違和感


 えっ……?

「けっ、けけけけ、結婚!?」

 何それ? 女の子がよく言う、『おおきくなったらパパとけっこんするの!』の男の子バージョン? しかも相手はお兄ちゃん……たち?

 いや、いいよ? そういう価値観を否定するのは、偏見だと思うし。最近は同性愛者も受け入れられ始めてるし、海外だと一夫多妻制なんていうのもあるし。さすがにお兄ちゃんとは無理だけど……

 ひとりで混乱していると、ダイチくんは不満げにむくれ、野花さんは小さく噴き出した。

「ちがうよー。『ケッコン』じゃなくて、『ケッタン』!」

「イントネーションも母音も微妙に違うのに、どうしてそうなるの……」

 口々につっこまれて、急に恥ずかしくなる。

 な、なんだ。ケッタンね、ケッタン。

 舌っ足らずだから聞き間違えちゃった。

 そうだよね。まだ片手で数えられるような歳の子が、お兄ちゃんと結婚したいなんて言うわけ……って、あれ?

「『ケッタン』って、なに……?」

 呆けて呟いたわたしに、野花さんは「そこなんだよね……」と困ったように眉を下げた。

「ここに来るまでも何度か訊いてみたんだけど、本人もうまく説明できないみたいで、『ケッタンはケッタンだよ?』としか言ってくれなくて」

 ケッタン。

 なんのことだか見当もつかないが、ダイチくんの未練に関する重要なキーワードなのだろう。この謎を解かなければ、彼は成仏できない。

 どうしたものかと頭を悩ませていると、

「とりあえず」

 野花さんは気を取り直すように言って、すくっとひざを曲げ、ダイチくんと向かい合って視線を合わせた。

「ダイチくん、自分のおうちは分かる?」

 その言葉に、彼は「うんっ!」と元気よくうなずく。

「こっち!」

 そう叫ぶや否や身軽に駆け出し、出窓からぴょんと飛び降りた。

「あっぶな……」

 ここが一階で、なおかつ生身の人間ではないと知っていても、一瞬ヒヤリとしてしまう。

 出窓に近づき、ダイチくんが飛び降りたほうを唖然と見つめていたら、

「沙那」

 背後からふいに名前を呼ばれて、はっと驚く。

 でもすぐに嬉しくなって、笑顔で振り返った。

「な、なに?」

「これ」

 彼女がトレードマークであるマントをはだけると、内側がワントーン明るくなっていることに気づく。

 この前は一色だったはずだ。どうやら今日は、中にもう一枚着ているらしい。

 彼女は一度、両方のマントを脱ぐと、暗色のほうを再び身につけてから、余ったほうをこちらへ投げ渡してきた。

 とっさに受け取り、

「着てみて」

 促されるまま羽織ってみる。背中を包む、思ったよりなめらかな感触。

「これ、あなたが?」

「うん、まあ。似合ってるよ」

 野花さん――彩は満足そうに言って、こう続けた。

「そのマントを頭までかぶると、透明化して辺りの景色に溶け込めるんだ」

 こんなふうにね、と彩がマントの中に潜ると、たしかに、景色と同化してマント共々見えなくなった。そしてまたぱっと現れる。

「へぇ……」

 少し前のわたしなら、こんなに簡単に信じ込まなかったと思う。が、満月の夜の一件で、すっかり魔法に魅了されてしまっていた。

 最初はコスプレなんて思っていたマント姿にも、今はどこかワクワクしている自分がいる。

 思えば、今日まで霊感とは無縁だったはずのわたしに、ダイチくんが見えるのも、きっと魔法の力のおかげだ。

「訝しげな目で見られたり、おまわりさんに見つかりそうになったりしたら、試してみるといいよ。後ろについてるフードかぶるだけでも、同じ効果があるから」

 さらに補足され、それもそうか、と思う。

 女子高生が真夜中にこんな格好でほっつき歩いていたら、周囲から白い目で見られたり、警察に補導されたりしてもおかしくない。滞りなく任務を遂行するためには、己の身を守るすべが必要なのだろう。

