わかんない。わかんないよ……


 *


「よいしょっ、っと」

 玄関から上がるとママが寝ているリビングを通り過ぎなくてはならないので、帰宅後も彩に手伝ってもらって出窓から家の中へ入る。別れた夫との寝室で寝るのはどうしても嫌らしい。

 マントのフードをかぶれば済む話なのかもしれないが、わたし的にそれでは不安だったのだ。

 幼い頃はやたらと二段ベッドや二階にある部屋に憧れたものだが、今回ばかりは自室が一階にあったことに感謝した。

 それにしても――

 真夜中にこっそり家を抜け出して、帰ってきて、また窓から侵入して。

 ちょっぴりいけないことをするのって、楽しい。すごく。

 そんなことを考えながら頬を緩めていると、

「よっ……っと」

 やはり彩に下から押し上げられ、わたしと似たようなかけ声を発しながら、ダイチくんがよじのぼってきた。

 おりるときは身軽そうだった彼も、身長が低いせいか、のぼるのには四苦八苦しているようだ。

 どうにも見ていられず、手を差し伸べる。

 彼も腕を伸ばして掴もうとしたが、

「「あっ」」

 触れ合う寸前、お互いの手は呆気なくすり抜けてしまう。

「わっ、ちょっと!」

 下にいる彩があわててフォローする。

 一瞬感じた、驚きと緊張のせいだろうか。やっとの思いでのぼりきり、ひと息つくダイチくんの姿を、わたしはどこか遠くの出来事のように眺めていた。

 そして、今さらながら思う。

 そっか。触れ合えなくて当たり前だ。だって彼は――

 幽霊、なのだから。

 幽霊と人間が触れ合えないのは、この世にあふれるファンタジー作品でもお馴染みの設定だ。

 現実世界にも、視える人や祓える人はたまにいるらしいが、触れられる人というのは聞いたことがない。

 なんて、例外がすぐそばにいるようだけれど。

 それも、魔法の力なんだろうか。こうして考えていると、なんだかわけが分からなくなってくる。

 ひとりで悶々としていたが、

「アヤねえちゃん、バイバーイ!」

 ダイチくんの元気な声で、はっと我に返った。

 見ると、彼は出窓から身を乗り出して、しきりに手を振っている。

 わたしも急いで駆け寄って彼にならい、

「また明日!」

 と言って、下にいる彩にひらひらと手を振った。

 彼女は、そんな私たちを見上げてふっと微笑み、

「おやすみ」

 静かにそう言い置くと、暗色のマントをはためかせながら、去っていく。

 やっぱり、彼女には不思議な魅力がある。

 自然と、惹きつけられてしまうような。

 彩が去っていった方向をぼんやりと見つめていると、ふいに、横で大きなあくびが聞こえた。

 壁かけ時計を見やれば、もう夜中の十二時を回っている。

 ダイチくんの年齢からすると、遅すぎる時間だ。

「ごめん。すっかり遅くなっちゃったね。そろそろ寝よっか」

 そう言ってマントを脱いで畳み、念のためチェストの奥に押し込んでおく。

 マントの下はパジャマだし、布団もあらかじめ敷いておいたし――とそこまで考えて、気づいた。

 布団は、一枚しかない。

 リビングの収納から客用布団を引っ張り出してくるのもおかしな気がするし、何より、ママに怪しまれたら厄介だ。

「あ……えっと、同じ布団でも……いい?」

 戸惑いながら訊くと、ダイチくんはむしろ嬉しそうに、「いいの!?」と目を丸くした。

 わたしは控えめにうなずいて、先に布団へ入る。

 左側にスペースを空け、どうぞというふうに掛布団をめくってみせると、彼は「わーい!」と歓声を上げながらそこに寝転んだ。

 そっと布団をかけてやれば、無邪気に距離を詰めてくる。

 なんか、かわいい。

 わたしにも弟がいたらこんな感じだったのかな。さすがに添い寝はしないか。歳の差にもよるけど。

 あれこれ思い巡らせていると、

「サナねえちゃんたちには、ボクがみえるんだよね?」

 突然、ダイチくんが確認するように尋ねてくる。

「う、うん……」

