り半分を過ぎたところで、ありったけの力を振り絞る。

「っ――!」

「嫌……嫌よ。待って……」

 待ってやる余裕も、義理もない。あなたはもう、僕の敵なのだ。

「い、いやぁ――!」

 ついに、亡者は悲痛に泣き叫びながら消えていった。

 最後に残る、泡のようにやわらかな光。

 肩で荒く息をつきながら、フードを脱ぎ、消えていく様を最後まで見送った。

 嫌だ。これを見ると、いつも苦い気持ちになる。やけに、儚くて。

「彩……」

 沙那の寂しげな声が聞こえた。

 闇玉は――無事すべて回収できたようだ。

 呼吸を整えつつ、一安心して懐中時計を閉じ、腰にさげる。その際に時刻を確認したら、九時を回っていた。

「……っ」

 ほっとしたせいか、視界が眩んで思わずふらつくと、

「……っと、大丈夫?」

 沙那があわてて横から支えてくれた。彼女も知らぬ間にフードを脱いでいる。

 やはり、魔力を使いすぎたようだ。

「あぁ……ごめん」

 弱々しく謝りながら体を起こしたとき、ふいに、何かを蹴飛ばしたような感覚がした。

「なにか、足もとに――」

 沙那の言葉にも促されて視線を落とせば、煌びやかに輝く、金平糖状の結晶が転がっていた。

 屈んで拾い上げる。これは――

「想いの残滓ざんし、だね」

 今回のように未練が強い亡者の場合、闇玉の他に、自分の中で消化しきれなかった想いを、こんなふうに結晶として残していくことがある。

 魔法薬の材料、魔力の向上なんかに役立つので、収集して保存している魔女も多い。

 光玉や闇玉と同じく、負の感情が強すぎてくすんだり黒ずんだりしていると、そこから悪霊が生まれる可能性があるので少々事情が変わってくるのだが、これだけクリアなら特に問題はないだろう。

 そう沙那に説明して、残滓をジーンズのポケットに突っ込んだ直後、鈍い頭痛を感じてこめかみを押さえた。

「ねぇ、ほんとに大丈夫? すごく顔色が悪いけど。家まで送っていこうか?」

 沙那が、心配そうに顔を覗き込みながら問いかけてくる。

「ううん。平気……」

 わたげ荘は、魔女や亡者、動物など、人ならざる者にしか見えない秘密の森の奥にある。沙那に分け与えた少量の魔力では、入るのはおろか、見ることすらできないと思う。

 本当はもう、歩くのも辛いけれど。

「今回の任務はこれで終わったし、明日ゆっくり休むから。大丈夫だよ」

 そう言って微笑んでも、彼女の表情は不安げに歪んだままだ。

「だけど……」

「ほらほら。いつもみたいに深夜じゃないから、早く帰らないとお母さんにバレちゃうかもよ? おやすみ」

 最後は「また来週ね」と笑ってはぐらかし、まだ何か言いたげな彼女を押し切って家の中まで送り届け、再びフードをかぶって、おぼつかない足取りで帰路をたどった。

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