 ふむふむと納得していると、

「おねえちゃんたちー、なにやってるのー? はやくはやくぅ!」

 出窓の下から、ダイチくんのよく通る声が聞こえた。


 *


「ねぇ、どうして今日まで音沙汰なしだったの?」

 わたしは、アドバイス通り、フードをかぶった魔女姿でダイチくんの背中を追いながら、彩にずっと気になっていたことを訊いてみた。

 すると、わたしと同じ格好で、歩幅を合わせるように隣を歩いていた彼女は、「あぁ……」と気の抜けた返事をする。

「この任務自体、金曜から土日にかけてしかやってないんだよね。ほんとは毎日やりたいんだけど、基本夜中の仕事だし、学業に響くからダメだって兄貴たちがうるさくて」

「お兄ちゃん、いるんだ?」

 意外な事実に、思わず訊き返す。

「訳アリだけどね。一番上が二十三。その下が二十歳。で、僕が末っ子」

 兄がふたり。

 ダイチくんもさっき、「にいちゃんたち」と言っていたし、たぶん、彼と同じようなきょうだい構成だ。

 彩が僕っ子なのは、そういったいきさつもあるのかもしれない。

 わたしはひとりっ子だから、すごく羨ましい。

「お兄さんたちも魔女?」

「そう。花の種類は割り当てだからバラバラだけど、タイプ的なものは同じ」

 魔女の世界にも、タイプなるものが存在するのか。

「ってことは、種類の違う魔女もいるの?」

「いるよ。与えられた役割もそれぞれ違う。言わばみんなが想像するような、薬を作ったり壊れた物を直したりする月魔女に、自然を司る水魔女……他にもいろいろいる」

 なんというか、魔女の世界は想像以上に壮大で、奥が深いらしい。

 幼い頃のわたしが聞いたら、もっと心躍らせていただろう。

「それにほら、よくあるじゃん。医学的に説明できない奇跡とか、科学的に証明できない超常現象とか。ああいうのってたいてい、魔女が絡んでたりするんだ」

 それは知らないほうがよかったかも……と苦笑するわたしをよそに、彼女は「あーあ……」と落胆した声を出す。

「僕も他の魔女がよかった。そしたらこんなもの持ち歩かずに済むのに」

 そう言って落とされた視線の先をたどると、初めて会ったときには気がつかなかったが、腰のあたりに金色の懐中時計がぶらさがっていた。

 彼女が手に取って蓋を開ければ、意外なことに真っ赤な文字盤が姿を現す。

「きれい……」

 よく見ると、文字盤の外枠には、何やら細くてシャープな線がいくつもあしらわれていた。

「この模様は?」

「文字盤の色と周りの模様は、属性する花と葉っぱをイメージしてるんだと思う。兄貴たちのも個々にデザインされてるから」

 彼岸花の葉って、こんな形してるんだ。

 彼岸花は花が枯れてから葉が出てくるめずらしいタイプの植物らしく、花はよく目にしていても、葉を単体でじっくり眺めたことはないので、いまいちイメージが湧かない。

「なになにー? なんのはなししてるのー?」

 わたしたちの会話が気になったようで、少し前を歩くダイチくんが、足を止めずに顔だけでこちらを振り返った。

「ダイチくんは、お兄ちゃんたちといくつ離れてるの?」

 魔法のことを話すわけにもいかず、かと言って嘘もつきたくなくて、無難にひとつ前の話題を振ってみる。

「えーっとねぇ、カイにいがボクの5コうえでぇ、フウにいがボクの3コうえ!」

 やっぱり男三きょうだいらしい。ダイチくんもわんぱくな感じだし、かなりにぎやかな家庭だったのだろう。

「カイにいはね、すごいんだよ。ふくがすきだから、モデルさんになるんだって。おとこなのに!」

 彼は嬉しそうに続ける。

「あとあと、ふうにいは、『コクゴキョウシ』ってのになるみたい」

 その言葉に、わたしと彩は顔を見合わせた。――なんだろう。ケッタンに似た、この違和感。

「ここだよ」

 つと、再び聞こえたダイチくんの声で現実に引き戻され、前を見れば、和風の一軒家に到着していた。

 目の前のブロック塀に貼られた表札には、「折原おりはら」とある。

「お兄さんたちは、この家に?」

 尋ねると、ダイチくんは「うん」と短く答えた。

「なんか、意外と近かったね」

「沙那んちの近所をうろついてたところをつかまえて話聞いて、適当に連れてきただけだから」

 小声で話すわたしたちに気づいているのかいないのか、ダイチくんは淡々と続ける。

「フウにいはまだいるけど、カイにいはしばらくまえにどっかいっちゃって、ほんとにたまにしかかえってこない。フウにいもそのうちいなくなるんだとおもう」

 その言葉に、違和感がより色濃くなった気がした。

 お兄さんたちはもう、ひとり立ちするような年齢になっている? だとしたら、先ほどの話と辻褄が合わない。

 ダイチくんが亡くなったのは、何年も前だってこと? それにしたって――

 真相を確かめるには、お兄さんに直接話を聞くのが手っ取り早いだろうが、もう深夜だし、面識もないのに突然押しかけるわけにもいかない。

 家の場所は把握した。ひとまず今日は解散したほうがよさそうだ。

 それとなく目配せすると、彩もうなずいてダイチくんに歩み寄り、腰を屈める。

「道案内ありがと。でも今日はもう遅いから、明日また、この場所で会えるかな?」

 ダイチくんは「……わかった」と素直に応じたものの、その表情には寂しさが滲んでいた。

「ちぇ~、またひとりかぁ……」

 ――やっぱり、何かがおかしい。

 もしかしたら、彼は……

「あの――」

 当然ながら我が家に子供部屋はひとつしかないけれど、ダイチくんは常人には見えないようだし、ママに抜け出したことさえバレなければ、さほど問題はないだろう。

 それに、いくつか気になることもある。

「たしかに、ひとりじゃ不安だと思うし、うちでよかったら……来る?」

 思いきって口にしたわたしに、ダイチくんはみるみる表情を明るくし、満面の笑みで力強くうなずいた。

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