 今度こそ、魔法についての流れになってしまうのでは、と少し警戒したが、

「おっかしいなぁ。いつからだったかわすれちゃったけど、とうさんも、かあさんも、にいちゃんたちも、ぜんぜんボクにきづいてくれないんだよなぁ。なんでだろう……?」

 彼は怪訝そうに呟いてから、ぽつりぽつりと話し始めた。


 *


 にいちゃんたちが、だいすきだった。

 つよくてやさしくて、いつもボクをわらわせてくれる。

 ほいくえんからかえってきたら、そとでいっしょにあそぶのが、ボクのたのしみだった。

 さいきんのおきにいりは、『ケッタン』だ。

 まいにちケッタンをするやくそくをしてたんだけど、このひはほいくえんがごぜんちゅうでおわっちゃったから、いつもボクとおなじくらいか、それよりはやくかえってくるにいちゃんたちがいなかった。

 だから、2かいにあるにいちゃんたちのへやで、おそとをみてまってたんだ。

 まどから、おそらにうかぶくも、かぜにゆれるはっぱなんかをながめながら、しんぼうづよくまっていると、とおくからにいちゃんたちがあるいてくるのがみえた。

「きたっ!」

 ボクはうれしくなって、まどをあけてかおをだす。

 でも、にいちゃんたちは、いっしょにあるいてきたともだちにてをふってばかりで、こっちをむいてくれない。

 せのびして、まどのわくのうえにおなかをのせる。

「おーい! カイにいー! フウにいー!」

 ちからいっぱいよぶと、バイバイしおわったふたりが、やっとボクをみてくれた。

 とおもったら、そろってびっくりがおをして、なにかをいっしょうけんめいにさけびはじめる。

「えっ、なにー?」

 よくきこえなくて、からだをもっとまえにだしたしゅんかん、

「うわっ!」

 フワッとちゅうにうくみたいなかんじがして、めのまえがまっくらになった。


 きがつくと、いえのリビングにたっていた。

 うしろで、だれかのなきごえがきこえる。

 ふりかえると、テーブルのまえのいすにすわって、りょうてでかおをおさえながら、かあさんがないていた。

「ど、どうしたの? かあさん……」

 びっくりして、そばまでいってこえをかけてみたけど、なきやんでもくれないし、かおをあげてもくれない。

 まるで、ボクなんていないみたいに。

 すこしはなれたところからみていたカイにいが、そんなかあさんにちかづいて、

「――いつまでメソメソしてんの?」

 おこったようなこえでいった。

「ないたって……ないたってもどってこないんだよっ……!」

 カイにいのおおごえに、うしろにいたフウにいが、ビクッとかたをふるわせる。

「や、やめてよぉ……」

 こまったようすでフウにいがなきだすと、カイにいのめからも、おおつぶのなみだがこぼれた。

「みんな、どうしたの? なんでないてるの? ねえってば!」

 いくらたずねても、だれも、なにもへんじをしてくれなかった。


 りゆうはわからないけど、いえのなかはとってもくらくてしずかになってしまった。

 にいちゃんたちはちっともそとであそばなくなったし、かいしゃやパートからかえってきたとうさんとかあさんも、いつもつかれたかおをしていて。

 でも、そんなのはさいしょのうちだけだった。

 しばらくすると、だんだんあかるくげんきになって、いっしょにわらってゆうはんをたべるようになった。

 ボクだけ、なかまはずれだ。

 いつのまにかすごくせがのびたにいちゃんたちに、とうさんが、「ショウライはどうするんだ?」なんていっている。

『ショウライ』って、なんだろう?

 どうせまた、きいてもこたえてくれないんだろうな。

 みんな、ボクにじゃなくて、テーブルのうえにあるボクのしゃしんにはなしかけてる。

 いみ、わかんない。ボク、ここにいるのに。

 ねぇ、なんで? なんでみんなきづいてくれないの?

 わかんない。わかんないよ……

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